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2020.8.10不登校に対する反応


別アカウントからのお引越し記事第3弾。
2020年8月10日の記事というより呟きです。

長男が学校に完全に行かなくなってから3か月。
近所の人や知り合いが家に長男がいることを気にしている様子が見え、少しずつ話し始めていました。
始めはどういう反応が返ってくるのか不安でしたが、思ったよりも理解のある反応がかえってきてほっとしたことを覚えています。

学校に行かない息子のことを認めている良い母のようなことを書いていますが、心の中は「本当にこれでいいんだろうか?」と揺れていました。
このときはこのつぶやきをnoteに書くことで、自分にこれでいいんだと言いきかせていたんだと思います。

⇩以下、過去記事です。


長男が学校に行かなくなり、家にいる生活が続いています。
知り合いや近所の人たちはどうして家にいるのかな?と思いはしても積極的に聞いてくることはありません。
話の流れで学校に行っていないという話をすると、ほとんどの人が「無理して行かなくてもいい」と言ってくれます。
昔は学校に行くのが当たり前だったから無理矢理行かせたけど、今はそういう時代でもない、と。

いつの間にか、学校に行くということは絶対ではなくなっていたようです。
そのおかげで、今、長男は肩身の狭い思いをすることなく、伸び伸びと生活できています。


この記事を書いた時からもう2年経ちました。
周りの人たちは今も同じような反応をしてくれます。
でも、それは長男がよその子どもだから、ということが分かりました。

「その子が元気なら、学校に行かなくてもいい」
そうやって皆さん言ってくれます。
でも、その人の家族が登校渋りをしたり、学校に行かなくなった時に同じ言葉を言う人はほとんどいません。
やっぱり多くの人にとって学校に行くことが王道で、それ以外の選択は極力させたくないという事なのだな、と思いました。

公立学校以外の選択肢がまだあまりなく、時代とともに家庭が教育を手放してきた社会の流れ。
その中で、この反応は仕方ないのかな、と思います。

公教育を変えたいという思いと、教育の選択肢を増やしたいという思い、そもそも子どもにとって教育とは何なのか?学びとは何なのか?
教員時代ずっと考えてきたことが、長男が学校に行かなくなってから、より強く考えるようになっています。

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