2023年、イイニコの日

2023年のイイニコの日を迎えた。毎日仕事に忙殺されて考える余裕もなかったが、久々に彼らに思いを馳せてみようと思う。

高校生のころ狂ったようにDVDでライブ映像を見ていた1125/2013から10年、チケットを握りしめて友達と幕張メッセまで行ったニコフェスト!から6年(!)時の流れはなんて早いんだろう。NICOが解散してからも4年が経ってしまった。時が経つとともに、あんなに熱狂的に好きだったNICOのことも毎日思い出さなくなっていくのだから寂しいものである。でも、心のどこかにはずっとNICOがいる感覚もある。自分の青春時代である高校生、大学生のときにずーっと聴いていた音楽だから、そりゃそうか。通勤中の車の中でエトランジェやプレイヤを聞くと、心がキュッとしてしまう。

やはり、NICOらしい曲と言われれば私が思い浮かべるのは青盤の曲たち。青盤を製作した際の彼らの頭の中はわからないが、無理に明るい曲をつくらず、売れる売れない関係なしに自分の中にある暗いものをそのまま音楽にぶつけているのが最高だなあなんて思う。私はただただ明るいだけのバンドは苦手だ。夢だけでなく、現実や世の中の暗い部分まで歌って、それでもどうにか生きていこうぜ、というスタンスが人間臭くて好きなのだ。ただ「頑張れ!」「負けるな!」なんて歌われてもちっとも心に響かん。NICOは私たちの暗い部分に寄り添ってくれる。だから惹かれたんだろうな。

みっちゃんのバンド、ZIONが始動してしばらく経つ。でも私は、ZIONを素直に受け止められていない気がする。ZIONの曲ももちろん聴いた。とても良かった。みっちゃんの歌声がのびのびと響き、楽器陣もそれに寄り添うようですごく素敵。しかし、やっぱり私はNICO Touches the Wallsの光村龍哉を望んでしまう。みっちゃんの新しい道を応援したいし、それがファンの在るべき姿なのだろう。私は嫌なファンなのだろうか?そんなことを最近はぐるぐると考えてしまう。

ではなぜ、みっちゃんの新しい道を素直に受け止められないのか。それはNICOに未練タラタラだから。もっとNICOのライブを観たかった、もっとNICOでワクワクしたかった、心を動かされたかった。そんな思いがずーっとある。もう一度プレイヤを生で聴きたかったな、N極とN極も聴きたかったし、エトランジェもBroken Youthも...。音沙汰がなくなってある日突然活動終了を宣言されたら誰でもそうなるだろう。せめて解散ライブでもしてくれたら...。まあ、そんなたらればを言っていても起こってしまったことは仕方がないのだが...。この先の人生、私はこのNICOへの苦しい思いを昇華させることはできるのだろうか。できるとしたら、彼らが再び集まって音楽を鳴らす日なのだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?