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人の罪、ウルトラマンの罪、そこにある愛——映画『シン・ウルトラマン』感想

 こんにちは。
 結局この原稿に辿り着くまでに3回リライトしました。

 さて、先日念願の『シン・ウルトラマン』を鑑賞してきましたので、その感想をしたためていきたいと思います!
 鑑賞を終えている人の閲覧を想定して書いておりますので、その辺りはどうか悪しからずでお願いいたします。

人間が「考え、挑む」物語

『ウルトラマン('66)』(以下「オリジナル」)に登場する、科特隊の技術者イデ隊員が僕は大好きです。
 いつもおどけてばかりのムードメーカー、怪奇ドラマの雰囲気が強かったオリジナルにポップカラーを添えてくれた存在ですが、
 怪獣に変貌して戻ってきた宇宙飛行士を本当に倒すべきかという葛藤に苛まれる第23話「故郷は地球」など、その立場ゆえか生命倫理・科学倫理の問題を預けられることも多いキャラクターでした。

 そうしたエピソードのひとつに、第37話「小さな英雄」があります。かの有名なピグモンの回でもありますが、この回はイデが科特隊の存在意義に悩む回でもあります。
「我々がどんなに頑張っても、結局敵を倒すのはウルトラマンだ」
「僕がどんな新兵器を作っても役に立たない。それどころか科特隊も、ウルトラマンさえいれば必要ない気がする」
 この問題提起は、後のウルトラシリーズでも各作品の地球防衛チームに引き継がれていきます。地球を守る存在として並び立つ以上、ウルトラシリーズには切っても切れない問題として寄り添い続けているのだと思います。

『シン・ウルトラマン』(以下「今作」)も、それをしっかりと踏襲していました。
 神永(演:斎藤工)の口から「地球が滅亡の危機に瀕している」と知らされた滝(演:有岡大貴)が、悔しさと絶望に飲まれ、まさに「自分達には到底無理だ」「ウルトラマンがなんとかしてくれるでしょ」と吐き捨てるシーンがありました。
 それを見た瞬間、僕の脳裏にはイデ隊員のあの曇った表情がよぎりました。

「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」(以下「SJHU」)という呼称が生まれて少し経ちますが、『シン・ゴジラ』『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』にも、この観念は通底していると感じます。
 核廃棄が生んだ、人の罪とエゴへの復讐執行者——ゴジラ。
 神に迫られた、人類が原罪を贖うための選択肢——人類補完計画。
 人の罪(シン)を裁かんとする、あまりにも大きすぎる存在に対し、人はあえなく絶望のリセットに従うか、希望のコンティニューに奮闘するか。
 言わば、今作で人の犯した罪は「環境破壊」。それにより揺り起こされた禍威獣たちが様々な外星人を引き寄せ、結果としてゾーフィは人間への粛清を断行してしまう。
 かねてからの庵野監督作品群の通奏低音と、オリジナルで描かれていた人間の葛藤が美しい交差を見せたとも、あるいはその通奏低音の起源に迫ったとも考えられる、今作のひとつの大きなコアだと思いました。

「人間と外星人」でなく「生命と生命」

 ついでに言えば、従来のSJHU作品とのもうひとつの共通点として、「個々の存在は極めて薄弱で不条理で、群体として初めて成立しうる不完全な生命体」としての人間と、「超越的な力と自立性を持ち、単体で生存しうる完全生物」とが対をなす構造というのもあると思います。
 完全に敵対したゴジラ、生存を賭けた争いの中で徐々に人の心に引き寄せられた使徒、とそれぞれスタンスの違いはありますが、今作の場合はどうでしょう。
<敵性大型生物>と称されるだけに禍威獣はゴジラに近い感じがしますが、ザラブやメフィラスなどの外星人はむしろ使徒に近い印象を受けます(もとい使徒も地球外生命体みたいなもんですが)。独自の目的のために飛来し、人間に(意味はどうあれ)好奇の目線を向けてみたり、星のあるじとしての座を奪おうとしてみたり。

 ではウルトラマンもそれと同列かというと、(敵性外星人が地球に着目するきっかけとなる時系列的な理由も相まって、)むしろそういったこととは全く関係ない存在と言えます。
 むしろウルトラマンは出自こそ外星人であれ、(自ら言明していたくらいには)人間と敵性外星人の「狭間」に立ち、両方の側の思考や感情を浮き彫りにする、ある種の舞台装置的な役割を果たすものですらあったかもしれません。

 ウルトラマンは結果として地球を守るヒーローになりましたが、あくまでも「ただの外星人」であった、と言えると思います。
『シン・ウルトラマン』が画期的なのは、その視点を、ウルトラマン側の掘り下げをしてくれたことにもあると思います。

 たまたま飛来した星で、たまたま困っていた側の種族を助けたところ、たまたまその種族の一人を巻き添えにしてしまった。
 自分には到底理解しかねる行動原理を持っていた彼に、たまたま興味を抱いた。
 彼を生きながらえさせるためにもと融合したが、たまたまそれがマルチバース世界全てを揺るがすあるひとつの事実を立証してしまった。
 彼の世界で生きるうちに、たまたまそこで得た経験や生き方に感銘を受け、その心は人間に大きく傾いていったために、最後に彼がその選択に至ったのも大きく見ればたまたまだったと言えるでしょう(宗像室長役の田中哲司さんも、パンフレット内のインタビューで「絶対的ヒーローだったオリジナルと異なり、今作のウルトラマンは敵にも味方にもなりうるようなイメージがあった」と述べられていました)。

我々ウルトラマンは、決して神ではない。どんなに頑張ろうと救えない命もあれば、届かない想いもある

——ハヤタ・シン(『ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟』2006)

 劇中でも田村班長(演:西島秀俊)がウルトラマンを「神に最も近い存在」と称していましたが、ウルトラマンからしてみれば、彼ら自身も人間と同じ一個の命を授かった、均等な一単位としての「生命」でしかないのです。
(ちょっと無理矢理感ありますが、ゾフィーが今作で「命をふたつ持って」こなかった根拠もそんなとこにあったりするのかな、などと。)

 であればこそ、絶望していた滝に自分の知識を託したウルトラマン=神永は、そこで劇中で初めて微笑みを浮かべたのだと思います。
 それまではぴくりとも笑わなかった彼が笑ったのは、それをコミュニケーションの手段として用いれるようになった=群体の中のひとりとして、人間の生き方に理解を示すことができたからにほかなりません。そして、その群体=禍特対の仲間をちゃんと信じることができるようになった証左でもあります。当初「仲間」の定義や禍特対メンバーとの距離感すら計りかねていたあの時から比べたら、大きな変化です。
 そんなウルトラマンだからこそ、「友情」というキャッチコピーが成立するのではないでしょうか。

 そしてそれだけではなく、ラストバトルでの一生懸命抗うようなウルトラマンの飛び方。
 あの無機質な見た目からは焦りも恐怖も一切表現されていないはずなのに、ないはずのそれを共感してしまって、正直あのシーンはトラウマになるほど怖かった。
 そう感じる理由も、やはり上記の脈絡にあると思うのです。

(作中全般を通して、ウルトラマンってやることなすこと全部裏目に出ちゃった可哀想な存在だったんだな……とも思ってしまいましたが。)

「リブート」の使命と諸問題

 オリジナル放映当時の視聴者に与えた衝撃は、多大なものがあったであろうと思います。
 TSUBURAYA IMAGINATION(円谷作品サブスクサービス)で遅ればせながらに視聴した僕自身、ジェネレーションギャップに思わず笑ってしまうところもありつつ、やはり基本的には「怪奇」で、「サスペンス」で、もやがかったままなんだけどでもやっぱり多分きっと「ヒーロー」、というのが素直な印象でした。
 その衝撃を現代の人達にも味わってほしい、という意味でのリブートなのであれば、今作はそれに成功しているのではないかと、僕は思います。

 最初に公開されたシン・ウルトラマンのビジュアルに、自分を含め多くの人がざわつき、あれやこれやと憶測を浮かべました。
 実際に公開された映像を見ても、オリジナルでは再現し得なかったような表皮の質感や痩身、まさに「スペシウム133の応用による重力操作」らしい飛び方など、誰にとっても旧知な存在であるにもかかわらず、このウルトラマンとの出会いは誰にとってもかつてないものであったに違いありません。
 それはきっと、オリジナル放映当時の視聴者に与えた衝撃とよく似たものだったのではないでしょうか。

 ドラマとしてももちろんそうです。怪奇ドラマとしての要素が大きかった当時の『ウルトラQ』『ウルトラマン』のざわざわと胸を撫で回すような不穏感が、現代社会で人類を襲う全く未知の脅威としての不気味さにシンクロして、怪奇のリアリティ・解像度がここにきてより高くなる感覚を覚えました。

 また、樋口監督はパンフレット内のインタビューで「好きだから、原作の要素も拾えるものは拾うけど、忠実なだけじゃリブートする意味がない」との旨を話されていました。
 現代社会に外星人が忍び寄るとしたら、それはどのような手法になるか?
 現代における科特隊とは、どこに属する、何のための組織で、どの程度の権力を行使するのか?
 人間はウルトラマンをどう見なし、どんな関係を構築していこうとするか?
 それらの答えは「一度1966年に出ている回答そのものではありながらも、2022年の視点に立って再解釈されたものである」と、僕は思います。

 とはいえ、オリジナルの要素も可能な限り拾いまくってくれていて、オリジナルを視聴しているファンはそれも込みで楽しめる仕様になっていました。
 モーションアクトが古谷敏さん基準であったり、パゴス・ネロンガ・ガボラの体構造が酷似しているという(恐らく回収する気もないであろう)謎であったり、ザラブの侵略行為の根拠があくまでも「それが仕事である」に過ぎなかった点であったり、そのザラブ戦でチョップを痛がるウルトラマン、あくまでも原住種族の望んだことだと言い張るメフィラス、彼の戦略的撤退、禍特対の時計や着信音……挙げればキリがないですが。
(個人的には「ベーターシステム」という掘り込み方が最高にツボでした。)

 あと、ガボラ戦で見せた「飛行姿勢のまま地上に降り立ち、そのまま回転して攻撃する」あの奇妙な技もそう。当時の撮影技法の都合(スーツアクターではなく、飛行姿勢のウルトラマンの人形を動かしていた)でしかなかったものが、こうしてあえてそのまま再現されることにより、正体不明な巨人の全く窺い知れない行動規範や思考、怪しさやミステリアスな雰囲気に拍車をかける役割を果たしたように感じています。

 個人的にはそうしたオタク趣味としての側面が、予備知識のない視聴者が置いてけぼりを食うようなレベルには、今回至らずに済んでいるのではないかと思っていますが、実際のところはどうでしょう。
 一部の人にとってはもしかすると不可解な点があまりに多く残ってしまっていたかもしれないし、少なくとも最後の目覚めのシーンの後に続く展開を想像できるかどうかという違いは確実にあるとは思いますが……。

 また、SNS等を見ていると、やはり「セクハラ」という文字が。
 ざっくり言うと長澤まさみさん演ずる浅見が気合を入れるのにお尻を叩いたり、手掛かりを探るためにウルトラマンにしっかり匂いを嗅がれたり、巨大化して街を破壊しているところを煽りで撮られたり……というあたりのことを言っているのだと思います。
 ファンとして弁明すると、巨大化はオリジナルでもフジ・アキコ隊員が被っている一幕があり(びっくりするほど忠実)、動画撮影はそこに現代の要素を掛け合わせる一個のビビッドなツールである、という以上の本質的意味はないと思います。
 お尻叩くのも……突然赤の他人のお尻を否応無しに叩いているわけではないし、ハラスメントという言葉を使うにはややずれているような気もしますが、感じ方は人次第。
 表現方法が時代錯誤だと言われれば否めないし、不快に感じた人に対して「ただの冗談だ」なんて言えません。浅見の扱われ方がやはりどちらかというと「男性から見た女性」になってしまっている感は否定できないと思います。

 そうした問題も含め、熱狂的なウルトラマンオタクたちの間でもやや心配の声があがったり、「大衆娯楽映画」としてプッシュできるかというと……と渋る様子が伺えました(※あくまでも筆者調べです)。

庵野脚本の中心にはいつも「愛」がある

 上記のフレーズは、パンフレット内のインタビューで長澤まさみさんが語っていたことです。
 鑑賞直後、感想が溢れ出て整理のつかない心の中で、ああ、これは的を射ているのではないか、と膝を打ちました。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』でも、その物語を大きく下支えしていたといえる「愛」というテーマですが、少なくとも本作で感じられた「愛」というのは、そこに携わるクリエイターたちのオリジナルに対する「作品愛」であり、劇中で描かれたあらゆる生命と生命との間に芽生える「隣人愛」だったのだと思います。

 ウルトラマンと融合した神永に振り回される浅見、
 その浅見にベーターカプセルを預けるウルトラマン、
 神永の犠牲は絶対に飲めないと断言する田村、
 滝にデータを預けて微笑むウルトラマン、
 禍特対メンバーに差し出されるコーヒー、
 ウルトラマンが最後に下した決断、
 ゾフィーの慈悲………

 これら全て、やはりウルトラマンが「ただの外星人」であり、かつ「人と外星人の狭間に身を置いた」からこそ描かれ得たものだったなと思います。

(※一度しか見に行っていないため断言できませんが、僕は地球に現れたゾーフィとウルトラマンを救出したゾフィーは別個の存在であると一旦考えています。)

 そんなゾーフィという聞き慣れぬ存在も含め、先に書いた「拾い」をはじめとした多くの要素に、もちろん並々ならぬ「作品愛」もひしひしと感じることのできる、様々な方向に「愛」の溢れる作品だったと僕は思いました。

 惜しむらくは、禍威獣の動きや質感があれほどまでにナマモノであったにもかかわらず、ウルトラマンの動きにはどこか不自然さが終始否めなかったこと……。
 CG的な意味でですよ。モーションアクトへのこだわりは尋常ではないはずなので、やはり見慣れているスーツアクトとのギャップが大きく開いてしまったように感じました。どちらがいい、ではもちろんないのですが。

 あと、個人的には船縁の「あれが全裸なのか着服なのかもわからない」って台詞がなんかツボでした。

 近々また観に行きたいと思っています。加筆したらお知らせしますので、また読みにきてくださいね。

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