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対価は別のかたちで帰ってくることもある

こんにちは。

今日は、お金と対価について思ったことがありますので、そのお話ができればと思います。

よく、お金はエネルギーであり、手に入れたいものの等価交換(対価)としてお支払いする。

という法則を耳にすると思います。

わたし自身、これはその通りだなと思いますし、自分自身もお仕事をしていく中で大切にしていることであります。

ただ「対価は、必ずしも自分自身が想定している形で返ってくるわけではない」とも思ったのです。

気付かせてくれた・・という方が正しいかもしれません。


例えば、よくありがちだなと思うのが、講座の受講や資格取得について。

当初は、希望に満ち溢れた状態で「この講座を受けることでなりたい自分に近づける」ような気がして応募しますよね。

でも、実際問題、全員が全員そうではありません。

中には「あれ、思ってた感じと違うな・・」とか
「あんまり楽しくないぞ」だったり「果たしてこれが本当に自分のやりたいことなのだろうか・・」など、講座を受けたことで、悩んでしまうこともお有りではないでしょうか。

だけど、せっかくお支払いした受講料を無駄にしたくない!という気持ちと「私はこれをやると決めたのだから」という、自分で自分を縛る思考グセにより「違和感を感じている状況にもかかわらず、その道を進むことを選ぶ」という矛盾が発生したりします。


このケース、実はすごーく多いと思っています。
SNSを見ていても、なんとなく分かってしまいます。

「ああ、この人、これが本当にやりたいことではないのかも・・?」とか・・
ひとつひとつの「表現(投稿)」に、良いバイブスを感じないのです。
というより、ちょっとネガティブなエネルギーを纏っている印象です。


ここでお伝えしたかったことは
「対価は必ずしも自分が望んでいる形で返ってくるとは限らない」ということ。
(この場合の望んでいる形とは、おおかた「知識と自信がついた自分」「お仕事ができるレベルになっている自分」かと思います)

もしあなたが、違和感を感じてしまったのであれば、それがひとつの得られた「対価」だと思います。
お金を支払うことで、対価として「この道は進まなくていいですよ」ということが分かった。ということです。

そして、それを手放すことにより、新たな対価と出会うことがあるかもしれません。

えーー、せっかく支払ったお金が、そんなことで対価になるなんて勿体無い。
と思ってしまうこともあると思います。

そういう方ほど「やめることが苦手」だったりします。

お金をかけたことで、自分自身の向き不向きが理解でき、さらに別の道に目を向ける決心ができた。

とっても大きな収穫だと、私は思います。


私がリーディングや、セッションの中で「興味のあることは、できる限りGOして、体感して、本当に自分に向いているのか理解する」を進めるのは、この考え方がベースにあるからです。

大なり小なり、対価を支払わなければ、体感も得られない。
何も交換せず、ただ答えだけ欲しい。は、不徳だなぁ・・と思います。



今日も最後までお読みいただきありがとうございました○




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