刺激多めの半生
わたしは非HSS型HSE
何度チェックしてもHSSに触れないのでそういうもんだと思ってたけど、ある人の言葉で気づいた事がある。
幼少期
『酒宴大好き一族』✕2の元、親戚が集まればお酌をし、歌を歌い、踊りを踊って場を盛り上げる。
家族の外食は居酒屋・外国人パブ・スナックとカラオケがあるところばかりで大人たちにアイドル扱いされる
小学校低学年
共働きを支えていた祖母が実家に戻ったことを受け、4つ下の妹の世話をするようになる。
妹が幼稚園で熱を出せば小2でタクチケ使って迎えにいき、妹の宿題や翌日の準備から洗濯物の取り込みまで担う
小学校高学年
『一匹狼』に拍車が掛かる。いじめられっ子とか転校生とかよく先生に任されるようになる。このときすでに女の子らしい『同調圧力』に巻き込まれてなかったのである程度の自分軸ができていたと思われる
中学生
小学生の時に大好きだった別の学校のスイミングの友達(1つ年上)の子に『大会で会おうね』と誘われて演劇を始める。
面白さにハマり、先輩立てずに役取りに行ってひんしゅくを買いながらもますますハマる。
知らない先輩に『おりはらりあってどいつ?』と教室まで迎えに来られる日が始まる。
平気で言い返してしまうのでエンドレス🤭
演劇を舞台を見た知らない先輩に『さっき〇〇(役名)やってた子だよね?感動しました。これからも頑張ってください』と言ってもらって自信をつける。
親戚の借金の肩代わりで10年ほど住んでた家を追われる。転校先にその親戚の息子がいて気まずい思いをする。でも、元々仲良かったので『親の件はまぁ置いとくか』と話したりはするようになる。彼は竹内涼真似のイケメンだったので『親戚』というだけで妬まれる。
また、それとは別に転校前の部活の大会で『今度お世話になります』と転入先に挨拶に行き、先輩への態度が生意気と同級生に目をつけられていたため、転校初日から何かと何癖つけられるようになる。
それがなくても平和な田舎の学校から今日俺的なクラスに転入し(3階の窓から出入りする生徒あり、午後の授業では後ろの席から冷凍みかん飛んでくることあり、ヤンキーの態度に腹がたった優等生がヤンキーの上靴にイチゴジャムを入れ、それに腹を立てたヤンキーが糸鋸使ってる優等生に後ろから殴りかかり、日常的に墨汁入りの水風船があちこちに仕込まれていていつ被害に合うかわからず…いくらでも出てくるけど長くなるので省略)同じ市内なのにとカルチャーショックを受ける。
部活ではあからさまな嫌がらせをものともせずに通っていたら顧問に『お前の才能を潰すから辞めろ。演劇は高校に行ってからでもできる』と言われて退部する。
また、近所にヤンキーのボス格が住んでおり、雨の日に『乗ってく?』と原チャリ二人乗りに誘われたのを断ったところ女の子ヤンキー達を敵に回す。
学校行くのがめんどくさくなり、ほぼ不登校。
テストも受けたり受けなかったりだったので3年の担任の自称『受験の神様』に目の敵にされる。
『お前は最低ランクの私立専願入試にでも受からない限り高校生になれない』宣告を受ける。
転校前までは成績が良く、地元の高偏差値校に入れるつもりだった父が激怒。
『受験料払うのも受験するのもあんたじゃないのに願書も書かせないことはどういうことだ』と担任にブチ切れる。
結果、父が『最低でもここへ行け』と妥協した公立高校を受験。
発表見に行くのがめんどくさくで昔の友達に頼んで結果を知った私は友達からの報告を頼りに合格者の集まりに中学へ赴く。
出席番号順に名前を呼ばれるのに私が飛ばされ、『げ
💦友達の見間違いか😱』と焦ったところ自称受験の神様に呼び出され、『お前、公立高校にどんな手使ったんだ?』と威嚇される。
…実力に決まってんだろう…と内心燃え盛るものを飲み込む。
高校生
進学した先には転居の原因になった家庭のお姉ちゃんがいて因縁を感じる。
お姉ちゃんはさすがに話しづらかったらしく一度も話すことはなかった。
人生で初の皆勤賞。
クラスの2/3参加のスノボ&スキーツアー企画。
さすがになんかあったら怖いので若手の先生も巻き込む策略発揮。
その後も人数減らして行ってた何度めかのツアーで2泊3日の初日にスノボで転倒し、初の頚椎捻挫と靭帯損傷。
以降、交通事故によるムチウチを重ねていくことになる。
やりたい部活がない高校に進学してしまったので同級生と『演劇同好会』発足。
部室もない中、営業して近隣の養護学校や老人ホームなどに公演に行く。
テレビのバイトを始める。
その後雑誌・ラジオ・県外イベントなど経験するも『私は舞台で芝居やりたいだけで芸能人になりたいわけじゃないな』と気づく。
この頃からヤバめなストーカーとの戦いが始まる。
家での父との確執がどうしようもなくなり、バイトで稼げることも確認できたので学校の先生に『学校辞めて自活したい』と申し出る。
『せっかく入ったんだし…』と親身になっていただき、親の説得に力を貸してもらう。
結果、学費は親が出し、実家の近くで独り暮らしをすることに成功😁
ただ、思ったほど世間は甘くなく、バイトに明け暮れて部活しに学校に行く生活になり、単位を落とし始める。
友達が『一緒に卒業させてほしい』と先生に頭を下げてくれたおかげと、教科担任の先生方に恵まれたおかげで補習で単位取得して卒業。
『俺の指定した高校に入ったら借金してでも大学に行かせてやる』と言っていた父が高級車を買い『お前を進学させる金はない』と言い出したので進路に悩む。
部活の先生が劇団の募集要項を取り寄せてくれたので受けてみようかと熟読したら締め切りすぎてて爆笑🤣
かけもちでバイトもしてたし、進学校で就職に強い学校でもなかったのでそのままフリーター突入。
ちなみにこの当時『若作りした短大生』『人生太く短く生きてる人』と評価されていた。見た目が大人びてるわけではないのに(小柄だし)すでに貫禄をまとった存在だったと思われる。
自由な暗黒時代
『生活資金のために働く』ではつまらないと感じ、アパレルに転職。様々なブランドを渡り歩く日々が始まる。店の洋服を社割とはいえ買わなくてはいけない店ばかりで稼いだお金の大半を衣類に使う。ファッションビルや百貨店で働いているので休憩中には他ブランドにも遊びに行くようになり、仕事着以外にも山ほど服を買い込むようになる。
お金が回らなくなり、一旦実家に戻る。
アパレル辞めて携帯ショップで働く。
映画やイベントの仕事は細々としつつもやはり違和感からは抜けられず演劇サークルを立ち上げる。
棚卸しの日の残業時間にブチ切れた父に反対され、販売に戻る。
メンズ雑貨、版画やポスター、ジュエリー、アクセサリーと興味のあるショップを渡り歩く。
アート系の店ではポップアップイベントで大阪にも呼んでもらえるようになる。
それまでにも何度か交通事故にあっていたせいか脆くなってる身体でまた交通事故に遭い、またまた頚椎捻挫。首にコルセット巻かれて店頭に立てなくなり、タクシー通勤でヤバい運転手さんに当たったことから転職決意。
『OLだけはやらない』という食わず嫌いを克服すべく初めて経理部で事務職に就く。
転機
OLやった会社でその後の夫と出会う。
会社でトラブったのもあり、退社。
派遣で働き始め、その後結婚。
持病で『子供は産めない』と言われていたのに立て続けに年子1男1女の母になる。
『やっと平穏な生活』と思った矢先、子どもたちにあれこれと病気がみつかる。
そして夫の発達障害グレーが発覚する。
以降、『働くことは好きだけど、私は育児と両立できるタイプではない。育児に関しては最優先で取り組んで子供の成長を見逃したくない』と決意し、収入を得ることより子供との時間を取る生活に入る。
…が、妊娠中『心配だから』と仕事をやめてしまう夫のため、年子妊娠中に殆どの貯金を食い潰し、やりくりと細かい時間を利用したパラレルワーカー生活が始まる。
販売の経験を活かし、ネットで買った洋服をコーディネート転売して利益を上げる。
子供が小さい時はその他各種短髪派遣登録先の仕事で繋ぎ、子供の成長とともに最適な働き方とやりたい仕事でパラレルワークとママ生活を楽しむ。
近い過去
子供の事を細かく書くと彼らのプライバシーにも関わるのですっ飛ばして。
その間に母が癌になり、1度目の先生の諸々のケアの悪さで再発。末期癌余命三ヶ月の宣告を受ける。
『個性を伸ばす』育児をしてきたので夫も含めてんでばらばらな個性をまとめるのは一筋縄ではいかず疲弊する。
下の子の高校進学問題で育児方針が決裂したことをきっかけに養育費なし、夫には母の住んでいた家(子供の度重なる手術で助けてもらうために近所にで独り暮らししてたけど妹と同居することになった)を家電付きで引継いでの離婚。
子どもたちとの3人での生活が始まる。
現在
子供達はそれぞれ大学へ進学。
娘は近くでひとり暮らしを始める。
元ダンナとも家族それぞれがいい距離感になり、過去最高にいい感じになっている。
振り返り
…ということで。
昔は海外に行きたい思いがあった時期もあったし、出かけるのも今ほど嫌じゃなかった気がする。
でも、人生デザイン占星術では『本質はひっそり暮らしたい人だけどやることなすこと目立つ』という結果が出ており、本来持つ2面性の片側だけを酷使してきた気がする。
私は『人生の幸不幸の量はすべての人において平等』と思っている。
だから交通事故にあえば高額懸賞当選するし、先にツイてることが起きれば必ずセットで何か起きてきたので『何事もフラットに受け止める』ようになってきている。
この発想でいくと『本来持ってる外向きの力を全開で生きてきたので今はひっそりしたいのかも』という考え方に行き着く。
…しばらくひっそりしてたらまたキャラ変したくなるのかも🤔
結論
『りあさんは刺激だらけだったのかもしれませんね』
…そうですね…どこ切り取ってもネタかけますよね…
端折ったところも結構あるので書き出したらかなりのボリュームですよね…💦
…ということで。
たぶん今の私は『刺激物、もうお腹いっぱいです』なんだと思う。
15年くらい前から子供に『誕生日くらい平和に過ごさせてほしい』とお願いするようになり、『誕生日に何欲しい?』と聞かれると『平穏な一日』と答えるようになっている。
※ちなみに今年の誕生日は焼き肉奢ってもらって親子で楽しく…の予定だったのですが、色々なボタンのかけ違いから『ホールのショートケーキを買い与えられ、ひとりで泣きながら食べる』という時間を過ごしております🤣
本来の私は非HSSではないのかもしれない。
でも、どっちでもいいじゃん?
自分の気持ちがちゃんとわかってれば。
私は『自分の人生のデザインは自分で描いて楽しめる人を増やしたい』という活動をしており、そのためには【三種の神器】が必要だと思ってます。
自分だけの羅針盤
自分だけのモノサシ
自分だけのてんびん
これさえ抑えてれば、『〇〇診断』でどう分類されてもうまぁく活かして楽しめます😁
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