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幼いころから恨み憎んでいた母と、穏やかに話す私は娘ではない

こんにちは。
ゆせ ゆずな です。

今回は人間関係っておもしろいな、と思うことがあるので書いていきます。
苦手な人がいて困っている人は参考になるかもしれません。
ぜひ、読んでいってください!


訴訟大国のアメリカでは、裁判で争っている人同士でも裁判ではない場面では一緒にコーヒーを飲んで和気あいあいとしている。
ということを聞いたことがあります。

私は今までずっとそれが信じられませんでしたが、最近、母との関係で「ありえるかも……?」と感じています。




今と昔

母との関係(娘として)

 

事前情報

1つの家に父母と姉と私の4人暮らし。
田舎あるあるで、父方の祖父母が暮らす家がある同じ敷地に建てられている家でした。
一見(いっけん)、核家族。でも30m隣に父方の祖父母宅がある。
私有地なので他に家は無し。
土地だけで見れば二世帯同居です。


母は同じ市内から嫁いできました。
しかし父方の家にも地域にも馴染めませんでした。


母が嫌い

母は一見(いっけん)社交的で普通の人ですが、見栄っ張りで自分の意見しか通せず相手を困らせる性格でした。


例えば……
幼稚園のころから、母はよく花を持って園に挨拶にきました。
母にとって「先生=偉い人」(時代錯誤?)だったので賄賂のつもりだったのでしょうか?

あまりに母が花を持ってくるものなので、小学校低学年のころ、先生から「もう学校に花瓶がないからお母さんにお花はいらないですよ」と伝えるように言われました。
花を受け取るときに先生から言っても意味がないから、私にもいった様子でした。

花を持ってくる行為は中学まで続きました。

私はここで反面教師として、「贈り物は相手が無条件に喜ぶわけではない。物や量を間違えると迷惑になる」と学びました。


例えば……
小学校高学年になると自転車で地域内を移動してもいい学校ルールになっていました。
友達と遊びたい盛りの小学校高学年。
放課後に家の近くの、学年が近い子の家に遊びに行きました。

毎回、遊びに行くときはお茶の葉や羊羹など相手の家に渡すように持たされました。
遊びにいく頻度はほぼ毎日。
ストックが増えた相手の家から、遠回しに「これ以上いらいない」と私は言われました。

小学校高学年ながら、母は他の人に迷惑をかけている。
相手の気持ちを考えずに自分の気持ちを押し付けている様子が嫌いでした。


母が憎い

母は普段から見栄を張るからか、夜にアルコールが入ると被害妄想のヒステリックになることがありました。


例えば……
叫ぶ、壁に穴をあける。

例えば……
「子供が嫌い」など暴言を言う。

例えば……
被害妄想で他の人の家に電話で怒鳴り散らす。


私と姉はこうなった母が怖くてすぐに隣の父方の祖父母家に避難します。
子供にとって「母親」の役割ではない暴挙をする姿は異様で、大きな音や言葉の暴力など怖いので逃げていました。

同時に地域の他の人に電話凸で迷惑をかける母が恥ずかしかったです。
田舎でコミュニティが狭いので「あの母親の子供」という目で見られます。


これは小学校から高校まで私が実家にいた期間は年に数回ありました。
翌日は決まってケロッと何も覚えていないように接してくる気持ち悪さもありました。

何度、〇そうか、〇ねばいいのに。と願いました。
父親にも泣いて離婚を懇願しました。


母を恨む

私は社会人で初めて適応障害になった時に自分と向き合いました。
適応障害になった問題が自分にあると思ったからです。
心理学の本を読んで、社会人スクールに通い……分かったことは育った環境で私の認知が大きく歪んでいる。ということでした。

私は母のせいで

・肩身が狭く周りに必要以上に尽くす
・どう見られるかを気にして周りの空気に染まる
・女性の大きな声やヒステリックがトラウマ
・誰かが怒られていると自分かと思う

など、無意識に認知の歪みやトラウマを抱えていました。

そのため母から離れて1人暮らしをしていても生きづらさを抱えることになりました。
私は母をそれまで以上に憎みました。
母をそのように育てた母方の全員を恨みました。


母との関係(他人として)

母に興味を持つ

恨みは何年も続きました。
連絡は経ち、帰省もせず縁を切りました。

その間に私は「1つの物事を多面的に見る」ことの面白さに興味を持っていました。

最初は簡単な気持ちの置き換えでした。
「ピンチはチャンス」「捨てることは何かを得ること」など。

そのうちに
「残業」に対して

  • Aさんは「自分の時間がなくなるから避けたい」

  • Bさんは「仕事が終わらないなら当たり前」

  • Cさんは「残業代が入るからやりたい」

  • Dさんは「今日は仕事終わりは飲み会にいきたいから明日、休日出勤する」

など、〇〇は△△どころではない十人十色のとらえ方があることが分かりました。
それがとても興味深く、自分の状況と感情を書いて、他にどのようなとらえ方があるか、を考える認知療法を趣味として行うようになりました。


その延長線上でふと人に対して色々なとらえ方(役割)があることを思い出しました。
1人の女性であれば「妻」「親」「部長」「先輩」「友達」など。

母方の祖父が亡くなったことも合わせて、母はどういう人だったのだろう、と「娘」ではなく「他人」として興味を持ちました。


母と言葉を交わす

何年も縁を切っていた母ですが、電話越しに会話をすることができました。
それまでの私だったら考えられないことです。
〇ぬほど恨んでいたのですから。

相変わらず母は「母親」ではなく「1人の女性」でした。
私は子供のころに「母親はこうでなくてはいけない」「こうでなくてはならない」という考えが両家の祖父母や周りの父母から刷り込まれていました。

ですが、「娘」ではなく、こちらも「1人の人間」として接すると案外普通に話すことができました。
きっと「娘」として話すと、昔をフラッシュバックして私の頭も心も憎しみに満たされることでしょう。


まとめ

幼いころから恨み憎んでいた母と穏やかに話す私は娘ではない。

「娘」としてではなく「1人の人間」として、「母」にではなく「1人の女性」として接した。
そうしたら穏やかに話すことができた。

という話でした。


今回は私たち母娘の関係を例にしましたが、他の家族や、友人、部下上司の関係でも、自分と相手の役割を変えることで関係完全が望めるかもしれません。

今度は今年中に母に会いに行こうと思います。
「娘」としてではなく「1人の人間」として。

次に私が「母」の前で「娘」になるときは、きっと母の葬式だと思います。


ここまで読んでくれてありがとうございます!
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