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さらば、全てのエヴァンゲリオン(シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| 感想)

終わってしまった…

こんにちはリブラです。

3月8日。シン・エヴァンゲリオン劇場版が公開されました。

僕は公開初日に行くことができてネタバレも一切踏まずに見ることができました。

ここからは僕の感想を印象的なシーンをピックアップしてつらつら書いていきます。

といっても公開から3日経ってますが、まだ完全にまとまりきってなく、自分自身エモーショナルな気分なんですけど言語化しづらいクソデカ感情に飲み込まれているので文が拙くなると思いますがご了承ください。

まず映画を見てない人に言いたいのがこの映画は絶対に

映画館で見てほしい

というのが僕からみんなに一番伝えたいことです。

できればTV版+旧劇場版(Air/まごころを、君に)と新劇場版・序・破・Qは復習してから。

エヴァとの出会い。

まず自分はエヴァに7年前にハマりました。

僕はエヴァの主人公「碇シンジ」と同い年の14歳でした。

当時、僕の家庭環境はあまり良いとは言えず、ほぼ毎日父と母は喧嘩が絶えず、決して裕福な家庭ではありませんでした。特に父親が嫌いでなにか父親に気に触ることをしてしまうと殴られたり理不尽に怒ってきたりしてきた父親が嫌いでした。なので父親が仕事で家にいない時はかなり心が楽でした。

そんな家庭環境の中、友達が学校でエヴァについて教えてくれました。当時僕のエヴァの認識は名前は聞いたことあるなぁ程度の認識でした。その友達があまりにもエヴァについて熱弁するもんだからストーリーの大元を予習して話を聞こうと思い、YouTubeでエヴァが簡単によく分かる動画を探しました。

そして見つけたのがこの動画

エヴァンゲリオンがさらに分かる動画:旧

これを見て僕はエヴァの世界観にどっぷりハマりました。

やがて僕は最初にエヴァを教えてくれた友達よりも詳しくなっていました。それからというものエヴァの動画をYouTubeで見漁ったり、新劇場版を繰り返し見たりなどして僕のエヴァは始まりました。

なぜこの話をしたのかというとエヴァの熱量って思春期の自分に投影できるかどうかでかなり変わっていくと思うんです。思春期のころ、悩みもなく人との関わりもうまく接していた人は多分、エヴァにはハマらないと思うんですよね。僕は僕自身シンジと通ずるところがいくつもありましたし、シンエヴァを見るまではピーターパンシンドロームだったと思います。

ここから本編のネタバレが多くありますご了承ください。


まずこの映画はなんだったのか

とてもアバウトなテーマですがこの映画は全エヴァファンの

卒業式

みたいなものと感じました。

終盤はシンジがアスカ、レイ、カヲルに卒業証書を授与しているように感じました。シンジがエヴァに取り憑かれた運命からアスカ、レイ、カヲルを解放し、エヴァのない世界へと作りかえることで本当のエヴァの終結がなされるのです。

エヴァはもう本当に終わって、新しい映像作品は二度と作られないのではないかと思います。とくに本編終盤では完全に庵野監督は終わらせにきていると確信しましたし、エンドロール後の真っ白な背景に終劇の文字を見たとき頭が晴れたと当時にとてつもない喪失感に襲われ、僕は上映後の何分間か少し虚ろげにあたりを歩き回っていました。

エヴァの映画といえば何回も見て考察するのがエヴァファンの楽しみではありますが、シンエヴァに関してはエヴァからの卒業ということもあり、僕は2回目見ることを少し躊躇いました。

卒業式に2回目はない。

まぁ、結果的に2回目見たすぎてみちゃったんですけどね…


・序盤の村のシーン

とりあえずトウジ、委員長、ケンスケが生きてくれてたことにホッとしました。しかもトウジと委員長は結婚していて子どもができているのは少し驚きました。

このシーンはなんといっても映像の綺麗さや繊細さ、一コマに映る膨大な情報量の多さなどに感激しました。可能であれば一コマずつ止めてスクリーンを舐め回すように見てみたいとさえ思いました。

・一人だけ子どものままのシンジ

14年眠っていたシンジは体も心も子どものまま。同級生だったトウジたちはもう身も心も大人になっていました。そんな中でシンジは大人の余裕さや優しさなどを痛いくらいに見せられました。自分がしたことに対しての罪の意識に耐えられない。でも周りの人はみんな優しく迎えてくれてるという心の乖離。自分はこの優しさに甘えることは絶対にできない。何も行動を起こしたくない(もう何か行動をして嫌われたくないから)何も話したくない(もうコミュニケーションをとって人と繋がりたくないから)という心境だった思います。でもみんなが優しくしてくれるのは理屈じゃない。みんなシンジが好きだから。いつも冷たくあたるアスカでさえもシンジにかまっている。それを知ってシンジは立ち直ります。それともう一つ自分以外が大人になっていてズルいという気持ちもあったと思います。いわゆる大人の格みたいなものを見せられ少し妬ましい気持ちももっていたのかななんて思っています。

そして人間の温かみをしった仮称アヤナミの突然のLCL化。それを目の当たりにしたシンジはまた泣いて塞ぎ込むのではなく泣いて覚悟を決めてみんなと同じ大人になることを決めます。

全体的に村での一連のシーンは大人と子どもの違いなんかを見せつけてくるシーンでもあったなぁと思いました。

・マリの存在。庵野監督の自己投影。

新劇場版で初めて登場したマリというキャラクターは完全にエヴァの外部から生まれたキャラです。外部というものはもともとエヴァのキャラというのは総監督の庵野監督の人格の分裂であると庵野監督自身が語っていますがマリというキャラを主に構築したのはもうひとりの監督の鶴巻監督です。なので庵野監督の想像の外で構成されていくキャラであり、それを新劇場版に登場させることでTV版、旧劇場版との物語を大きく加筆していく所謂新劇場版におけるリビルドで最も必要なキャラになってるといえます。

また本編終盤でアスカ、レイ、カヲルは精神世界での描写でしたがマリは最後までシンジと共に戦い、シンジなりの補完の見届け人となりました。

最後はエヴァの呪縛の象徴であるDSSチョーカーをマリが外しましたが、これは庵野監督もエヴァの呪縛から解放されたということで間違いはないでしょう。

庵野監督の自己投影描写には「あぁ、いつものやつやってんなぁ」って感じただけで、あまり気持ち悪さとか自己中心的な感じは気になりませんでした。多分、この自己中心的な描き方が無理な人はかなりいると思います。僕はもう慣れました。

・大人になることができたシンジ

シンエヴァの主軸となるところです。シンジは様々な経験から大人になることができました。僕は本当に嬉しい気持ちでいっぱいになりました。シンエヴァという作品内ででてきた意味不明な単語、説明が全くなされない単語、いくつもありますがシンジが子どもから大人に過程での描写は本当に丁寧に分かりやすく描かれています。

そして、始まる父ゲンドウとの対話。ゲンドウの生い立ち、望みが明かされるなかでシンジはミサトさんからガイウスの槍を受け取ります。他者の思いを受け取ることのできたシンジに向かってゲンドウが「大人になったなシンジ」と言い放つところで僕は泣いてしまいました。ずっとその言葉を聞きたかったんだ。

そしてゲンドウもシンジの中にユイの存在を見つけ出し、ゲンドウの補完計画は幕を閉じます。

ここから補完計画はシンジに移行。シンジは運命を仕組まれた子供たちをエヴァから解放すべく、全てのチルドレンたちの魂を救います。これがシンジなりの補完となります。ここでカヲルくんが円環のことわりの中で何度もシンジと出会いエヴァ世界をループしていたことが判明します。さらに加持とカヲルの繋がり、ヴィレの司令はカヲルだったことも判明しました。カヲルとシンジの対話シーンは印象的でした。

特にシンジの

泣いて救えるのは自分だけだ」

というセリフは本当に感動しました。

そして最後の駅のシーン。

シンジはこの駅でエヴァの呪縛から解放されマリの手をとり駅から出ます。そしてエヴァという長い繰り返しの世界は幕を下ろします。この駅から出るというものは庵野監督自身もエヴァから卒業したというふうに感じ取れました。

僕の感想は以上となります。

この映画を見て僕は他者の思い受け取り、しっかりコミュニケーションをとれる大人になることを決めました。もう子どものままじゃいられません。逃げちゃダメなんです。

もっと書きたいことはあるにはあるんでしょうがなかなか言語化するまでが難しく、果てがないのでここまでとさせていただきます。

庵野監督の次作品の「シン・ウルトラマン」

僕はウルトラマンも大好きなのでとても楽しみです。

期待して待ちたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

庵野監督、その他エヴァプロジェクトに携わった全ての人にありがとう。

運命から解放され新しい世界を生きるチルドレンたちにおめでとう。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。




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