エッセイ「情緒の発達速度」(テーマ:初恋)

 世間には、「初恋は実らない」という常套句がある。想定する年齢が低ければ「おつき合いできなかった」ということになるだろうし、高校生以降となると「おつき合いしたものの、結婚まではいけなかった」という意味で使われる場合もあるように思う。
 初恋をテーマとするにあたり、年齢順にいろいろ思い出してみる。以前のエッセイ(さつまいもチップス事件)で幼少時の記憶がかなり薄いということを書いたけれど、さすがに恋愛ごとの印象は強く、5歳のときのエピソードが部分的に残っていた。

 幼稚園での最後の年である。子供といえばまだ性別なんて意識せず、別け隔てなく遊ぶタイプが多いのかもしれない。しかしわたしは明らかに、自分と同じ女性が好きだった。ロングヘア美人の保育士さんにずっとベタベタしていた憶えもあるし、女の子ばかり選んで遊んでいた。男の子を避けていたわけでもなく、ただただ本能的に片側へ惹かれるのだ。

 その女の子たちの中に特別な存在がいて、名前は「ともちゃん」。お互いに「スキ!」という明確な宣言もしていて、いわゆる両想いを達成できていた。そういう意味では、「実った初恋」だ。
 ともちゃんはマセていてイジワルで、ちょっと気に入らないことがあれば「やっぱり他の子に乗り換えよっかな~」みたいなことを言うような性格だった。いま思えば、5歳にしてそういうセリフが出るものなんだな、という驚きがある。
 気の弱いキャラだったわたしはいつも振り回されていたけれど、いったん好きになったものはそう簡単にやめられない。既にここで真理を体験しているわけである。

 そんなちょっと危うい両想いはしばらく続けられたものの、卒園が近づいたころ大きなケンカをしてしまい、口もきかない状態になった。もっと何ヶ月も時間が残っていれば修復できたのかもしれない。だが、うちの家族の引っ越しのため、彼女とは小学校が別れてしまった。幼稚園に、何か大きな忘れ物をしたまま去る心地がした。

 出身の田舎町は人口が少ないくせに面積はだだっ広く、徒歩で通えるようにするためだろうか、小学校が5つも点在している。東西南北と中央である。中学生になると、そのうち2つが南中学校、3つが北中学校へと進んでゆく。(お受験などはなく、完全に住居の近さで決まる)
 うちの引っ越しは同じ町内ではあったけれど、ともちゃんは南小学校から南中学校へ。わたしは中央小学校と西小学校を経て北中学校へ。記憶の片隅に残しながら、9年間ずっと顔を合わせる機会もなかった。
 わたしは惚れっぽく、小中学校でも数え切れないほど恋をした。でも成長するにつれ性格の特殊性が際立ってきて、周囲からはどんどん浮き、好きな相手にも拒絶されることばかりだった。幼稚園での両想い状態は、「貴重な成功体験」という位置づけになってゆく。

 高校にはさすがに受験があった。でも都市部のような厳しい競争という感じはまったくなく、成績順に自然に振り分けられるようなものだった。5教科の試験において、合計200点・250点・350点取れるかのラインで、3つの高校を選ぶだけ。
 生来勉強が好きなわたしは、余裕で350点取れるという見込みを教師に告げられる。それなのに、「電車で通うのが面倒」という理由で、近所に建つ250点ラインの高校を選んでしまった。将来を考えればかなり愚かな選択といえる。

 ところがなんと、ともちゃんもその高校に入ってきたのである。スラッと背が高く、とても綺麗になっていた。
 これは劇的で、ロマンスの予感がするでしょう? ――結果的に、なんにも起こらなかった。
 彼女はわたしともまた別の方向性の、強烈な変わり者オーラを放出していた。気が合う予感がまったくしないし、数々の失恋で自信を失っていたわたしは、3年間話しかけることすらしなかった。

 面白い話がある。ともちゃんには小学生の妹がいて、教師であったうちの母が、そのときたまたま担任だった。姉妹は家庭でガールズトークをしたらしく、まずその内容がセンセイ=うちの母に漏れ、最終的に我が家の夕食の場でわたしに届いたのだ。「りくちゃんが高校にいたんだよー!」と、あちらも充分に意識していたことが思わぬ形で判明。伝達経路がすごいではないか。オンナたちのデータ共有力は恐い。

 幼稚園のころうまくいっていたのは、まだ互いに変わり者という属性が発現していなかったからに過ぎなかったのか?

 幸運にも、高3のとき別の相手と、「おつき合い」をすることに成功した。基本的な相性は良かったと思うけれど、こちらの人格が未熟すぎて喧嘩三昧、けっきょく卒業まで持たなかった。冒頭の定義でいえば「結婚までいけなかった、実らなかった初恋」だ。
 その頃には、ある程度自己分析もできた。わたしは情緒が同じ年齢の人々と比べ発達していない。浮いているのはまだいい、問題は他人の気持ちが読めないことだ。幸せになりたければ、それが必要なんだと思った。

 20代はずっと孤独に過ごした。だいぶ歳を取ってから、やっと周回遅れで、少しずつ人付き合いというものを知ってゆく日々だ。まだまだ足りないことだらけだが、自覚があるだけマシだろうか?



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