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人生の選択ー未知の世界ースーパーモデル

当時、眩いほど絶対的な存在感を持ったナオミキャンベル、クリスティターリントン、ケイトモスなどは「スーパーモデル」と呼ばれ、ファーストクラスで来日し、5つ星ホテルに滞在、ファッションショーでのワンステージでたった1着を着るだけでも数百万円と言うギャランティーが支払われていた。

最初に語学留学を決めた時、ある人が英語を勉強してどうするつもりなの?と聞いてきた。闇雲に行動しても目的がなければ実にならないと。ごもっともと。ただ私の場合は、生まれ育った場所での選択肢には甘えが邪魔していて、この虹の向こうにはきっと何かがあるはずと思いながらぬるま湯に入っているような状態だった。

長崎からヨーロッパへ出て、アメリカで働いた後、初めて東京で働くという選択肢が回ってきた。私の手の内には、英語を活用、ファッションの仕事、世界中を飛んで回れる仕事と言うことと、大きな会社の歯車の一部にはなりたくないと言うカードが確実にあった。

東京の土地柄もわからないまま、毎週月曜日に多く集中するJapan Timesの求人をあてに仕事探しが始まった。なかなか手元のカードだけではままならないことや、Japan Timesでは大手や堅い仕事ばかりでなかなかピンとくるものもなく、時間だけが過ぎていった。焦った私は短期で勤められる派遣会社へ登録のために面接へ。新聞の記事を英訳・和訳するという簡単な試験があった。が、当時の英語のレベルではとてもハードルが高くかなり、かなり落ち込んだ。それでもなんとか無事登録完了。仕事を待った。

そんな中で、あるモデル事務所のマネージャー募集との求人が2週にわたって掲載されていた。ファッションの仕事と言うカードはあったが、モデル事務所が何で、モデル事務所のマネージャーがどう言うものなのか検討もつかなかった。好奇心の芽は顔を出してきたが、ちょうど同じ時期に派遣会社から3ヶ月間の通訳の仕事があると言う問い合わせが入り、それはそれで違う意味での好奇心と、果たして自分にできるものなのかという恐れからも迷いに迷った。

そのときに付き合っていた彼から一喝、やりたい仕事があるのになんで派遣の仕事をするのかとダメ出しをもらい、モデル事務所の扉を叩いた。

事務所は小さかったが、若い社員達は活気に溢れ、英語と日本語が入り混じり美しい男女の外国人モデル達が光り輝いて見えた。バタバタと面接が行われ、明日からでも来れますか?と即採用。まずは、英語が使え、ファッション業界希望の私のカードが確実に実を結んだ。人生のステージで大きな縁を感じた瞬間だった。


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