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転職することになりまして

こんにちは。ひらやま(@rhirayamaaan)です。

タイトルの通り転職することになりました。人生の大きめなイベントなので、せっかくですし文章を綴ろうと思います。
ちなみにカバー画像は、転職前の有休消化中に21_21の展示を観に行き、そのときのついでに撮ったミッドタウンの桜です。綺麗すぎる。ありがとう桜。

さて、早々に恐縮ですがひとつ断りを入れさせてください。
今回、「転職することになる」という言い回しを使っています。この言葉から、もしかしたら会社から転職を促されたかのような印象を受けるかもしれませんが、もちろんそのようなことは全くありません。

今の会社は2020年6月に入社をし、2022年3月末までの2年未満と少し短い期間での在籍となりましたが、仕事中は笑ってばかりで、ときに厳しいフィードバックをいただき、とても充実した期間でした。
そして、とてもとてもあたたかく送り出していただきました。めちゃくちゃに嬉しかったです。去るときは泣きました…

このような断りを入れるくらいであれば「転職する」と言えばよいのでしょう。しかしそれでも私は「転職することになる」という言い回しを選択しています。
どうしてこの言い回しを選んでいるのか。その理由を深めるために、まずは前回の転職のことを思い返し、その上で今回の転職も振り返り、自分の転職にまつわる経験を長々と文章で記録しながら考察する様を、果敢に公開してみる試みです。

なにか参考になることがひとつでもあれば、嬉しい限りです。

教育への関心が生んだ苦悩

前の会社から今の会社に移ることのきっかけとなったのは、自分の興味のある環境に少しでも身を寄せたかったからでした。

私は大学生のときに教職課程を履修していました。そこそこ真面目に取り組んでいたと自負しています。教職課程の先生・仲間にも恵まれ、彼ら彼女らとより良い授業をどうデザインしていくかを語り合った時間は、私の記憶に強く刻まれています。
塾でもアルバイトをし、研究室の卒業制作も教育を絡めたものでした。
大学生活では「教育」というものが自分の中の大きなテーマになっていました。

前の会社で担当していたのはeコマースサービスでしたが、それでも教育に関われるように行動していました。そして周りもサポートしてくださいました。
地方の専門学校生に講義をしに行ったり、新卒の研修をデザインして実施することもありました。とても充実した機会をいただけていました。

それにも関わらず、どうにも心が満たされない。

前の職場の人たちはとてもいい人たちばかりでした。よく飲みにも行っていました。
デザイナーからフロントエンドエンジニアに転向したのも前の職場でしたが、そこそこにエンジニアとしての仕事もできていたように思います。
ABテストのプランニングも傍らで行い、そこそこの結果が出たことも、少ないながらにありました。

そんな中、私は休職することになりました。

もちろん、仕事が全ての原因ではありません。当時のプライベートはなかなかの辛さでした。しかし、プライベートが崩れたのは、仕事の充実感を感じられるだけの余裕がなかったことが大きく影響していただろうと思います。
どうしたら自分は充実感を味わえるのか。そう考えると、やはり大学生のときの「教育」への関心が頭をよぎります。
もっと教育に近い環境に身を置くべきなのではないか。そうは思いつつも休職期間の3ヶ月という長そうで短い期間では考えを整理しきれず、結局復職することになり、仕事をすることに身を慣らしながらも悩み続けていました。

共話がつくる転職する状態

復調して再び社会に戻れたことへの喜びはあったのものの、復職しても心が晴れやかになることはありませんでした。
自分が組織に対してどのような価値があるのか、どのように貢献できるのか。そして組織に貢献した先に、その組織は社会にどのような価値を置き、貢献するのか。考えが渦まき、悶々とする日々が続いていきます。
そんな日々から脱却すべく転職活動もしていました。復職したからといって心が癒えきっているわけでもなく、面接では自己顕示欲が露呈し、それはそれは惨めなものでした。
面接の予定も残念な形でなくなっていき、ついにその底が尽きたときに、そんなに無理をすることもないかと思わざるを得なくなり、なにか良い話が訪れるまで一旦休憩するか、と思い始めていました。

そんな矢先に、友人から職場を紹介してもらったのです。
これが今の会社との出会いです。

「教育」があまりにも頭をよぎるので、これまでの転職活動でももちろん教育業界のIT企業を受けていました。しかし、上述の通りもちろんうまくいきません。
なので「教育」に近づくことすらも諦めていました。
その状態を打ち破るかのように、タイミングよく紹介してもらえたことは本当にありがたかったです。「教育」をベースしたプロダクトをフロントエンドエンジニアとして作れる機会がまだ残されていることに嬉しさを感じました。

今の会社の方々に飲み会を設定(パンデミックが起こるぎりぎり手前でした)していただき、そこで今までの教育に対する思いやものづくりへの思いを、酒の勢いを借りながら話していきました。
その口から出てくる言葉はもちろん自分から話しているわけですが、話していくうちに、むしろ話させられているかのようになっていることに気づきます。

対して共話では、フレーズの主語が共有されることで発話主体の区別が曖昧になり、内容はリアルタイムに生成される。対話では個々の主体の差異が明確になるが、共話のなかでは主体がコミュニケーションの場に融け込んでいく。

ドミニク・チェン「未来をつくる言葉 わかりあえなさをつなぐために」新潮社 一六四頁

共話とは、話者同士が互いのフレーズの完成を助け合いながら進める会話様式だと、ドミニク・チェン氏は説明しています。
「今日の天気さぁ」「うん、本当に気持ちいいねぇ」という会話があるとします。(参考:同書 一五八頁)この会話は、文章が未完成のままお互いに文章を重ねながら補いつつ、協働することで文章が作られていっています。こうすることで、お互いの主体性が交わっていくのだそうです。(参考:同書 一六三頁)
当時の飲み会でも、このような共話のような会話が生成されたのだと思います。私を含めた飲み会にいたメンバー全員がコミュニケーションの場に融け込んだのだと思います。
だから、私が発言しているようで発言させられているような感覚になったのだと思います。自分が思っていることが相手の思いになり、相手が思っていることが自分の思いにもなる。それぞれの思いが共鳴し合って新たな思いが生成され、その思いを共有し合っていたのかもしれません。

そして、このような能動でも受動でもない状態は、太古に存在していた別の態でも説明できそうです。

中動態は主語がその座となるような過程を表しているのであって、主語はその過程の内部にある。それゆえに、動詞は主語に作用するのであるし、主語の利害関心が問題になるときにこの態が用いられるのである。

國分功一郎「中動態の世界 意志と責任の考古学」医学書院 九二頁

例で挙げられているのは「彼は馬をつなぎから外す」というギリシア語を日本語訳した一文です。ギリシア語で書かれた原文には中動態が用いられており、日本語訳だと表現が不十分とのことです。中動態を使うことで「自分のために馬をつなぎから外す」という文脈が加わり、「その後、馬に乗る」ところまで表現されるとのことで、そう考えると確かに日本語訳だと表現しきれていません。(参考:同書 七八頁)「主語の利害関心が問題になる」というのは、この例文から考えるとイメージしやすくなります。
しかし、それでもまだ少し難しいので、他の本の中動態の説明も借りてみます。

中動態の動詞は、作用の元も作用の対象も主語になると、國分功一郎氏の文章を引用しながら東畑開人氏は述べています。
例えば「私が生まれる」という文を見ると、動作の元はもちろん私ですし、生まれるという作用を受けているのも私になります。(参考:東畑開人「居るのはつらいよ ケアとセラピーについての覚書」医学書院 二二三頁)
このような、能動と言いたいところだけど、受動ではないとも言い切れない動詞は、実は身の回りに隠れています。
そして、私はこの態の存在を知ったとき、この転職は中動的だったのではないかと思いました。

思い返せば、どうりで今までの転職がうまくいかないわけです。
転職活動がうまくいっていなかった時は、自分を承認してもらうことを相手に要求してしまったり、相手のアプローチにありがたさを感じつつも、断る申し訳なさを感じてしまったりと、転職する理由が自分の外にありました。
理由が外にあっては転職する状態にはなりきれないのでしょう。転職することを理由に始まった活動が、いつのまにか承認欲求や罪悪感に動かさせられています。承認欲求や罪悪感を満たす目的が転職することになってしまっています。
でも実際は、転職することは手段なはずです。自分を維持するための、そしてより心が豊かになる生活に向かうための手段としてあるはずの転職が、いつの間にか目的になってしまっていたのです。

この転職は、私が自分の意志で今の会社に転職すると決意したわけでもなければ、前と今の会社の人たちが私を転職するように仕向けたわけでもありません。
これまでの葛藤や今回の共話などの様々な要因が、私を今の会社に転職する状態にしていきました。
だからこそ、現在の文法における能動態の「転職する」だとどうしても表現しきれないと感じているのです。

こうして私は、はじめて転職することになりました。

退屈が支配する私の能動性

無事転職をし、今の会社では紆余曲折ありながらも楽しく仕事をしていました。
そして、昨年の10月に大きなプロジェクトを一つ完遂させました。良きチームメンバーに恵まれたこともあり、みんなで支え合いながら協力して作り上げたものを無事リリースさせることに成功しました。

そうすると訪れるのは「燃え尽き」です。
私が入社する前から続いていたそのプロジェクトを完遂させるにはなかなか大変な作業で、いろいろなしがらみも感じながら仕事をしてきました。それがようやく終わったとなれば、当然燃え尽きてしまうわけで、そこからまた自分のキャリアと向き合うことになり、また「教育」が頭をよぎります。

今の会社は社会人の教育をサポートするサービスを作っています。前の会社にいたときとは明らかに状況が違います。私はものづくりを通して教育に携わっています。

しかし、またどうにも心が満たされない。

今回は困りました。私は確実に教育に関わる場に身を置いています。それにも関わらずどうしてこうも心が満たされないのか。
プロジェクトをリリースした影響によって流れてくる、精査されていない大量のエラー通知がどんどん私の心を空にしていきます。
その苦痛に耐え忍ぶように、エラー通知を精査していき、心が空にならないように足掻きます。
エラー通知をさばけば組織に貢献できる。組織に貢献できることは教育を良くすることになる。それは私が望んでいること。そう、頭の中で唱えてみます。

頭ではわかる。言語化されたそのフレーズは正しい。でも心が満たされない。

心を満たされない苦痛に耐えきれず、この頃から私はいろいろなものに手を出し始めます。文字通り多忙になります。
昨年の3月くらいからやっている副業に加え、オンライン上でボランティアを始めます。さらには英語学習に励み、追い込むように読書を重ね、自己分析のためのオンラインカウンセリングを受け始め、さらには転職活動まで始めます。

しかし、心は満たされない。

このときの転職活動も、以前の転職活動がうまくいっていないときと同様の感覚があることは察知していました。前述の通り、心を満たすことを動機とした転職活動は、理由が外にあるため転職する状態にはなれないのです。
そう思いつつも、多忙にしていると悶々としていることを一時的に忘れることはできます。だから多忙をやめられない。でも結局それは一時的なもので、すぐに満たされなさはやってきます。
どうしてこんなことをしてしまうのか。それはどうやら「退屈」にヒントがありそうです。

退屈しているとき、私たちは退屈を押さえ込もうとする。退屈を押さえ込むにあたってもとめられるものは気晴らしである。私たちは気晴らしによって退屈を押さえ込もうとする。

國分功一郎「暇と退屈の倫理学 増補新版」太田出版

私の行動はまさしく「気晴らし」でした。今まではプロジェクトを完遂するという目標があって退屈さを感じずに済んでいましたが、プロジェクトが終わったことで途端に退屈になったのでしょう。
このような気晴らしによって押さえ込んでいる退屈のことを、國分功一郎氏は「暇と退屈の倫理学 増補新版」にて「退屈の第一形式」と呼び、そのことについて説明しています。
このような退屈は時間がのろくてぐずついており、私たちはこのぐずつく時間に引き止められ、何もすることがない状態に放って置かれてしまうのだそうです。そして、彼はこの放って置かれる状態のことを「空虚放置」と呼んでいます。
國分功一郎氏はこの空虚放置について、ハイデガーの列車を4時間も待つ退屈な体験を用いながら以下のように説明しています。

何もない、空虚だというけれども、電車を待つ私たちの周りには何もないのだろうか? もちろんそんなことはない。[中略] そこには物がある。しかし、それらのものがこちらに向かって何事も仕掛けてこない。私たちを完全にほったらかしにしている。[中略] 私たちが期待するものを提供してくれていないのだ。

國分功一郎「暇と退屈の倫理学 増補新版」太田出版

今回のハイデガーの例で言えば、期待するものは「列車」となります。周りにある物(駅舎や時刻表など)たちから「列車」が提供されることを期待しているわけですが、物たちは私たちを空虚放置へ引き込むので期待を満たしません。だから私たちは空虚放置に陥って退屈を感じ、なんとか気晴らしをしてその場を凌ごうとします。
私は「退屈の第一形式」の中にいたのだろうと思います。期待したものが提供されず、気晴らしをするしかなかったのでしょう。

しかし、そう考えると一つの疑問が生まれます。今回の私の退屈さは何を期待して生まれた退屈なのでしょうか。もし「教育する」ことを期待しているなら、今の職場での仕事は私の期待を満たすことになります。
それでも私は退屈でした。それは、心の奥底に別の期待が眠っていることを表していたのです。
その期待は何なのか。これがわかることで、私はまた次の転職をすることになるのです。

無駄ではなかった気晴らし

私は退屈に耐えきれずに気晴らしを増やしまくったわけですが、その気晴らしの中に私の視野を広げたものがありました。それがボランティアです。

私がやっているのは、ざっくりいうとこども向けのプログラミング教室のサポーターです。
しかし、その教室では授業を実施しません。こどもたちが自分でやることを決め、プログラムを書く中で躓いてしまったらサポーターに質問をして、サポーターとともに歩んでいくスタンスです。
やりたいことがない場合は、まずはその教室が用意した問題に取り組んでもらうという流れになります。
質問がないときは、サポーターである私も何かしらものづくりをしています。作業をし合う中で会話が生まれ、ともに学び合っていきます。
このゆるさがなんともいえない心地よさがあり、隔週で実施されるこの教室に、ほぼ休むことなくオンラインから参加しています。

このボランティアに意を決して飛び込んだ理由は、この団体の姿勢にあります。
前述のとおり、この教室では授業を実施しません。その時間の過ごし方は、学習者の自発性に委ねられています。また、その自発性がない場合に自発性がないことを責められることもなく、ともに寄り添っていく姿勢があります。
私はこの姿勢に深く感銘を受けました。そしてこの姿勢に触れたことで、自分自身に対して新たな疑問が生まれます。

私は「教育したい」のだろうか。

教育に関心があるのは間違いありません。ただ「教育したい」という言葉に少し違和感を覚え始めたのです。
教育にはどこか窮屈さを感じてしまいます。教壇の上に立った先生の授業を受けなければならないというイメージがあるからかもしれません。
強制性が少なくなるように授業を工夫されている先生がたくさんいらっしゃることももちろん知っています。しかし、授業とは別に、自発的な学びを受け入れられる環境がもう少しあると、こどもが楽しさを感じられる幅が拡がるのではないかと思うのです。

私は授業を受けるのがとても苦手なこどもでした。
ある程度席で静かにしていましたが、先生の話は一切聞かず、勉強にもほとんど関心はなく、宿題もまともにせず、だらしのない生活を大人たちに叱られながら、ぱっとしない、冴えない日々を過ごしていました。

私は高校生くらいから学ぶことの楽しさを知りました。テストの点に関係なく、自分で知識を開拓していく楽しさを高校生にしてようやく知ることができました。
高校生で気づけてよかったと思う反面、もっと早くに学ぶ楽しさを知っていたらどれだけよかっただろうかとも強く思います。
学校の勉強はできなくとも、別の勉学を楽しめる道を知れていればもう少し生活が潤ったのではないかと、そんな風に思っています。
だからこそ、こどもの興味を尊重して責めることもなく、こどもも大人もともに学ぶことを目指すその団体の姿勢と環境づくりに感銘を受けたのだと思います。

どうやら私は、教育したいのではなく、こどもの学びをひらきたいそうです。

わからないにふれる難しさ

今までの話を踏まえると、もしかしたら「勉強なんかさせずとも、こどもがやりたいようにしてやれば良い」という主張に聞こえるかもしれません。
もちろん、そのような雑な主張をしたいわけではありません。
学びをひらくために、もう少し学びに対しての理解を深めたいと思います。

まずは、緒方壽人氏の文章を引用してみます。

人はなるべく考えないですむ環世界を生きていて、「わからない」ものに出会ってはじめて「考える」ことを余儀なくされる。そうやってコンフォートゾーンを飛び出して「考え(させられ)ている」状態は、もやもやして落ち着かないわけですが、その分、新たな「わかった」(=新たな環世界)へ至ることは喜びや快感を伴います。

渡邊淳司 伊藤亜紗 ドミニク・チェン 緒方壽人 塚田有那ほか
「情報環世界 体とAIの間であそぶガイドブック」NTT出版 七六頁

ここでは「環世界」の説明は省きます。しかし、それを抜きにしても「わからない」があることで「考える」ことができ、そこから「わかった」へ至ると述べられていることがわかります。
このプロセスは学びそのものでしょう。そして、学ぶという行為はそもそも自発的な行為であり、強制させることではないと思わさせられます。学ぶという行為は「させる」という言葉の外にあるようにも思えます。
そう考えると「学ばせる」という言い回し自体に違和感が出てきます。「学ばせる」時点で、学び手の学びの自発性は失われるでしょうし、学び手から「喜びや快感」を奪うことにもつながりそうです。

しかし、強制自体は悪くないという話もあります。
上平崇仁氏は所属大学の授業にて、地域の親子が楽しく利用できる自然科学の学習キットを、履修者である大学生がデザインするプロジェクトを実施しています。
対象となるこどもは大学がある地域の小学生です。その小学生と大学生は学習キットのプロトタイプの試験利用やアイデア提案のワークショップなどで交流を持つため、小学生も授業を通してこのプロジェクトに参加することとなります。
このことを踏まえた上で、以下のことを述べています。

こどもたちは学年が全員参加ですので強制です。大学生もグループ課題ですので(履修した学生は)強制です。[中略] しかし、活動を通して知らなかった人と出会い、自分にもできることがあることを知り、結果的に喜びが生まれてきます。こういった経験を元に次の機会に「やってみようかな」という自発性が形成されると言えるでしょう。

上平崇仁「コ・デザイン」NTT出版 一六六頁

強制されると反発したくなることは多々あります。授業に限らずとも、反発心が湧き上がることを私たちはよく知っています。
しかしこの強制こそが、興味を生んだり、才能を開花したりするきっかけとなるのだろうと、そしてそれらの機会を等しくつくるために教育の場があるのだろうと、上記の引用文に続いて記述されています。(参考:同書 一六七頁)
ここでいう強制とは「学びの強制」ではありません。強制されているのはあくまでも「参加すること」です。参加の強制があるからこそ、知らない世界へと進む道がひらかれ、そしてその道を学び手が引き受けられると学びの自発性が生まれるのでしょう。

私がこどものときに冴えない日々をすごしていたのは、「わからないことすらもわからない」状態だったのだと思います。興味がどこにあるのかも、特技が何なのかもわからない。そのような状態だと、そもそも「わからない」にふれることすら難しいのです。
学びをひらくには、「わからない」にふれられる仕組みと、「考える」から「わかった」まで自らたどり着ける自由さが学習環境に置かれているとよいのかもしれません。
そして、そのような環境が受け入れられるような社会を、たくさんの人々とともに目指していく態度も持ち合わせておきたいものです。

転職することになりまして

緒方壽人氏と上平崇仁氏の文章をもう一度見てみると、そもそも学びは喜びを生むのだとわかります。楽しく生活するには「学び」というプロセスがとても重要なのだろうと私は思います。
私は、こどものときに楽しい時間を過ごすことが少なかったです。それは学ぶことが少なかったからでしょう。だからこそ、こどもたちが学びを通してもっと楽しく生活できる社会を望むのだと思います。

そのような社会にするためのアプローチの仕方はたくさんあるのでしょう。現在のボランティアを通した活動は、そのアプローチのひとつなのかもしれません。
ただ、アプローチの仕方がたくさんあるのであれば、それ以外のアプローチもかけられないものかとも思うのです。
仕事をしている時間は長いです。1日8時間の労働を週に5回もしないと生活しづらくなるこの世の中で、その40時間をいかにして「学びをひらく」活動にあてていくのか。
それが今回「転職することになった」理由の一つなのだと思います。

次の転職先は、こどもの環境をより良くすることをミッションに掲げた会社です。
そのために、こどもの周りにいる大人の環境を良くするサービスを作っています。これは私にはなかった視点です。
こどもの環境を、周囲にいる人たちとともに良くしていこうとする態度を持ち合わせた人たちと、仕事をともにできそうです。
そんな人たちと活動する中で、学びをひらくことを実感できたら、それはとても喜ばしいことだと思っています。

いろいろな葛藤があり、いろいろな出会いがあり、たくさんの方々とお話する中で新たな視点も増え、こうしてまた私は転職することになっていきました。
副業先の方が次の会社に入ることを知り、次の会社とつないでもらい、面接でもまた共話が起こり、私はその会話の中で、話すと話させられるの狭間を楽しんでいました。
そう思うと、やはりこの転職も中動的な転職となったのだろうと思います。

こうして2回の転職を見てみると、中動的な転職には迷いがなく、自分が転職していく状態に身を委ねるようになるなと、そんなことを思いました。
次の職場でもまた、自分の考えの変化を受け入れつつ、新たな環境で仕事を出来ることが楽しみです。

というわけで、長くなりましたがここまで読んでいただきありがとうございました!
転職するにあたって、うじうじした自分とお話してくださったみなさまにはとても感謝しております。
この文章の中にうまく組み込めなかった会話がたくさんあります。しかし実際には、それらの会話があったからこそ私の歩を前に進めてくれました。
悩んでいた上に言語化もままならない状態の私と会話するのは難しかったと思いますが、傾聴していただけて本当に嬉しかったです。

真面目な文章になりましたが、まだまだ元気にやっていくので、これからもよろしくお願いいたします。


引用元・参考文献一覧


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