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「ありがとう」「ごめんなさい」を言わせようとしてわかったこと



「ありがとうは?」と言わせることの
意味のなさを、
息子が2歳の時に知りました。
  
  
わたしの弟が息子の誕生日祝いを持って来てくれた日、目をキラキラさせて喜ぶわが子。
  
袋を小さなおててでビリビリ開けて
嬉しそうに遊びだす。
  
  
……?
  
「ありがとうは?」
  
そう言って、ありがとうを言わせようとしている自分に、なんとなく矛盾を感じた。
  
結局その場は「ありがとう」を言わせたけれど、自分の気持ちが美しくない。
  
  
◉せっかく持って来てくれたのに、自分から「ありがとう」言わないって…
そんな育て方してるわたしってどうなん?!
  
実の弟の前ですら
自分のことしか考えてない自分に
なんだか嫌気がさしたな。
  
  
◉このまま「ありがとう」も言えない子になったらどうすんの?!
  
まだ来てもいない未来の心配をして
今の時間を過ごすなんて
どんだけしんどいことしようとしてるんだ?
これから続く子育て、身が持たないなって思った。
  
  
  
結局のところ
親から子どもに何かを〈させよう〉としている時って、
  
自分がどう見られてる?
を気にし過ぎている状態で
何一つ子どものためじゃないよなー
  
  
どうなるかわからない未来に気が奪われて
子どもに何かを〈させよう〉とするのは
  
自分が安心したいだけだよなー
  
という結論が出た。
  
  
  
自分に嫌気がさすのもイヤだし
子どものためみたいなフリして自分のことしか考えてない自分がイヤだし
ほんとに子どものためになることしたいし
  
そう思ってその日以来
  
「ありがとうは?」をやめた。
  
  
わたしが「ありがとうね〜^ ^」って言えるシチュエーションなら
わたしが率先してよろこんで言えばいいじゃない^ ^
  
そう思って。
  
  
「ありがとう」も「ごめんなさい」も同じ感覚で、
  
〈させよう〉とするよりも
自分から〈必要〉と思えるような雰囲気であったり環境であったりを設えるほうが、子どものためだと思った。
  
  
  
ほんとうに子どものためなのか?
  
  
ここは結構意識して
『基準』というか、
  
わが子だけじゃなく、関わる子どもに
こだわってきたところなんですよね^ ^

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