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完璧主義でなくていいが決して妥協してはいけない

近年、ビジネス、特にエンジニアリングの世界において、そのけん引役である米国を中心に根付いたプラグマティズム的発想のもと、失敗を恐れず、素早く行動し、改善を積み重ねることが推奨されています。その中で、完璧主義は非効率的であり、時には自己や他者を精神的に自分を追い込む悪癖として認識されることが多いのではないかと思います。

確かに、自己や他者に対して過度に批判的になるような完璧主義は、心身に負担をかけ、創造性や生産性を損なうことがあります。しかし、個人的には「完璧主義」である必要はないが決して妥協してよいというわけではないと考えています。この記事では、「完璧主義」と「妥協しないこと」の違いを明確にし、妥協しないことで得られる成果について書きます。

完璧主義の解像度を上げる

完璧主義には、いくつかの要素が含まれていると考えます。

完璧主義の要素分解
  1. 理想の設定と追求
    理想の状態を思い描き、それを目指して努力すること

  2. 結果に対する評価
    結果が理想にどれだけ近づいたかを評価すること

  3. 自己・他者への批判
    評価に基づき、自己や他者を批判すること。"完璧"が実現されることは極めてまれであるため、賞賛になることは無く、ほとんどの場合非難になります

私は、このうちの最初の二つは非常に大切で、ここまでを実行することが「妥協しないこと」だと考えます

妥協してはいけない理由

理想を追い続けると起こること

完璧を追求し続けると、次のようなことが起こります。

仮に完璧を目指して努力しても、自身の能力・チームメンバーの能力・予算・時間・守るべき規定やルールなど、現実にはさまざまな制約があり、完璧な結果に達することはほぼ不可能です。自己評価ではよくて70%、自分に厳しい人はいつも20%程度かもしれません。

しかし、完璧を追求し続けることでアンテナが立ち、書籍や記事、上司からのフィードバック、優秀な同僚の仕事などから、自分が完璧だと思っていた基準は、まだまだ完璧ではないことに気が付きます。そして、次の挑戦の際には、より高い完璧を目指すことになります

こうなると、仮に次も理想に対して70%しか達成できなかったとしても、以前よりも高い基準に到達することができるのです。これを繰り返すと、仮に自己評価では常に70%の達成率であっても、絶対的な到達点は着実に向上していきます

妥協を続けると、質の低い成果を繰り返し生むだけになる

一方で、妥協し始める、つまり完璧な状態を目指すことをやめると、基準が向上せず、その基準に到達するための努力もしなくなります。結果として、質の低い成果が生まれやすくなります。

さらに悪いことに、妥協を続けることで、理想のレベルが低下し、最終的には成果の質がさらに悪化する可能性もあります。

これが、私が完璧主義でなくてもよいが、決して妥協してはいけないと考える理由です。

以上です。


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