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第2章_#10 いざ、オルレアンへ!!

1994年12月、初パリ。

さて、今日から2泊3日で小旅行に出かける。
オルレアン(Orléans)というところへ行くのだ。

もともと今回の旅は、東京・飯田橋の東京日仏学院(現 アンスティチュ・フランセ東京)の授業をとっていた時の先生が「冬季休暇で里帰りをするから、それに合わせて誰か遊びに来ないか?」という呼びかけがきっかけで実現した旅。
オルレアンの駅には先生が迎えにきてくれることになっていて、ホテルも先生が手配してくれている。現地では車であちこち案内してくれるという恵まれた旅だ。
そして昨夜もわざわざ確認の電話をくれた。本当になんと面倒見のよいことよ!

いつもより早く朝食を済ませると、B子さんがリュックサックに手際よく洗面道具やパジャマなどを詰め始めた。
「スーツケースは持っていかないんですか?」
「2泊程度ならこれひとつで充分よ。」
「じゃスーツケースはどうするんですか?」
「このホテルに預かってもらうのよ。」

初の海外旅行なので、何も知らなかった。
3日後パリに戻ってきたら、帰国までまたこのホテルに泊まる。だから、いったんチェックアウトするけれども、スーツケースはフロントで預かってもらえるというのだ。

「へえ、親切なホテルですねえ」

いや、実はどこのホテルでも普通にやってくれるサービスだ(笑)。
こういうパリを拠点とした小旅行などに限らず、例えば、帰国便のフライトが夜の場合など、ホテルにスーツケースを預けて一日を自由に過ごせるのは本当に助かる。

どんなランクのホテルも基本タダで預かってくれる。ただし、荷物を受け取る際にフロントにチップくらいは払ったほうがいいと思うので、私はいつもそうしている。
あと、言わずもがな、鍵はかけることと、貴重品は入れないこと。それをしないと「開けてくれ、盗ってくれ」と言ってるのと同じだから、万が一盗難に遭っても、それはあなたが悪い、となる。日本とは違うのだ。

私もB子さんの見よう見まねでリュックサックに荷物を詰めて、準備完了。
フロントのおじさんに「Bon voyage!」と見送られながらホテルを後にして、目的地オルレアンまでの鉄道・フランス国鉄(SNCF)に乗るためのターミナル駅、オステルリッツ駅(Gare d'Austerlitz)へと向かった。

オルレアンという名前に聞き覚えのある人もいるだろう。そう、世界史の教科書に必ず出てくるジャンヌ・ダルクが生まれ育った所だ。フランス最長の河川・ロワール川流域のロワール地方、その真ん中より少し上に位置する街。

百年戦争に勝利したシャルル7世が遷都してからの160年間、ロワール地方はフランスの政治・文化の中心で、貴族たちはこぞって城を建てた。今も100を超える当時の城が点在していて、「フランスの庭」と呼ばれている。川の幸・山の幸に恵まれた美食エリアであり、フランス8大ワイン産地のひとつでもある。洗練された貴族文化の名残から「フランスで最もきれいなフランス語が話される地域」であることは、フランス語を学習したことのある人なら一度は聞いたことがあるだろう。

さて、オステルリッツ駅に到着。
パリ13区にあるこの駅は、6大ターミナル駅のひとつで、主にフランス南西部方面の列車が発着する。
パリーオルレアン間は、1時間半前後。
東京から新幹線で熱海や軽井沢へ行くくらいの感じか。

ターミナル駅はどこも大概混雑していて、切符売り場は長い行列がお約束。
今の時代なら日本からでもネット予約ができるが、当時はまだインターネットなどない時代。記憶はないが、当然私たちも行列に並んだんだろう。
まずは、壁一面にズラリと並んだポケットサイズの時刻表を取る。これは路線別に分かれていて、該当する路線を選んで、停車駅や時刻などを確認する。手のひらサイズだが広げるとそこそこの大きさだ。

これがポケット時刻表。当時、日本に持ち帰ったものをそのまま描いた。電子化が進んだ今もまだあるのだろうか。今度旅する機会があったら確かめてみたい。


当時のフランス語力だとおそらく、時刻表の「Orléans」の文字を指さして、指を行ったり来たりさせて(「往復で」の意)、Vサインを作ったりして(「2人分」の意)、チケットを買ったに違いない。華麗なる身振り手振り。
まぁ通じないレベルのフランス語で間違ったチケットを買っては元も子もないから、大事な場面ではよほど言葉に自信がない限りは身振り手振り&指さしが安全だ。あるいは事前に必要事項を紙に書いておき、それを見せるとかでもいい。(紙手渡しは、タクシーに乗るときにも便利なやり方だ。)

奇しくも、先日押入れの片付けをしていたら、当時のチケットを見つけた。具体的な日付などが思い出せなくてモヤモヤしていたので、見つけた時はとても嬉しかった。1994年12月20日と印字してある。まだユーロじゃなくて、フランスフランの頃だよ、すげえ昔⋯。


乗り場へ向かう。
ここで「地球の歩き方」に書いてあった最重要事項を思い出す。
ターミナル駅にはたいてい改札がないので、ホームに入るところにある黄色い機械に切符を差し込んで刻印しておかないと、車内検札でバカ高い罰金を取られるらしい。そりゃ大変だ。ちなみにこれを「コンポスト」という。(黄色い機械はcomposteur、刻印する行為はcompostage、刻印するという動詞はcomposter…まぁ、どうでもいい知識なので覚える必要はない。)

ともあれ、これが、マイ・コンポスト・デビュー。
こ、ここでいいのかな?緊張で震える手でチケットを差し込む。
ガシャリと古めかしい音がする。
「うむ、確かに承った」と言ってるようにも聞こえた。

これがコンポスト。当時の写真がないのでネットで探して描いたが、たぶんこれは私がコンポスト・デビューした時よりもずっと後の機種なんじゃないかと思う。


この20年くらい、パリには行ってもSNCFに乗って地方を旅することはなかったので、いま現在のコンポスト状況がよく分からなくてネットで調べたら、当たり前だがフランスもとっくに電子化が進んでいて、乗客の大半はスマホ画面を見せて、車掌はそのQRコードをスキャンするというスタイルになっているようだ。つまりもう、コンポストはほぼ存在しないということか。

その代わりと言ってはなんだが、「コンポスト」で検索をかけると、切符の刻印云々ではなく、「生ゴミや落ち葉などを分解して堆肥にする処理方法、またはその堆肥」などと出てくる。この30年で時代は完全に変わったのだ。
さっき教えたcomposteur、compostage、composterをうっかり覚えてしまった無駄に記憶力のよいアナタ、大丈夫、そのまま生ゴミの話題に使えるから、わざわざ忘れる必要はない。

さあ、無事にコンポスト・デビューを果たし乗車。座席に座って、発車の時間を今か今かと待っていると、社内アナウンスが始まった。フランス語ビギナーであることに加え、周囲はざわざわしており、しかもすこぶる音質が悪く、くぐもっている。当然のことながら、ただの雑音として右から左へとスルー。

「今、なんて言ってた?」
「え?わかりません。」
「ねえ、フランス語勉強してるんでしょ?」
「B子さんだって、してたじゃないですか!」
「私は半年前にやめたもの。」
「たった半年の違いじゃないですか。」

目くそ鼻くそレベルの小競り合いである。周囲に日本語がわかる人がいなくて幸いだった。

「この列車、オルレアン、停まるわよね?」
「だってそう伝えてチケット買ったんですから停まるでしょう。」

と、その時の私は答えたけれど、その後の30年間幾度も旅をして身に染みたことだが、この国の公共交通機関に「絶対」や「普通はそうだよね」はない。
地方都市からさらに田舎へ向かうバスなどは特に要注意で、ガイドブックや地図に明記された番号のバスに乗っているのに一向に降りたい停留所に着かないから運転手に訊くと「今日は別のルートを走ってるからそこは通らないよ」などと平気で言う。(「乗るときに訊く」が鉄則である。)
だからその時も、もしかしたら、何らかの事情でオルレアンは通過する可能性だってなくはなかった。チケット窓口のマダムは発券するのが仕事だから、客が乗る列車がオルレアンを通過しようがしまいが関係ないのだ。

話が逸れた。(だからB子さんの心配は正しいとも言える、と言いたかったのだ。)

そこにもう一回、アナウンスが始まる。耳を澄ます。よし、今度は全集中⋯⋯

⋯が、

さっき聴き取れなかったものがいきなり判るようになるはずがない。
悲しいかな、単にヒアリング能力の問題なのだ。

「判った?」
「いえ、ぜんぜん判りません。」
「あら、そう⋯」

しょうがないわねと続けたかったのだろうか。ため息混じりにB子さんは後ろの座席のビジネスマン風の男性に、この列車はオルレアンに停まるのか?みたいなことを英語で訊いていた。

モヤる。

なんだか私の落ち度で手間をかけさせている格好になっていないか?
確かに、今回の旅は、私にとって初めての海外だから、ほぼ100%B子さんに依存の旅だ。
だけど、だけど、私だってそれなりにB子さんに気を遣って、B子さんのペースに合わせているんだから!

「よかった。ちゃんと停まるみたいよ。」
安心顔のB子さんにまた少し腹が立った。が、ここは冷静に
「訊いていただいてありがとうございます。」

列車がゆっくりと走り出す。

あまり口をきく気にもならず、車窓の風景も途中で飽きて、ずっとガイドブックを見て過ごしていた。
1時間ほど経って、ふと、B子さんを見遣ると、あろうことか、気持ちよさそうに居眠りをしている。
日本と違い、外国では車内の居眠りは御法度のはずなんだけど。
一体この人は本当に旅慣れているのかしら。
オルレアンについた時に起きてくれなかったら、私は一人で降りるのか、それとも一緒に乗り過ごすのか…。(いま思えば、おかしな心配だ。笑)
モヤモヤしながら、顔をじっと見ていたら、突然B子さんが目を開けた。
目が合う。
「どうしたの?何かあったの?」
半ば驚いたようにそう訊かれて、自分がよほどに険しい顔をしていたことに気づく。
「いえ、なんにもないです。」
あわててガイドブックに目を戻した。

ほどなく、私たちが乗った列車は、オルレアンに到着。
はー、なんだかすでにクタクタだ。

改札に先生の姿が見えた。
「Salut, les filles!」と言いながら手を振っている。
日本語にすると感じが出ないので英語にすると「Hi, girls!」くらいの意味。
日本にいるときと同じ。決して若くない私たちにgirlsと呼びかける先生流のジョークを聞いた瞬間、ほろほろと緊張がほどけた。

楽しい旅になりますように。À bientôt!

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