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蛇口日記 2023年12月4週



12/18(月)
やったー土曜日だと思いながら起きたら月曜日だった。誰も悪くないけど大損した気持ちになる。憂鬱なまま、最近ハマっている冷凍の焼きおにぎりをチンする。焼きおにぎり1個、これがほんとうにちょうどいい。パンを焼くより楽だし、卵かけご飯やお茶漬けよりも咀嚼できるし、味も濃過ぎないし、500wで2分温めればいいだけだし、お腹にもほどほどにたまる。最高だ。食べ終えて、冷えた麦茶を一気飲みする。妙にお腹が空いて、コーンポタージュも飲む。胃袋の中で焼きおにぎりとコーンポタージュが混ざり合う。ミスマッチ。気づかないだけで、胃袋の中では日々驚くようなミスマッチが起きてるんだろうなと思う。

「えっ俺、この人と混ざんの?」
今頃、焼きおにぎりも引いてるかも。
てことを考えているうちに定例会議の時間になる。朝イチの会議は、みんないつもとちょっと声が違う。今からエンジンかけていくのだろう。

12/19(火)
口の中の痛みで目が覚めた。
やったよ。まただ。
高校生の頃から歯の食いしばりが続いているためいつもはマウスピースをつけて寝ているのだが、たまに忘れてしまうことがある。たいていは忘れてたーで済むが、ときどき口の中を傷つけてしまう。鏡で確認すると、舌の右横と右頬の内側が傷んでいる。まあでもこのくらいならすぐに治るだろうと気を取り直し、身支度を済ませて出社する。

18時ごろ、濱ちゃんに「松屋で『うまとま』って期間限定のメニュー出てるんだけど食べに行かない?」と誘われる。いいね行こう行こうと仕事を終わらせる。一階で仕事をしていた飯田さんにも声をかけ、3人で喜び勇んで向かうも、近場の松屋では取り扱っていなかった。残念無念。しょげる濱ちゃん。しょげたまま「うまとま売り切れ」の表示を写真に撮っていた。この写真にどれだけしょげた気持ちが含まれているかは、はまちゃんがどれだけ楽しみにしていたかを知る人じゃないとわからないのだろうなと、当たり前のことを思った。つまりそれは、はまちゃんにしかこの悲しさはわからないということだ。

12/20(水)
口の中の猛烈な痛さで目が覚めた。しっかりマウスピースをして寝たにも関わらず、傷が悪化していた。なんなんだ。暗い気持ちになる。口の中のたった数カ所の傷だけで、なんでこんなに悲しくなるんだ。焼きおにぎりが傷にしみる。焼きおにぎりなんて嫌いだ!

仕事中、電話の着信音が地獄へのファンファーレに聞こえる。電話が終わり「失礼します」と切ると、口の中が血だらけになる。命懸けの電話みたいだ、と思う。思ってから、ひっと息が詰まる。それが冗談にならない現実が、今起きている。仕事をする。ものを食う。小説を書く。暖かい湯を浴びる。ニュースよりも、#freepalestineで出てくるツイートの方が生々しい。編集されていないからそれは当然のことなのだが、報道を疑ってしまう。毎日夜寝る前に現地のツイートを辿る。見たくなければ見なければいいのに。ニュースやSNSを見て、署名をして、目を背けていない自分に安心して、自分が日々を楽しむための免罪符にする。無関心よりもっと卑劣なことをしている気分になる。誰にというわけでもないが、げんなりしてみせる。現実を直視できているフリをする。最近、すばる新人文学賞に選ばれた方の受賞の言葉が注目を集めている。大人数の前で、あれを言える強さよ。一方で私がやっていることはパフォーマンスなのかもしれないと思う。観衆は自分だけ。私が私に自分の行動と思考について熱弁し、それを聞いてい私は手を叩き、涙ぐんでいる。くだらない。口の中がたまに血の味になる。私がコピーをうんうん唸って考えているときに、子どもが吹き飛ばされて亡くなっている。私が狭い狭い人間関係の小説を書いている間に、空爆が起きている。ここまでの文章に、なんの主張も含まれない。言いたいことなんてない。行動と思考を書き連ねただけ。

12/21(木)
相変わらず口の中が痛い。
特に舌が痛くて呂律が回らない。
ラ行が痛くて敵わん。サ行が言いにくい。
『ブラック・ジャック』のピノコもこんな気持ちだったんだろうか。言いたいことがたくさんあるのに、それを表す語彙も知っているのに、口がうまく動かせなくて、もどかしい。叫び出したくなっただろう。

同時に、ピノコの話をじっくり聞くブラックジャックのことを思うとグッとくる。たどたどしくも、一生懸命話すピノコの話を、うん、うんと頷きながら聞いている彼の姿。いい。

夜、ゆうろくんの論文を読む。大好きなヴァージニア・ウルフについても触れられていてテンションが上がる。ある一節で手が止まる。

ウルフの心を突き動かしたのは、「日常生活の表面的な現象の背後に、何かもっと本当のもの、真の現実というべきものがあるのではないか」(神谷美恵子『V・ウルフの病跡』、88頁)という内面に関する問いであった。小川(2021)によれば「「自分は何者だろうか」といった問いに向き合い、ひたすら「人生とは何か」「人間とは」「愛とは」「時間とは」について考え続けたウルフのカイロス的な時間感覚は<ケア>の営為とも関係する。

「日常生活の表面的な現象の背後に、何かもっと本当のもの、真の現実というべきものがあるのではないか」。私もそう思っている。だから小説を書く。人と会う。本を読む。一人で旅に出る。寝る前に水を飲んだときも、この一文が頭をよぎった。眠りに落ちる前も。特別なものや、"本質的なもの”を追求したいわけじゃない。日常の背後にある、もしくは隣で手をつないでいる、本当のものを知りたい。ぜんぶを知ることはできないけれど、ふと触れられた気がするときがある。その、「今触れたかも!」という感覚を、誰かに共有して「わかる!」と言われたい。私が一番快い状態ってそういうことなのかもしれない。

布団に入る前にビタミン剤をガバガバ飲み(危険)、
マウスピースをして寝る。明日の自分に期待大。治っててくれ!

12/22(金)
痛みで目が覚める。
火曜日以降、毎朝痛みで目が覚めた。
最悪のモーニングコールだ。でもいつもより早く起きることができた。
11時から恩田さんと打ち合わせ。口が痛くてゆっくりしか喋れない、と言うと「殴られた?」と聞かれる。たしかに、寝ている間に自分に殴られたのかもしれない。

1週間が終わる。
クリスマスがくる。

ユニセフのある報道官がこう言っていた。

クリスマスにはさらなる蛮行や攻撃が仕掛けられる可能性がある。その間、世界は自分の身の回りの愛や善意のみに気を取られる。

今週の質問:「好きな歌の一節or本の一節」でお願いします!

いったい おれ達の魂のふるさとってのは
どこにあるんだろうか
自然に帰れっていうことは
どういうことなんだろうか
誰かが言ってたぜ
おれは人間として 自然に生きてるんだと
自然に生きてるってわかるなんて
何て不自然なんだろう

『イメージの詩』吉田拓郎

稲垣来泉さんのカバーが好きです。

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