#0「コラムと学級通信」
「新聞・雑誌で、短い評論などを掲載する欄。また、囲み記事。」
goo辞書による「コラム」の意味するところである。
思えば昔から雑食のケがあった気がする。エンタメ原体験である特撮ドラマを始め、小学生の頃は自由帳に漫画を描き、中学生の頃は悪友からパソコンのインモラルな楽しみ方を仕込まれ、高校で現在のルーツとなる写真とベースとデザインを一気に始めた。生粋の文化系でこそあれ、その中で色々味見してみるということは人並みにやっていたみたい。向上心という単語に縁のない少年だったが、この点に関して25歳時点の僕は彼を褒めてやりたいし感謝したい。
かたや身の回りいるソングライターたちのように一点に情熱を注ぎ込む仲間や、晴れて手にした自分の仕事に誇りを持って毎日懸命に働く旧友、数は多くないが熱心なスポーツマンの友人もいて、あちこち目移りしては焼きそばも綿あめも水風船も買って歩き回る自分には「一貫性のなさ」や「スペシャリティの低さ」といった劣等感を感じることも少なくない。それは今に至ってもそうだ。デザインや映像を褒めてもらえるのは嬉しいし自信になる。でも僕自身は依然そんなたいそうなことができている気がまるでしないのだ。浅くて広い、だろうか。せめてちゃんと広ければまだいいものだが。
では、そんな雑食・偏食な自分に今できるエンタテインメントは何かないだろうか。
そう考える中で出たいくつかの回答のうちのひとつが、こうして書きとめてみるということだ。
もともと「書く」という行為は好きだ。大学時代なんかは「自分は活字と仲良くなることなど基本的にありえない」と踏ん反り返っていたが、よくよく記憶を紐解けば小学校の図書室の本は一冊返却すればまた一冊、絶えず読み続けていたクチじゃないか。『デルトラクエスト』『怪談レストラン』等の定番タイトルは言うまでもなく、小説やエッセイ、果ては分厚い上中下巻に分かれた『西遊記』をしっかり読了するなどし、貸出カードのハンコ欄を真っ赤にしている12歳の自分と目が合った。
もとい書くということに関しては、詳しくは書かないが高校時代はそりゃあもう大量の執筆活動をしていたもんだ。詳しくは書かないが。
コロナ自粛を契機に、いつの間にかあった読書への苦手意識も払拭し、さればむしろ今書かずしていつ書くか。意図せずしてそんな状態にあったといえばあったのだ。
まあこう書けば大仰だが、物書きをしようと思ったそもそものきっかけは昔から好きなとあるタレントのコラムを最近読み始めたってだけで、典型的な触発に過ぎないのだけど。
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