見出し画像

人からの「すてき」で自分の行動に気づく

私は、つくづく“自分の好きなこと”をやっていると気づいた。

普段から好きなことは大切にしているつもりなのだけど、相手に対しての行動も自分にとって嬉しいことをしているみたい。



先日、友人(大好きでお姉さんのように慕っている人!)と電話をしていた時のこと。友人が「最近どう?って聞いた時に、すごく楽しいって答えられるのかっこいい」と。

私からすると、その友人はすごくすてきな人で、いつも自分の好きなことや大切にしたいことを追求していて「あなたこそすてきです」と伝えたくなる。

でも本人からすると「相手の顔色を見ちゃって“自分は楽しい”って言えないんだよね」とのこと。


なるほど、そういう考え方もあるのか。


私が相手に“楽しいよ”と伝えられるのは、自分が嬉しいと思ったことや好きだと思ったことを相手にもしているということ。

つまり、私は相手から「楽しい」と言われるのが嬉しいから、私も相手に「楽しい」と伝えられるということ。

楽しさに限らず、悲しいとか、怒っているとか、つらいとかもそう。相手が気持ちを素直に伝えてくれるのが嬉しいから、私もそうする。

とはいっても、私自身、以前は伝えられていなかった。そもそも、感情・表情が薄い人間なので、伝えたとしても分かりにくいのだけど…。


実は以前と、最近で、この友人とは関係性が変わった。(私が勝手に思っているだけかもしれないけど)

大好きなのは変わりないけれど、以前は、私が頼りっぱなしで、いつも話を聞いてもらっていた。何かあれば連絡して、多少なりとも友人の負担になっていたと思う。

でも最近は、連絡し合う頻度は減ったけど、お互いに頑張っているのを知っているし、信頼している。(これこそ、勝手に思っているだけだったらごめんなさい)

友人が嬉しそうに、時には少し悲しそうに、またちょっと怒りながら、いろいろな話をしてくれるのが、嬉しい。話の内容に関わらず、自分の気持ちを乗せて話してくれるのが嬉しくて、話を聞く時間が好き。


だから、私も友人には楽しい時には“楽しい”と伝えられる。

この友人に限らず、大切な人が楽しい時に“楽しい”と言って、怒ったり、その人のことを嫌いになったりするだろうか。

相手の話を受け止める時には、自分の心が穏やかであるということは必要だけどね。私は人と話すときは心を整えてから臨むからよっぽどいいけれど、常にそんな穏やかでいられるとは言い切れない。

だから、私は大切な人と話す時は自分の状態を素直に伝えるように意識している。もちろん、私自身、この友人のように人の顔色を全く気にしないわけではないけれど。


これを無意識にやっているということに、友人との電話で気づいた。



相手から「すてきだね」「かっこいい」「それ、いいね」と言われてから気づけることもある。

意外に、自分のことはしっかり見つめてみないとわからないこともある。


こうやって、また1つ、自分のことを知っていく。

次は、どんなことに気づくんだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?