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蛇口からチラシ


先日、自宅のポストをチェックしたら、スーパーのチラシが入っていました。普段チラシは目もくれずに捨ててしまうのですが、何となしに広げたところ、懐かしい気持ちがぐわっと襲ってきまして。小学生の頃、いやもっと小さい頃かも、チラシの画像を切り抜いて、ノートに集めてたことを思い出しました。おしゃれに言えばスクラップブック。おしゃれに言わないとなんだろう、切り抜き帳? 英語か日本語かの違いか。

例えば、これ。

はあ〜!!直方体の画像切り抜くの、ワクワクしたなあ〜〜!なんてったって簡単だから。
四角形に見える(その頃、まだ直方体という概念を知らなかった)のに、切り抜いた後の形は四角形じゃなくて、困惑したっけなあ〜!

例えば、これ。

そうそうそう!大根とかにんじんとか、切り抜きやすいんだよなあ!レタスとか生姜、あれはダメだ。複雑すぎる。大根の形ってシンプルだから、カンタンに切れるこの感じがいいんだよなあ。実物と一緒だなあ。

一方で、こういうのも好きだった。

塩梅がいいんだよな〜〜!一見複雑そうに見えるけど、案外そうでもなくて、スイスイ切り抜ける。そのくせ達成感はひとしお。コスパがいい。

商品以外にも、こういうのも好きだった。

9と8。たまんなく切りやすいんだわ…。丸みがいい。二頭身のキャラクターみたいな、そういう類の愛らしさがある。

ただ、一番好きだったのはこれ。

1.5ℓペットボトル。神。直線のようで曲線のフォルム、蓋の部分は、ハサミとチラシの両方をうまく動かして綺麗に切り抜く。底の部分が意外と難しいんだけど、うまくいくと得も言われぬ感動がある。


ここまで書いていて気づきました。ああ、私はスクラップブックを作るのが好きだったわけでも、画像を集めるのが好きだったわけでもなく、画像を切り抜くのが好きだったんですね。チョキチョキ細かく切ったり、スーッと流れるように切ったり、あの時間が好きだったんですね。なるほどね。

なんの話をしているんだろう?
以上、チラシの切り抜きの思ひ出についてでした。

今週の質問:世界の理(ルール)を一つ変えられるとしたら、何を変える?

締切をなくしたいです。

憎き締切。でも、いつもありがとう締切。

締切なんて設けるから人は苦しむんです。締切なんて設けるから、仲違いするんです。作りたいときに作る。出来上がったら確認する。それでいいじゃないですか。そっちの方が、良いものできるかもしれないじゃん。ダメですか。いつまでも出来上がらないか。人間は怠け者だから。締切って、性悪説に則っているんですかね。


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