河野正夫は死にます。しかし、その前に、一つの真実を語りましょう。

河野正夫は死にます。しかし、その前に、一つの真実を語りましょう。

「なぜ人は死ぬのか?」、その問いに対する最もシンプルな答えは、「生きているから」です。

生と死は対立するものではなく、むしろ二つで一つの真理です。

私たちは誰しも、この避けられない運命に向き合いながら、どう生きるべきかを常に問い続けてきました。

歴史を振り返れば、不老不死を追い求めた多くの偉人たちがいました。

しかし、彼らも結局はこの運命から逃れることはできませんでした。

これこそが、「何のために生きるのか」という問いを私たちに突きつけます。

だからこそ、私たちは毎日を全力で、誠実に、そして喜びと夢を追い求めながら生きるべきなのです。

私もまた、いつかは死にます。

しかし、その前に、私は何を残し、何を成し遂げるのか。

それが私の課題であり、戦いでもあります。

私は人生の大半を「革命家」として生きてきました。

ここでいう革命とは、特定の政治思想を掲げたものではありません。

私にとっての革命とは、社会の不条理、正義が踏みにじられる瞬間、自由が奪われる状況に対して、真っ向から戦い、現状を打ち破ることでした。

それは、フランス革命やアメリカ独立革命、さらには日本の明治維新のように、犠牲を伴うものです。

しかし、何もしなければ何も変わらないという信念が、私を突き動かしてきました。

私はアメリカ在住中に、不正を働く大学を告発し、その大学を最終的に閉鎖に追い込みました。

日本でも、メディアを巻き込みながら、大きな組織と戦いました。

その過程で、仲間が生まれる一方、私の行動が原因で傷ついた人もいました。

しかし、それでも私の信念は揺るぎませんでした。

フランス革命やアメリカ独立戦争、明治維新さえ、すべては誰かの犠牲によって成し遂げられたものだからです。

先日、8年前に亡くなった父の夢を見ました。

父との対話は、今でも私にとって忘れられないものです。

父は常に私を守ろうとし、「自分を傷つけるな、損をするな」と言ってくれました。

父の愛情と配慮は痛いほど感じていましたが、それでも私は反発しました。

私は、たとえ自分が傷つこうとも、正義と真理、そして自由のために戦うべきだと信じていたからです。

ある日、私は父にこう言いました。

「自分を守ることは大切だ、でも皆が自分のことしか考えなければ、誰が世界を変えるのか?誰が自由を守るのか?」

すると父はこう言いました。

「それは他の誰かがやればいい。お前がその役割を担う必要はない。」

その言葉が、私の心に火を灯しました。

その瞬間、私は全てを賭けて社会を変えるために戦うと決意したのです。

アメリカに住んでいたとき、私は「自由の闘士(Freedom Fighter)」というニックネームをもらいました。

それはまさに、私の生き様の象徴でした。

どこにいても、不条理や不正に立ち向かい、戦い続けました。

戦いの中で多くの痛みや損失を経験しましたが、それでも私は屈しませんでした。

なぜなら、私は社会が変わるのを待つのではなく、自らがその変革の一部になることを選んだからです。

今振り返ると、私の人生はまさにいばらの道でした。

しかし、後悔はありません。年齢を重ねるうちに、かつてのような闘志は少しずつ和らいできたかもしれません。

最近では「仲良しが一番!」なんて言うこともあるほどです。

それでも、不条理や不正が目の前に現れれば、私は再び命をかけて戦うでしょう。

それが私の信念であり、生き方です。

そして私は、あることに気づきました。

誰しもが死ぬのです。

私、河野正夫も、いつかは必ず死にます。

だからこそ、私は妥協しません。

自分の信念を曲げることなく、保身に走ることなく、貫き続ける。

それが私の生き方です。

再び宣言します。

私は「革命家」であり続けます。

たとえ命が奪われようとも、不条理に直面したとき、私は立ち上がり、命を懸けて戦い続けます。

それが私の信念であり、私の生きる理由です。

河野正夫はいつか死にます。

しかし、その死を恐れません。

むしろ、死を知るからこそ、私は真の自由を手に入れたのです。

そして、"Freedom Fighter" としての道を、これからも歩み続けます。

河野正夫
2024年10月1日
<原文は,英語版です。>


レトリカ教採学院
河野正夫


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