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第1章_#06_お茶の水でフランス語を始める

さて、引きこもってフランス映画ばかりを見ていた派遣事務員時代の20代半ば。そんな暮らしにもそろそろ飽きてきた頃、知人の紹介で、通訳の会社に正社員として就職をする。もちろん通訳などできるわけがない私の仕事は、クライアントと通訳の間でいろいろな調整をする仕事だった。

そこで初めて「帰国子女」と呼ばれる人達と出会う。普段は私たちと同じく日本語を喋る日本人なのに、仕事となると途端にネイティブ並みに流暢に外国語を操る。最初はそのさまにいちいち面食らったものだ。そしてそれは当然のことながら、私も外国語ができたらなぁ・・・という憧れに変わっていった。

入社して数ヶ月経ったある日、社長から唐突に「誰か友達にイラスト描ける人いない?」と訊かれる。「友達に...ですか...えーと...。」
私は子供の頃は漫画家志望。小学校高学年くらいで才能の無さに気づいたので漫画家は早々に諦めたが、大人になってからもヒマな時にはちょろちょろと簡単な絵を描いて過ごすのが好きだった。
「あのう、難しい絵じゃなければ、わたし、描けるかもしれません。」「え?そんな趣味があったなんて知らなかった。じゃ紹介するね。」
降って湧いたような些細なきっかけ。実は絵をが描く仕事がしてみたかった。初仕事のそれがどういう媒体でどんな内容だったかは残念ながら憶えていないが、以後、人脈は少しずつ広がり、平日は会社員、土日はイラストレーターという暮らしがなんとなく始まった。

死んだみたいだった人生に、とつぜん血が通い始める。

そして外国語への憧れはさらに募る。外国語をマスターすることは仕事にも役立つわけだから、よし、この際ちゃんと勉強してみるか!と一発奮起。東京で学べる外国語は山ほどあるが、迷わずフランス語を選んだ。映画にハマっていた頃、字幕なしで見れたらどんなにいいかと常々感じていたからだ。

ビギナーがまず最初に選ぶフランス語学校「アテネ・フランセ」という老舗の語学学校に通い始める。お茶の水と水道橋の間にあるその建物は、ピンク色とムラサキ色のすごいカラーリングで、地味な周辺の景色とまったく馴染まず、かなり浮いて見えた。(いまも変わらず浮いてはいるが、むしろ「映えスポット」として密かに人気だそうだ。)ピンク色の壁にはアルファベットが掘られていて、一体何が書いてあるのかというと、特に意味はないらしい。

週2回、朝7時からの入門クラス。もちろん授業の後は会社に行く。会社は残業が多かった。そして土日はイラストレーター。なんだかやたら忙しかった。20代の若い頃だったからできたんだろう。今なんかもう絶対に無理だ。

さて、最初は腰掛け気分で始めたイラスト稼業。好きな事してお金を頂くのはやはり感動的で、これを一生の仕事にできたらどんなに幸せだろうと思うようになっていた。やれ月刊誌だ冊子だと受注が増えるにつれてついてくる自信とは裏腹に、突き当たる壁もまた高くなる。単純な話だが、基本的な画力がないから、思い通りに描けないのだ。それまで絵の勉強をした事がないどころか、中高で美術部に所属した事すらない、100%ピュアなド素人、至極当たり前の成り行きだった。

ああ、どこかで絵を勉強したい。しかしながら美大を目指す画力も財力はあるはずもなく、今みたいに気軽にイラストレーションを学べる学校なんかまだなかった。街角のデッサン教室はなんだかちょっと違う。何より、会社勤めとフランス語と土日イラストレーターで日々は満杯。絵の勉強のための時間はなかった。こんなんでいいわけないなぁ...。モヤモヤする。

そんなある時。アテネ・フランセの学友と休み時間にお喋りをしていた時のこと。その中の1人が来年には会社を辞めてフランスに短期留学する話を始めるや、その場にいた一同、大いに盛り上がる。「いいないいな」「パリ?」「学校は決まったの?」「何年くらい?」「ホームステイ?」「遊びに行くー!」……私もドキドキしていた。すごいな。すごいな。フランスで暮らすってどんな感じ?

そして、授業が終わって会社へ向かう都バスに揺られながら、ふと気づく。「あ!フランスで絵の勉強をすればいいんじゃない?」
うんとお金貯めなきゃいけないから長期計画で臨まないとならないが、実現すれば絵もフランス語もいっぺんにマスターできる!最強なスキルを携えて帰国したあかつきには、フランス帰りのお洒落イラストレーターとして一躍売れっ子に!いや、ひょっとしたら永住しちゃったりして!うん、国際結婚もあるかも?……妄想が止まらない。そもそも入れる学校があるのか、いくらお金がかかるのか、何年かかるのか……肝心なことはそっちのけ。でも、なんの根拠もなく、フランスに行けばなんとかなるような気がした。絵に描いたような若気の至りである。

もう30年近く昔のことなのに、あの時、バスの窓から見上げる朝の青空が眩しかったこと、生まれて初めて持った「目標」に気持ちが高揚するあまり少し手が震えていたことを今もはっきりと記憶している。

フランス語の学習はがぜん熱を帯び、貯蓄にも精を出し始める。
さあ、果たして、私は絵の勉強をしにフランスへ行けるのか?

次はもうひとつのフランス語学校のお話を。À bientôt!

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