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Post genre musicへの誘い

ソフトの面では、10年前に比べるとだいぶ便利になって音楽をストリーミングやダウンロードで楽しめるようになり、様々な音楽に多くの人が簡単にアクセスできるようになりましたが、弊害もまたあり、自身が今本当に聴くべき真の音楽になかなか辿り着くことができなくなっていることも事実です。

Apple Musicのトップ・ページには「6,000万曲に飛び込もう。」のコピー。 1曲が3分としても6,000万曲すべてを聴こうと思えば聴きっぱなしで342年の時間が必要です。文学などのメディアに比べ、音楽は時間を圧しつけてきます。倍速にして聴けば、コロッケのものまね「倍速シンデレラ・ハネムーン」のようになり、何がなんだか…w やっぱり普通に聴きたいですよね。

6,000万曲は流石に聴くことができません。ですが、ロックが好きな人はロックから、Hip Hopが好きな人はHip Hop、演歌が好きなら演歌というようにジャンル・カテゴリーが分かれているところで自分の好きなジャンル・カテゴリーの中からいい曲を探したり、ランダム再生をする方が多いでしょう。この「ジャンル」のおかげで、ある程度自分の聴きたいものにもすぐアクセスできるようになります。音楽を聴かなくともジャンルを聴くだけで大体どんな感じか?わかってしまうとても便利な言葉です。

そしてジャンルはその時、その時で形成されてきたものです。批評家がジャンル名を名付けはするもののその中身は世界同時多発的に形成されてきました。それぞれキッカケは違っても出てきたビートやグルーヴ、音色は結果、似たような感じ。誰か創始者みたいな人がいて、それが伝播し、模倣して、また新たな側面「新ジャンル」を形成することもありますが、それでは世界中に根付いていかない。弱すぎます。やはり世界同時多発的に新たなグルーヴ(結果似たような新たなグルーヴ)が各地方でそれぞれ生み出されないとと「ジャンル」としては根付かない。

「世界同時多発的に新たなグルーヴ(結果似たような新たなグルーヴ)が各地方でそれぞれ生み出される」----なぜそのようになるのか?それは人間の集合的無意識と関係しているのではないでしょうか⁉アーティストが北極の氷山の如くバカでかい無意識からなにかを汲み出しそれが作品に反映される。ですので、集合的無意識が投影された作品は結果、似たような感じになるのも頷けます。私の周りでは「同時代音楽」とか「尖端系音楽」と読んだりしています。集合的無意識の塊の尖端を背負った音楽は近未来を映し出します。決して言語化できるものでもないですが、ちょっと未来のトーンみたいなものは確実に感じさせてくれるものです。そういう音楽を30年程追いかけています。音楽=Music≒Magicです。何年後かのVIsionや雰囲気を背負った音楽でないと音楽を聴いてもしょうがないと思っているのが私の本音です。

Sonic youth の Thurston Mooreが運営しているレーベルThin wrist recordingのレーベルのプロフィールから「Post genre music」を思い付きました。「まだジャンルとして皆さんに認知されていない音楽」という意味です。「Post genre music」も世界同時多発的に使われるようになれば「Post genre music」が新ジャンルになるやも知れませんw




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