知的な判断をするために!教師が騙されないために!悪意あるレトリックに騙されないために!
【知的な判断をするために】
レトリックの勉強が重要なのは,語り上手になったり,人を説得したりするためだけではありません。
他人の悪意あるレトリックに騙されないようにするための防衛手段でもあります。
レトリックは,簡単に人の感情に訴えかけて,その人に誤った印象を植え込むことができます。
例えば,
「教師の質が,近年は下がり続けている。」
というのは,近年の教採の倍率の推移や,教員採用試験での得点,あるいは,教採自体の問題の難易度の低下などで,相当程度,客観的に立証できます。
また,教育委員会の採用担当を長く経験した人の話を多く聞き,それらを総合すれば,やはり,近年の教員の質が低下している傍証にもなります。
ところが,
「教師の質が,近年は下がり続けている。」
という,一つの命題を,
「教師の質は,昔の方が良かったなどと言う人がいる。」
という風にレトリカルに言い換えるだけで,この命題を,ものすごく悪い印象で伝えることができます。
このように言えば,あたかも,「最近の若者は・・・」という表現が忌み嫌われるように,聞き手の感情を操作することで,命題自体の客観性よりも,主観的な嫌悪感を煽って,命題を否定することが可能です。
これがレトリックの力です。
詳細に言えば,ストローマン論法(手法)と言われる,論理のすり替えです。
ストローマン論法の有名な例としては,
「子供が道路で遊ぶのは危険だ。」
と誰かが言う時に,
「では,子供を一日中,家に閉じ込めておけと言うのか?」
と反論するようなものです。
道路で遊ぶことが危険だという命題は,客観的に立証できます。
でも,その命題を,「子供を一日中,家に閉じ込めておく」と言い換えることで,聞き手の感情をあおって,最初の命題を感情的に否定させようとするのが,ストローマン論法です。
「教師の質が,近年は下がり続けている。」という客観的な命題を,ストローマン論法で,「教師の質は,昔の方が良かったなどと言う人がいる。」と言い換えることで,聞き手の感情をあおって,主観的に命題を嫌悪させようとするのです。
このような詭弁は,レトリックの悪用例として,広く知られています。
世の中には,詭弁は溢れています。
学校での体罰やブラック校則,また,厳しい部活動や無意味な集団行動などは,現在,客観的に分析され,批判されています。
しかし,こうしたものを,「私は,そうした学校に行ったからこそ,今の成功がある。そうした学校がなければ,私は犯罪者にでもなっていただろう。」と,客観的に反論し得ない,話し手個人の作り話(本当であっても特異な自己の経験)で,正当化しようというのも,詭弁の代表例です。
でも,このような詭弁がまかり通るのが,レトリックの世界であり,広報戦略の世界です。
このようなレトリックは,典型的には,アメリカの大統領選挙をはじめとする政治の文脈で,多く使われています。
トランプ氏などは,このような詭弁的なレトリックの「天才」と言えるのかもしれません。
客観的な分析を,詭弁で,感情論に移行していたのでは,いつまで経っても,進歩できません。
最近では,
「AIの可能性をもっと活用すべきだ。」
という命題を,すぐに,
「では,人間はいらないと言うのか?」
という風に感情的に言い換えて,聞き手の感情を揺さぶって,本来の命題の客観性を,感情的に否定しようとする人が多いようです。
現代人は,多くのストレスや不安を抱えています。
そういう悩める人に一番強く響くのは,感情的な言葉であり,詭弁的なレトリックです。
そして,こういう人が,大衆を動かし,トランプ氏のように,どう考えても,大統領にふさわしくない人が,大統領に選ばれてしまいます。
感情をゆさぶる言葉は,強力です。
そして,時として,それは,「人間」,「先生」,「人材(人財)」というような言葉に,感情的な意味を吹き込むことで,詭弁的なレトリックの力を増幅させます。
例え,誰かが,客観的に,人間の限界や,最近の教師の質の低下や,人材の登用方法の誤りなどを指摘したとしても,
「だって,人間は,人間から学ぶのだから!」,
「先生こそ,子供にとって・・・」
「人材こそ,宝物だ!」
といった,詭弁的なレトリックで,聞き手の感情を揺さぶって,客観的な指摘や分析を,主観的に否定させようとします。
詭弁的なレトリックを使っている本人は,それが,レトリックであることを知っているはずですが,自分の目的,例えば,販路開拓,あるいは,政治的野心を達成するためには,最も簡単で強力なのが,感情的,かつ,詭弁的なレトリックの活用なのです。
先程,トランプ氏が,そういった詭弁的なレトリックの「天才」と言いましたが,彼が大統領にまで選出された最大の秘密は,まさにそれなのです。
こざかしい広報戦略をかじった人は,圧倒的な威力を持つ,詭弁的なレトリックを振りかざします。
今の日本のソーシャルメディアでは,そのような詭弁的なレトリックが最強です。
最強だからこそ,広報戦略の初心者は,その最強のレトリックを頻繁に利用します。
でも,そこには大きな落とし穴があります。
詭弁的で感情的なレトリックは,不安な人,弱い人,悩める人の感情を煽ります。
その煽りの中で,そう言った人々の感情を刺激し,自らの自己都合のメッセージを伝えます。
レトリック自体の内容は,「人間だもの」,「先生だから」,「人間は人間によって・・・」などと,人間礼賛ですが,その実態は,人間の最大の能力である,考える力,分析する力,理性を働かせる力を奪います。
つまりは,人間を感情的に動く動物のように変えるレトリックが詭弁的で感情的なレトリックなのです。
こうしたレトリックを多用する人は,人間の味方と言いながら,人間が人間である真の意義,
考える人,
議論する人,
理性的な人,
そして,何より,人が,人類の学名である,ホモ・サピエンス(賢い人)であることを破壊してしまいます。
知性ある人であり続けるためには,知的な判断ができる必要があります。
詭弁的で感情的なレトリックに惑わされないことが,まずは,第一歩です。
河野正夫
レトリカ教採学院
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