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記憶をたどって書いてみること。△編1

幼少期に住んでいた国の交通状況を一言で表すなら、「無秩序」

日本の交通事情しか知らずにその文化に触れることは、こども視点で見てもあまりにむちゃくちゃだった。

そのむちゃくちゃを超えて不思議なのは、そんな状況にも次第に染まっていく人間の順応力である。

適応ではない。順応である。ただただ染まっていくんだ。

信号のない道路で車をよけながら歩くことも、車線なんかどこにあるのかわからない状況の車に乗っていることも、その車の窓を道行く物売りにノックされることも、日常のとある一コマでしかなくなる。

しばらくその国で過ごして日本に帰ってきた私に身についていたのは、小道くらいなら(たとえ信号が赤でも)自分で車止めて渡ってやろうという、とんでもない勇ましさだった。

これは本当に要らない勇ましさである。

そして当たり前だけど、車は止まってはくれないし、なんならクラクションで怒られる。

どの車が誰に向けて鳴らしているのかなんて、とてもじゃないけど判別のできないほどにクラクションの鳴り響く街と、基本的にはしっかりと信号を守る街中で明らかに自分に向けられて鳴らされるクラクション。

うるさいのは前者のはずなのに、耳の奥まで響いて冷や汗をかき、居心地が悪くなる後者のクラクション。

おかしいなぁ、あの国なら歩き出せば車が止まってくれたのに。

ドライバーに対して理不尽な愚痴まで出てきそうになった。
というより内心悪態をついていた。悪いのは私なのに。

車を運転するうえで、人がどこからか出てくることがあるという点については、教習所でもしっかり習うんだからちゃんとそれを想定しておいてほしい。

どうしてお金を払えば免許がもらえる国でそれができて、日本ではできないんでしょうね。

無秩序の秩序。秩序の無秩序。

理不尽極まりないニンゲンの自己主張。

何を守って何に守られて生きているのでしょうかねぇ。


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