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ファッションモデルの世界の裏側

Enchante(初めまして)。ムッシューヴァレンティノと握手をしたのは、ヴァレンティノのパリコレクションが終わったステージ裏。ゴージャスに日焼けした肌と上品な立ち振る舞いは、たった今コレクションの発表が終わった興奮とは打って変わって落ち着いたオーラを醸し出していた。

ファッションショーを見るという長年の夢が叶い、バックステージでデザイナーと握手すると言う夢見心地な気分は今自分がどこにいるのかさえも見失ってしまいそうだった。さらにヴァレンティノともなれば、出演モデルはほとんどが有名どころ。私服に着替える彼女達はまさにファッションの最先端を代表する、まるで女優達のそこは映画のセットの裏側のようだった。

ファッションモデルの世界は表に出る美しさが売りなのだが、何事も裏側は過酷で熾烈な世界。スーパーモデルと呼ばれるにはほんの、ほんの一握り。生まれ持った体系的バランスもしかり、10代の骨格から成長し変わっていくことを見越したモデルの素質を見抜くことは世界中のモデルのスカウトが鍛えていく目と感覚。空港やホテルで家族との旅行中に見出されたと言うことも多い。

日本はと言うと、今でこそ個性的なストリート系の子たちも多く出るようになったが、元々外国人コンプレックスのある日本。90年代はアメリカ映画に出てくるような、真っ白で綺麗な歯並びで屈託のない笑顔を見せるモデル達が望まれた。

東京では常に300〜400人ほどとなる外国人モデル達が毎日TVコマーシャル、ポスター、カタログ、ファッションショーといった媒体の仕事をとりに競う。まだまだ紙媒体が中心だったそのころは、毎日20〜30のオーデションスケジュールをマネージャーと呼ばれる営業兼ドライバー兼お世話係が1つもミスしないようにモデル達を連れて回る。無論モデル達は多くのNOを受け入れなくてはならない。

モデルの年齢は10代が中心で、初めて親元を離れて日本へ来た子達が大半である。考えてみれば、まだ中学を卒業したばかりで、言葉もわからず海外で生活するということはとても勇気のいることだ。ただ、日本のマーケットは他国に比べると特殊なところが多い。日本の事務所は海外の事務所(マザーエージェンシー)と契約金付きの契約を結ぶ。契約金とは契約終了後の帰国時にモデルに支払われる現金のこと(そう現金)。もちろん滞在中のお小遣いを含めた生活費は差し引かれることになるが、契約金からパーセンテージを取るマザーエージェンシーにとっては必然的に高い契約をしたい。

ただ条件はあって、契約を結んだ段階とモデルが来日した時に外見(体重や肌の調子など)に相違があったり、来日してから最初のトライアル1〜2週間までに決まった数の仕事が成立しなければ契約は破棄となる。その場合は、即帰国か、契約金無しでの滞在となり、その采配は事務所が取ることとなる。

事務所にとってもモデルにとってもこのトライアルが山場となる。

日本が特殊と言うのは、契約金だけでなく、日本の事務所はモデルをとても手厚く扱うと言うこと。日本人としては当たり前に感じるが、毎週のお小遣いをもらい、キレイな一人部屋のアパートでオーデションには事務所の車で回るといったことは海外ではあり得ないこと。

そんなわけでモデル達は契約の元、正式なビザを取得して来日し、オーデションと仕事とで目まぐるしい毎日を過ごすことになる。はずだが、全てのモデルがハッピーであるわけでもなく、様々な背景を背負う世界中から集まるモデル達は、日本での自由を楽しみしすぎて、六本木のクラブからの呼び出し、警察にお世話になる子達もあり、もう何が起きても驚かないと思える経験をたくさんした。

結局、モデルと言えど日本の企業、ブランドの広告制作のために関わる何十人というチームの中の一人。ブランドの看板となるモデルという勤めを果たしながら素直で尊敬する心を持ち続けるモデルが長くモデル人生を続けていることは明らかだった。

そうそう、オーデションでは気になるモデルはポラロイド(古っ)を取られるのだけど、ある目力の強いモデルちゃんが笑顔は作れないと言う。「私は笑顔のモデルではないのよ。私を使いたいのなら笑顔なしにしてちょうだい」と来た。その場はなだめすかしてようやく「フッ」と苦笑いをし、なんとその仕事の決定もとってきたことがあった。あの子は今どうしているのだろうか。

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