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Friday log #14 (1/20,1/27) Sunny side road



みなさんおかわりありませんか。ロンドンは、かなり晴れていて少し暖かい日が増えていて個人的に好きな気候です。今日は晴れかな〜と思いながら毎朝カーテンを開けるのが最近の楽しみです。

成長を感じた2週間でした。「これ以上頑張ったらメンタル崩すだろうな〜」「ここで我慢したら、逆にストレス溜まっていっぱい食べちゃうだろうな〜」「風邪ひきそうだな〜」「ここでちゃんと言わないと後々メンタルにくるだろうな〜」みたいな、1学期に経験したからこそなんとなく傾向がわかってきました。だから、「頑張りすぎる前に少し休む」「ほどほどに我慢せずに食べる」「風邪ひきそうだから薬を早めに飲んでおく」「ちゃんと自分の意見を言う」みたいな先回りができるようになりました。これは多分自分で自分の機嫌を取ると言うことだと思うので、できるようになってきて嬉しいです。大人になっちゃったのかも!

この前、友達とミュージカルを見に行ったのだけれども、その道中ずっとUCLの愚痴を言っちゃったんですね。授業が少ないとか、課題が少なくて勉強しているきがしないとか、ストライキが多いとか、そう言う類のです。でも、ふと、私は果たして本気で勉強しているのかと思って、いやしてないなって思いました。授業とかセミナーには今の所100%行っているのですが、ちゃんと全集中して学ぼうとしているかと言われたら違ったような気がします。でも、愚痴を言ったところで何も始まらないし、多分このまま愚痴だけ言って、UCLのせいにして、自分の選択なのにアメリカの大学とか日本の大学とかを羨んで、何も行動せずに終わっちゃうんだろうな、と思いました。今まで「UCLは緩い」「UCLの勉強は足りない」と言い続けていたのは、「自分の学び方による学びの質の低さ」をこう言うふうにUCLのせいにすることによって自己正当化していたのだと思います。正直ものすごく反省しました。だから、とりあえず三週間分のレクチャーを全部見直したりリーディングを本気でやるし、やったらやっぱり全然量は多くて大変だけど面白いことに気づきました。これ、一年生のうちに気がつけてよかったなあ

頑張ってかいた人類学のエッセイの点数がものすごく低くてすごくショックを受けました。でも、これは昔から直視したくなかったから忘れたふりをしていた自分の英語力の低さとか、文法がめちゃめちゃなところが問題なわけで、点数が低いことは自分でもものすごく納得いくのが悔しいです。悔しいから、大学3年間かけて文法とアカデミックライティングを一から勉強し直そうと思います。あれだけ苦手だったら英語の本も最近読み始めてちょっとづつ読めるようになってきたし、チューターとも話してエッセイをさらに見てもらえることにもなったし、友達のエッセイもシェアしてもらいました。正直19年間、自分で何か成功を収めたな〜と思うものは全部号泣するほど挫折してから、それでもなんとなく諦めずになんとなく続けたら得られたものなので、この法則を信じて誠実に頑張ってみたいと思います。いつも、人生の分岐点みたいなところにふと現れてふと心に刺さり続ける言葉を言ってくれるお兄さんがいるんだけど、その人に冬休み「精一杯勉強すれば、専門性は身につくよ」ってぼそっと言われたことがすごく心に残っています。でも、このお兄さんにこう言われたってことは、自分を変えるタイミングだったのかもとも思いました。自分を変えるタイミングが何度も得られるということはすごく恵まれていることです。

正直、点数は正直毎回いつでもどうでもよくて、そんなことよりも中身が評価されなかったという事実がすごく悔しいです。でも、これは履歴書とかにも同じことが言えるなと思ってまたすごく反省しました。Linkedinとか履歴書とかを作り始めて、自分の受賞歴とか経歴とか学歴という「形ばかりのブランド名」に自分が酔っていないだろうか、そういう「形ばかりのブランド」や自分のハッシュタグを外したときに、私は胸を張って「こんなことを頑張ってきました!」と言えるのだろうか、と猛省しました。多分私はこのブランド名とかに酔ってた気がします。大学も、大学のブランドも、優秀な友人も、褒めてくれる大人も、すごく嬉しいし大切だしありがたいけど、自分が行動しないと何も変わらないのだと思います。これを忘れていた気がするので、2023年はそれをがんばりたいな!

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