かつて、SexyZoneというアイドルグループがいた。
今も、いつかは過去になる。SexyZoneが歩んできた道も、私がSexyZoneを好きになってSexyZoneと歩いてきた道も、いずれ遠い過去のものになっていく。彼らがこれから歩んでいく未来が、これから彼らと出会う人々にとって『当たり前の事実』となっていく。
かつて、SexyZoneというアイドルグループがいたんだよ。
そんな風に語る未来がきたとしたら、SexyZoneがどういう道のりを歩いてきたか、そしてどうやって終焉を迎えたのか。
それら全てを、忘れたくないなって思う。(忘れられるはずもないけど)
私が彼らを応援している間に、あるいは彼らの立つステージが存在する限り、その文面を目にすることも、そのお知らせを耳にすることも、ないと思っていた。『絶対にない』そう言い切れるくらい、彼がグループを去ることは私にとっては『ありえない未来』だった。
私は、理解ができなくて、受け入れられなくて、寂しいとか驚きとか、そんな感情さえも持てなくて、中島健人がSexyZoneを去るという衝撃にも思いのほか冷静で、どちらかと言えば無感情に近かった気がする。
彼の決断を言葉で聞いても、彼の決断を受け入れたメンバーの言葉を聞いても、その気持ちは変わらなかった。これまで一貫として『アイドル』を貫き、『SexyZone』に誇りを持って、私達に向けてあんなにも愛を投げてくれてきた中島健人が、今何を考えているのか分からない。
追いつかない頭とは反対に、少し先を歩いているケンティーと、前を向いているメンバーに、これまで一緒に歩んできたはずのSexyZoneが、今はその背中しか見えない。私はどこか『置いて行かれてしまった』と感じていた。
私は生粋のジャニーズ育ちなので、勿論SexyZoneのことは存じ上げていたけれど、デビュー当時、自分と大して年齢の変わらない子どもが、小生意気に薔薇を持ち、『Sexy』を謳ってステージに立つ姿に、『時代を創ろうSexyZone?若造が何言っとんじゃ』と欠伸していたのをよく覚えている。
理解不能な楽曲ばかり、似合わない『Sexy』という飾り、5人になったり3人になったり、メンバーの活動休止があったり、今にも崩れそうな船の上で、ギリギリを保ちながら存在している。正直言って、そんな印象だった。(まだSexyZoneの凄みや魅力を知らない頃の自分なので、不愉快な言動なのは承知の上です。承知の上で、あえてそのまま表現しています。)
そんな私が、そんなSexyZoneを好きになったのはコロナ禍だった。活動休止をしていたメンバーが、復帰する。久しぶりにテレビ番組で5人で歌唱する。別グループ目当てで見ていた音楽番組で目にしたのこそ、あの伝説の『5人でのRUN』だった。
この人達は、どうしてこんなにも『今』という時間を噛み締めるんだろうか。
それはきっと、思うようにいかない活動の中で、恵まれなかったタイミングの中で、彼らが5人でステージに立つ『今』という瞬間を噛み締め、そして『5人』でステージに立てることを『喜び』、それが全身から、パフォーマンスから、隠しきれないほどに(そもそも隠すつもりなどないのだろう)滲み出ている。凄いものを見た。そう思った。そこから彼らを好きになるのに、そう時間はかからなかった。
当時私はメンタル的にもギリギリの状況で、その中で『RUN』を聞いて、一体どれだけの夜を越えてこられたか、数えたらキリがない。そして縋る思いで聴いた時、いつも脳裏には『あの日のRUN』が蘇って、彼らの声が、表情が、溢れんばかりの力が、自然と湧いてくる。
私にとってSexyZoneは、どこかヒーローに近い存在だった。
一瞬の夢を見させてくれる魔法でも、現実を忘れさせてくれる逃避のための手段でもない。乗り越えなければいけない夜に、寄り添ってくれる音楽がある。変わらずに、そこにいてくれる。重ねていく日々に『光』を与えてくれる。これから先の『力』をくれる。〈アイドル〉というものが、そういう存在であると、そういう存在であるべきだと、私はSexyZoneから教わった。
私はジャニーズ以外にも色々なグループを応援してきたので、アイドルの『卒業』というものが名前ほど綺麗じゃないことをよく知っている。ある日突然いなくなることもあれば、不祥事を起こしてそのまま『卒業』という名の『解雇』をされて去ることもある。その裏にある真実が、嫌でも透けて見えてしまうんだよね。
だからこそ、マリウスが卒業を発表して、グループから去った時、『卒業』という瞬間が、あれほどまでに美しくなることを知った。それはきっと、彼らが着実に積み重ねてきた日々の努力や貫いてきた信念が間違っていなかったこと、自分達で手繰り寄せてきた力が、結果として周囲からの厚い信頼と愛をもたらしたからなんだと思う。
話を戻すと、私は最後の最後まで、SexyZoneが SexyZoneじゃなくなることにも、中島健人がSexyZoneじゃなくなることにも、納得もしていなければ、前向きな気持ちで居られるほどお利口ではいられなかった。
受け入れなければいけない現実と、受け入れてたまるかという思いとを、行ったり来たりしながら、やっぱり『受け入れなくない』という気持ちが最後には勝つ。そんな日々を3/31まで繰り返していた。
これはSexyZoneを去る中島健人に向けた『餞』のライブではなくて、5人全員がSexyZoneから『卒業する』ためのライブである。
配信ライブは、一貫してそうだった。
『今』を噛み締め、『今』を抱きしめ、そして喜び、それらが全身から滲み出るようなパフォーマンス。私が好きになった、あのSexyZoneだ。『過去』を抱きしめ、『過去』を惜しみながらも、『未来』の可能性を信じている。
薔薇を持ってデビューした彼らが、その薔薇を花瓶に戻す。最後のシングルとなった『puzzle』での欠けたピースを、マリウスが埋めて完全体となった形での終焉。あまりに出来すぎている。あまりに美しすぎる。一つのグループが旅を終える瞬間として、あまりに完璧すぎる。
不満も言いたいこともたくさんある。寂しいよ。SexyZoneでいてよ。ケンティー置いて行かないでよ。5人でずっといてよ。これからもステージで一緒に歌って踊って、たまにふざけてよ。叶えられてない夢だってまだあるじゃん。勝手に、ふざけんな。
そんな思いも、あの完璧すぎるステージを見せられたら、ぐうの音も出なかった。頑固として『卒業』と『5人』を貫いた彼らの、勝ち。
彼らの、グループに対する思いと、メンバーを思う気持ちと、頑固なまでにそれらを貫き続ける信念には、到底敵わない。敵うはずなんてない。
新たなグループ名を掲げ、あるいは別の道に一人で立ち、それぞれの色々な発表を受けて、改めて4月を迎えたことを実感する。
まだ追いつけないことだらけで、これから先、自分がどうやって彼らと向き合えばいいのか、彼らの選択を見つめていけばいいのか、正直全く分からない。
また少し先を歩き始めてしまった彼らの背中を見つめている。また、『置いて行かれてしまったな』と思っている。
同時に、SexyZoneは本当に『永遠』という名の箱に仕舞われたことを実感している。5人のままで、5人の中に、そして私達の中に、大切に、大切に。きっとこれから先、箱から漏れ出す光に、切なくなったり、恋しくなったり、愛おしくなったりしながら、その『光』に、時には助けられたり、時には殺されたりするんだと思う。
SexyZone、ありがとう。
SexyZoneよ、永遠に。
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