削れたシーリングワックスに頼もしさを感じて恥ずかしくなった話。

年賀状も送らなくなって久しいのだけれど、せっかくだからと今年はクリスマスカードを送ってみた。
とはいってもおそらく年賀状よりも遅く届くような日に出してしまったのだけれど。。。

私が送ったものと入れ替わりのように、たくさんの文字のつまったクリスマスカードが届いたのは私が北極圏でスキーに勤しんでいる最中で、帰ってきて机に置かれた封筒を見た私は、長旅を共にした重いコートを脱ぐよりも前に、手紙を開けていた。

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「たまには東京の電線が交わうせまい空も恋しいかと思いまして。」
ありがとう。
ついでに、寒空の下の肉まんも恋しくなりました。

そんな粋な計らいのできる友人からの2通目の手紙には、ここまで来た距離を思わせるような削れたシーリングワックス。

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2通目を目の前に私は、コートを脱ぐ暇も惜しく開封した前回の勢いはどこへやら、いったい何が正解なのかわからず、爪先でカリカリとやってみたりした後、結局やっぱり、カッターに頼った。

手元におしゃれなペーパーナイフでもあれば雰囲気よかったかなぁと、小さな購買意欲を掻き立てられたのは、別のお話。

このシーリングワックス、彼女が自分自身へのクリスマスプレゼントとして手に入れたらしいのだけど、このコロナ禍で在宅業務やオンライン飲み会やらが流行った2020年の暮れに、まさかそんなアナログなものを手に入れるなんて。

どうやらなかなかの工程と時間をかけて封がされたらしいこの手紙。
手間ひまをかけてくれたにも関わらず削れてしまい、それでも封をしてくれている姿は、なんだかちょっとだけ頼もしくて、その頼もしさに少し恥ずかしさを感じてしまったのは、そういえば私は今、そんな距離にいるんだよなぁとか思ったりしたのが理由です。

実はね、本当は。
素敵なクリスマスカードをもらったことを、同封されていた写真についてを、もっと早く書き留めておきたかったのだけど。
ぐるぐる悩んでいるうちに届いた、削れたシーリングワックス。

いやそれを受け取ってからももう大分たつのだけれど。

遅筆なもので、許してください。

2021年、今年もどうぞよろしくお願いします。

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