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みずうみのにおい

10年前のちょうど今頃です。

中学にあがって初っ端の校長放送で、茨木のり子さんの詩「みずうみ」が紹介されました。

一部を引きますね。


人間は誰でも心の底に
しいんと静かな湖を持つべきなのだ

田沢湖のように深く青い湖を
かくし持っているひとは
話すとわかる 二言 三言で

それこそ しいんと落ち着いて
容易に増えも減りもしない自分の湖
さらさらと他人の降りてはゆけない魔の湖

教養や学歴とはなんの関係もないらしい
人間の魅力とは
たぶんその湖のあたりから
発する霧だ

茨木のり子詩集『落ちこぼれ』より

霧かなるほどなと思いました。頭で理解するより先に、心が納得しました。

「霧だ…」と言葉を発したときの、校長先生のしっとりと澄んだ声音まで覚えてます。「霧か…」と腹落ちしたときの、じんわりと腹の底があたたかくなった感覚も覚えてます。

そのときから、心にみずうみをもち、みずうみの水を絶やさないよう心がけることが、私の行動指針になりました。

そのために、ひとやものを「ためつすがめつ」して、考えたことを表現するために、あーだこーだと言葉を探すようになりました。

ばかまじめながら、不器用ながら、できるかぎり、やってみました。

「みずうみ」と出会ってから10年経ちます。
みずうみをなんとなーく感じながら、頑張ってきました。でもここ2〜3年は、実はやや枯れ気味。
まあ伝染病のせいも多分にあるだろうけど、あれあれあれ…と思う間に、みずうみがやや塞がれてしまった感があります。

目の前のタスクをこなすのに精一杯で、自分とうまく向き合えていなかったんだと思います。

目標の旗を地中深く突き立てることなく、闇雲に走っている姿をみて、親友は「理想なき理想主義」と言い当ててくれました。

数ヶ月前、本格的にすってんころりんしたので、「こりゃあ本格的にやばい」と思い始めました。

就活なるものを始めてみたけど、そもそも自分にピントが合ってないんだから、できるはずもなく。どうすっぺか〜と悩んでいた矢先に、見つけました。
インターンの採用サイトで、ランニングホームランのページを見つけました。これだわ、と思いました。頭で考えるより先に、心でそう思いました。他にもいろいろ見たんですけど、ランニングホームランには、結構な霧が立ち込めていたように感じました。

私が「蔦の家」のインターホンを押した(文字通り押しました)のは、みずうみのにおいを嗅ぎつけたからと言ってもいいです。

案の定、お会いした皆さん本当に誰もが、心にみずうみを持っておられる。

行動原理が「なにをしたいか」というより「どうありたいか」で、「これをやりたいから、これをする」というより「こうありたいから、これをする」という考え方。素敵だな、マッチョだな、と思いました。

みなさんのみずうみを、ほんのちょっとでもいいので、いややっぱりしっかりめに、のぞかせてもらえれば嬉しいなと思ってます。

今週の質問:皆さんが人生で最も全快放した時を教えてください!


そうですねえ。

似てるけど、嬉しさともちがう、幸せともちがう、喜びともちがう、「快」ですって。「快」ですって。

人からどう思われるだろう…とか思わずに、考えていることをブワーッとストレートに書けたときですかね。頭じゃなくて、心で書けたときですかね。

でも、「全」面的に「快」を解き「放」った時でしょ…、これだ!って自信をもっていえるのないですね、1週間考えたんですけど。

ランニングホームランのみなさんと自分自身を「ためつすがめつ」しながら、「快」を探り出していきます。

そのために、

・心を落ち着けて、何事かとじっくり向き合う
・無邪気に我を忘れて、何事かに没入する

そういう経験を、小さくてもいいから積み重ねていきたいなと思います。

うっすい霧ですけど、そこから絞り出した「ひとしずく」をね、書きたいと思ってます。


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