出来が悪い7つの習慣

出来が悪い7つの習慣


を参考に。


第1の習慣 客体的である

現代において、人格は、環境と自己選択によって決定されると考えられることがある。遺伝子や生育中の体験などの外部的な要因がありながら、遭遇する刺激に対して良心や自覚などの能力を駆使して行う選択によって、人格が変わっていくというのである。たとえば勉強中に眠くなって寝ようとするのも、眠気に抗うのも、私達の「選択」だと見える。私達の行動(反応)は、刺激に対する自分自身の選択・決定の結果であるというわけだ。こうした考え方は、刺激/選択/反応理論とも言い換えられる。
しかし考えてみれば、眠気に抗おうとするような選択をなさしめるのは、私達の脳内がそのような決定をなす状態にあるためであり、究極的には、これまでの宇宙の過去と、その瞬間に起きた量子的な確率的な何かの結果である。
これらをふまえて、「客体的である」ということを考えてみよう。私達の行動は、宇宙の過去と偶然の結果である。「客体的」というのは、そのような自己を冷静に見つめることだけを意味するものではなく、人生の責任という概念を引き受けることで興奮する自分や、かつてなしえなかったことに執着する自分という動きの観察も意味する。
今自分が幸福であると何年も感じていた方にとっては、その状況は過去と偶然の結果だという考え方は受け入れにくいかもしれない。しかし、別にそれを受け入れなくともいい。あなたが幸福ならあなたは幸福なのだ。


第2の習慣 誕生を思い返すことで終える

一度、自分の誕生の場をイメージしてみてほしい。そして、やってきた者たちが、あなたの泣き声をどのように聞いていたか、ちょっと感じてみてほしい。
第2の習慣「誕生を思い返すことで終える」は、人生におけるすべての行動を諦めるために、自分の人生の最初を思い返し、それを念頭において今日という一日を終えることである。
自分が始まった場所を頭の中に植え付け、他人の手に食事の摂取可否さえも左右されて泣くばかりの無力さを思い返していれば、体が大きくなった今であっても、人生が望まない方向に進むのも仕方がないと思えるのではないだろうか。


第3の習慣 最優先事項を後回しにする

あなたにとっての最優先事項とは「おやつを食べる」「寝る」ではないだろうか。それを少し後回しにして、優先したくないことを先に回すと、楽しみなおやつが明日まで生き残ったり、嫌いな要返信メールのストックが減少したりすることがある。かわりにその日はお腹が空いて疲れてしまって夢見が悪くなるかもしれないけれど。


第4の習慣 Lose-Loseを考える

ここからは、人と人とが関わる公的な領域に入っていく。

Lose-Loseとは、すべての人間関係において、必ずお互いにとっての損失を引き起こす結果を考えるものである。喧嘩した際に、相手の物ではなく自分の物を投げると、相手は怪我をして自分も物を壊すので、いくらか公平になるとかいうことだ。Lose-Loseのパラダイムは、人生を競争の場ではなく、喪失でつながりあう場だと捉える。
Lose-Loseの考え方を発展させたものとして、「Lose-Lose or No Lead」という考え方もある。これは、どちらか一方のみが得をする案しか解決策がないならば、どちらも主導権を握らないで譲り合う、という考え方である。


第5の習慣 まず誤解に徹し、そして誤解される

私達はえてして、相手の話に自分の経験というフィルターを重ね合わせ、語られていない感情やら背景やらを付け足して独断的な解釈を行い、それでいて相手を理解したつもりになってしまうことがある。共感を示すつもりで、相手の言葉を自分の言葉に置き換えたつもりで返事をしたとたん、それを聞いた相手から、そうじゃないんだと言われて、傲慢なお節介な無理解者だというような目(これも誤解かもしれない)で見られることもあるかもしれない。
むしろ、私達は、誤解しあっているかもしれない(万が一の誤解していない場合に備えて「かもしれない」と考えよう)という共通了解から始めるべきではないだろうか? もちろん、共通了解ができたつもりで何も了解しあっていない可能性もある。

第6の習慣 混ぜるな危険

混合は人生において最も危険な活動であり、他のすべての習慣を破壊しうるものである。
全体の合計が個々の部分の総和より大きくなるように見えることがある、たとえば一部の漂白剤と洗剤の有毒さなど。
単純には、あなたとあなたの大嫌いな人を混ぜると、その場(あなたの心の中も場に含む)は大変なことになるかもしれない。もっとも、すべての好物を混ぜたら好物になるとは限らない。褒められ続けたら嬉しくなり続け、貶され続けたら悲しくなり続けるとも限らない。いつしか無感動になることやある時点から暴れ回ることもある。あなたという素材にどのようなイベントが混ざってしまい、どのような物事を引き起こすのか、わからない。それが人生で厄介なことである。


第7の習慣 刃を収める

刃を収めるとは、和平和睦のプロセスである。つまり、他の6つの習慣にも関わるかもしれない、「あなた自身」の価値を忘れるための習慣である。
肉体を朽ちさせ、精神では自分の核など放棄し、知性を遊ばせ、社会的・情緒的にも闘いに拘泥しない。もちろん、あなたがこの習慣を果たすかどうかは、宇宙の過去と偶然にかかっている。

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