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2022年ベスト「#V系なんもわからん」8選(投げ銭)

2022年に印象に残っているヴィジュアル系作品を8作品選びました。どれも #V系なんもわからん となる名作ばかりです。

#V系なんもわからん とは?

最終的に武道館をソールドアウトさせるにいたった「#V系って知ってる?」という一大ムーヴメントに対し、インターネットのV系猛者たちがつぎつぎに「V系なんもわからん」と言い出した恐ろしい現象のこと。

王道王道うるせえよ!:NIGHTMARE『NOX:LUX』

王道のヴィジュアル・ロック。なにかにつけ枕詞のようにそう紹介されてきたNIGHTMARE。7年ぶりの本作では、王道という言葉に牙をむくように、ストレンジなアレンジが光るアルバムです。

「Night Light」のチープなシンセも変だし。「Re:Do」のデデドン!というシンセも変だし。「Cry for the moon」の拍をずらしながらテレテレするギターも変だし。バラード「Last note」でのめちゃくちゃワウ効いたギターも変だし。「RAD DREAM」のピャッピャッピャってキーボードも変だし。「極上~」のチャッチャッ!の手拍子のあとの突然のモッシュパートも変だし。「Deadass」のメタルコアっぽいのにギターの歪みがメタルっぽくないブレイクダウンリフも変だし。「レゴリスの墓標」の……

ここらへんでやめておきますが、とにかく従来のNIGHTMAREの印象とは異なるストレンジなアレンジの数々。それが絶妙な説得力をもって迫ってくる。そのストレンジさは主に70~80年代シンセポップ風な電子音によるものです。それが相変わらずメタルとは若干違うやり方で弾きまくるギターとあわさって、どこかプログレ/フュージョン的な雰囲気も醸している。このあたりが「円熟」と言われるゆえんでしょう。

しかし、円熟というより、やはり変。NIGHTMAREらしいヴィジュアル系サウンドに往年のプログレ/フュージョン的なアレンジが施されるのは、むしろ派手でさえある。各々のソロ活動で培ったアレンジ力を解放しまくった、あるいはボーカルの制限と変化をむしろ最大限に利用した挑戦的な意欲作という感じ。もう王道とは言わせねぇ!

90年代・メタリック・イケメン:アリス九號.『Grace』

ヴィジュアル系イケメン集団の一角であり「NUMBER SIX.」のDVDのころから潔くイケメン性を引き受けてきた彼ら。そんな彼らがまさかOpeth90年代ヴィジュアル系というオタク要素を全開にしてくるとは……

そう、Opeth。プログレッシヴ・デスメタルの雄。DIR EN GREYがメタラーたちの目の色を変えさせた「VINUSHKA」を生み出した、その影響源となった偉大なバンド。それをアリス九號.は、冒頭の「Living Dead」でわかりやすく取り入れました。プログレデス期Opethの必殺オープナーである「The Leper Affinity」と「Ghost of Perdition」を混ぜたような、在りし日のOpethイデアをわかりやすく抽出したような曲が流れたとき、私は両手を天に挙げてこう叫びました。プログレッシヴ・デスメタル!!

意外でした。ここ数年エンタメ性強めの作品を残していたアリス九號.が、DIR EN GREY「VINUSHKA」以降のヴィジュアル系におけるガチ要素として君臨するOpethをわかりやすく取り入れたことは。それと同時に、引用にとどまらず、彼らにしかできない形でOpethした点に歓喜しました。「Living Dead」では、キメッキメのボーカルはもちろん、指パッチンやデデデン!のシンセ(お前もか)が効果的に使われ、全体としてロック・アンセム的な雰囲気をたずさえています。こんなの世界中のOpethフォロワー見渡しても珍しい。DIR EN GREY「VINUSHKA」は「深淵……」「痛み……」なアトモスフィアなわけです。在りし日のOpethはそういうところが魅力だったわけです。そこをルッキザウェーン♪してしまえるのは、やはり彼らの歩みが関係しているのでしょう。

彼らの歩み。だいぶはしょりますが、彼らは一時期メタルバンドとして歩んでいたり、メロトロンを用いたプログレッシヴ組曲をつくったりしていたのです。そういう蓄積と、ここ数年のイケメン・エンタメ性が見事に融合した結果と言えます。

もしかしてメタル路線復活か?!と歓喜したのもつかのま。続く「Funeral」。LUNA SEA直系のテーレッテレッのギターリフの曲でガラスを割るという、「2022年ですが?」と突っ込まざるをえない90年代ヴィジュアル系的な曲です。そして冒頭のプログレデスはどっかに行ってしまい、これ以降わかりやすく90年代ヴィジュアル系っぽい表現が頻出します。意外!いや、もちろん彼らはL'Arc~en~CielやLa'cryma Christiを筆頭に、90年代バンドに影響を受けまくっているのですが、それをここで解放するとは。

しかし、ここでも単なる意外な引用では終わりません。90年代ヴィジュアル系らしい空間系エフェクトと疾走感、そしてそれらが醸す独特のクサみを活かしながら、安易な音運びを拒む曲展開とアレンジの妙で、それらを現代的なスタイリッシュさへと融合しています。メルヘン世界にクラシックカーで突っ込むアートワーク的独自の謎世界観が展開されています。

あと最後の最後にまたメタラーを歓喜させる仕掛けが。「Grace」のイントロがモロっくそDeafheaven「Dream House」です。「Dream House」がもつグラデーション・ピンク性を彼らのイケメン・エンタメ性と接続した名曲。進歩メタルと90年代ヴィジュアル系のハンバーガーかよ。

練りに練ったエレクトロ・マスロックの傑作:Develop One's Faculties『C17H19NO3』

変則的ギターロックという、ヴィジュアル系の既存の評価軸の中央から外れたことをやっていた彼らが、さらにそこから脱して生み出した傑作。

隙間の多いアンサンブル。ブレインダンス的なエレクトロ。マスロック。トラップ……出てくる要素をこうしていくつか並べただけでもヴィジュアル系としては挑戦的な作品です。そのうえで、それらの魅力を引き出す音作りが最大の注目点。これまではいわゆる現代のロック然とした、もっと言えばJ-Rock的な明瞭で派手な音でした。それが、角のないコントラストの低い音になった。この変化がバッチリはまった。彼らが多用する要素であるシャッフルや、マスロックやポストロック由来のフレーズ、ハスキーな声質、アナログな質感の電子音……そういう要素が持つ「落ち着き」を引き出した。それがむしろ、歌詞やサウンドに込められた強い感情・メッセージ性を引き立て、また、聴き手に抵抗なく伝わるようになりました。

最後の曲。かつ表題曲である「C17H19NO3」には、彼らの代表曲である「アンインテンジブル」の歌詞が出てきます。そしてこう歌われます。

こんな私にもまだ美味しい部分が残っているんだよって

Develop One's Faculties「C17H19NO3」

本作は、彼らの美味しい部分をより美味しく提示した傑作です。と同時に、これまでにない美味しい部分が創り出される予感を感じさせる、次の段階に進む記念碑となる作品でもあるでしょう。DIMLIMが『Misc.』でメタルという文脈から成したことを、ギターロックという正道ともいえる方面から行ったとも取れます。

もう一度輝くための悪態:NAZARE「Deadly」

EDMとメタルコアというのは、エレクトロニコアというジャンルがあることからもわかるように、2000年代から追求されてきたやり方です。日本でもCrossfaith以降モリモリ人気が出てきて、Fear, and Loathing in Las Vegasの高速ダンスビート+トランスという形態はヴィジュアル系にも輸入されて全盛を誇っております。

NAZAREの「Deadly」も大枠で言えばそのEDMメタルコアです。しかしテケテケテケテケという高速トランス音と硬質で分離がよい音圧弦楽器が、ツッタツッツタンのハードコアビートに乗る構成は、ダンサブルでフェッシーな縦ノリではなく、無数の銃弾を背にひたすら前に突っ走っていくような、弾幕シューティングゲームのハードモードのような切迫感を醸しております。

で、その音に乗る歌詞が「消え失せろ糞共」なわけです。

「あの頃と比較するんじゃねぇ」「お前の小言は聞き飽きた」という歌詞からもわかるとおり、この歌詞は変化を許容できないものたちへの悪態です。それは90年代ヴィジュアル系を愛好しつつ新世代に文句をつけ続ける古のファンかもしれません。あるいは、もっと直近の、ドラマーの壱世がいたD.I.D.やDIMLIMとの比較に対するものかもしれません。いずれにせよ、変化を好まないものの小言、あるいは上の世代と比較して下の世代をくさす発言というものに対してのイラつきです。(そういえばDIMLIMも「What's up?」で似たようなことを歌っていました)

そういうイラつきが、上から下まで多彩に変化するボーカルにのって弾幕のように襲ってくる。

ただしこれは、ただの悪態ではない。ブレイクの部分で、流麗なメロディでこう歌われます。

閉ざされた光は 輝く事さえも恐れてしまった
閉ざされた光は 輝く事さえも忘れてしまった

NAZARE「Deadly」

NAZAREは、ボーカルの澪の双極性障害などの悪化で解散した過去があります。それを踏まえると、この部分は、彼自身に向けられたものと考えられます。そしてこの部分を経てでてくるのが、曲の冒頭でもでてくるつぎのフレーズ。

一切合切 哀れな姿を
晒し続けてしまえば良い

NAZARE「Deadly」

これの意味合いもまったく変わってくる。冒頭では「お前」に対してだったこの言葉が「輝く事さえも恐れてしまった」自分に向くのです。悪態が、覚悟となるのです。

つまり「Deadly」の悪態は、もう一度彼が輝くために必要な劇薬的儀式なのです。こうまで過激な方法でないと、解散の原因となった自分を奮い立たせられない。その切迫感が、サウンドと合致して、我々リスナーをも奮い立たせるのです。

そういう真に迫ったものがあったうえで、ビルドアップなど、ライブでの盛り上がりも容易に想像できる内容なのがすごい。キラーソングを生み出したなぁ、とおもいました。アルバム全体もよかったですが、やっぱこの曲は突出していた。

ここまで赤裸々に語っていいのか?:アルルカン「PICTURES」

ヴィジュアル系バンドパーソンの内実をポエトリー・リーディングでありのままに語った曲。

「売れていくCD もとい撮影券」
「彼女が居なきゃたぶんダメだった」(*1)
「2度目のBIG CAT
 当日の朝 親父が死んだ」

アルルカン「PICTURES」

ポエトリーと書いたものの、詩的な表現をしているわけではありません。多義的な読み方ができる抽象的な言い回しでもない。具体的な人物や場所、行動をあげながら、内実を叫んでいるだけ。今年でいえばUVERworldも「EN」で似たようなことをやっていましたが、あちらは割とちゃんと社会批判的・啓蒙的な内容を盛り込んだ、ロックの作法にのっとった語り口でした。

ヴィジュアル系バンドパーソンが苦悩をもらすことは珍しいことではありません。ただ、それはMCやインタビューで成されてきました。最近は、暴露系YouTuberの作法にのっとったものもあるのかもしれません。しかし、曲になると詩的な表現になるか、メタ視点でネタにするかでした。それを、ボカさずに真正面から曲にした。

実はこれは、驚きではあるものの、変化としては唐突ではありません。アルルカンは代表曲「ダメ人間」が語りから始まるようなバンドですし、歌詞も内実を吐露するようなものが多かった印象です。「PICTURES」の前にも「MONSTER」で同じようなスポークン・ワードを聞かせています。音楽性にしてもそうです。

だから、これは彼らの自然な変化です。だから、経験をベースにした赤裸々な内実の吐露の、最後にあらわれる「お前」という言葉と「これからの話をしよう」という語りかけがリスナーの心を打つのでしょう。

という御託は抜きにして私はけっきょくこの手のポエトリー音楽が好きなんだなというだけの話です。日本におけるポエトリーの系譜をまとめた文章だれか書いてほしい。

*1 「彼女」はマネージャーのことだったわけですが。

オブスキュア・ブラッケンド・ヴィジュアル系:DazzlingBAD

2022年、いちばん「なんじゃこりゃ??」となった作品です。

端的にいえばEmperorが興したシンフォニック・ブラックメタルを、ヴィジュアル系ゴシックの劇場的な仰々しさで解釈したという感じです。そういう意味でMoi dix Moisの系譜に置くことはできます。しかし、新世代らしくDSBMのような陰惨リフや、Deathspell Omegaのような暗黒フレーズも登場。謎の禍々しさを発しております。不気味可愛いクリーンをしたかとおもったら絶叫するボーカルの表現もおどろおどろしく、音楽性にばっちりハマっています。

そして、2曲目が朗読。演奏も別にバンドサウンドというわけでもなく、ピアノで朗読です。1曲目で描いた世界を具体的な物語にした、という内容ですが、なんかマガツノートみたいだな?? ここまでしっかり物語を朗読するなんてなかなか勇気のいることですが、そもそも世界観という価値基準が重要視されるヴィジュアル系というジャンルで、こうした世界観形成型作品こそ覇。

音楽的にも、この奇妙さから何か生まれそうな感じはヒシヒシと感じます。過去作はもっとふつうなモダンメタルっぽい音もあるのですが、個人的にはこのブラックメタル&朗読路線でフルアルバムを作ってほしいところです。

ありえたもう一つの歴史:Devil Master『Ecstasies Of Never Ending Night』

メタルの名門Relapseから発売されたブラッケンド・メタルパンク。ヴィジュアル系ではありません。しかし、音がかなり初期ヴィジュアル系に近い。エクスタシーとか言ってるし。

彼らの主要な影響源はふたつ。ジャパニーズ・ハードコアとブラックメタルです。その結果出力されたのが、ブラックメタルにデスロックのノリが融合されたこれ。初期のヴィジュアル系の誕生には、ジャパニーズも含むハードコアとメタル、ゴシックロック、ビートロックなどが関係しているというのが定説です。そこにブラックメタルはない(そもそもいわゆるブラックメタルが形成されたノルウェー第2波とヴィジュアル系は同時期)。にもかかわらず、2000年代中後半から、黒夢「親愛なるDEATH MASK」がブラックメタルっぽいという解釈も広まってきました。そういう視点をもってDevil Masterを聴くと、ヴィジュアル系のありえたもうひとつの歴史という気がしてきます。

多重文脈ヴィジュアル系:Madmans Esprit『나는 나를 통해 우리를 보는 너를 통해 나를 본다』

「ヴィジュアル系のもうひとつの歴史」を韓国でつむいでいるのがこのMadmans Esprit。主要素としてはブラックメタル/メタルコア/ニューメタル/ポストパンク/V系/プログメタルですが、それがシームレスにつながるでもなく、つぎはぎ的に切り替わるでもなく、もつれながらゴロゴロと転がっていく感覚。プログレッシヴよりも歪で、カオティックよりもポップ。ジャストなのにもつれている。

このジャストもつれは、アルバム全体の流れにもある。「Seoul」から続く三曲が、そこまでにリスナーが作っていた認知の枠組みを破壊する。悪ノリみたいなサンプリングが炸裂する「Dichotomy」を聴いて「なんじゃこりゃ」とならないリスナーはいない。その戸惑いは次曲のF**k連呼でかき消される。とおもったらその次はBMTH……なのか? それでも、全部聴き終えて「めちゃくちゃな作品だった」とはならない。むしろ統一感すら感じるという構成。

これには、メンバーのごった煮がいい方向に働いているとおもいます。ギタリストはざっくりメタルとオルタナで背景がまるで別。ドラマーは自身のピコリーモバンドではギタボをやるマルチプレイヤーです。

そして何より、こうしたメンバーの出自をけん引できるだけの、Kyuhoの鬼ウマボーカルの存在が大きいです。Kyuhoは、従来のメタル的ハイトーン(この時点でこの手の音楽のボーカルとして珍しい)+ブラックメタル的ダミ声+デス声+合唱曲的・オペラ的歌唱+ヴィジュアル系・ゴシック的低音と複数の文脈を行き来します。それでいて、そのどれもが高いレベルで成されており、また、これだけ多彩な声を出しながらも、Kyuho本人という人物を強く想起させる一貫性の高いものです。たとえば従来のメタル的ハイトーンの感情の昂ぶりの先にブラックメタル的ハイピッチダミ声があるというような形です。主要人物の主要パート表現の一貫性が、メンバーの演奏や自身の趣向からくる音楽性の多様さをひとつにまとめあげています。

そしてそれを、ヴィジュアル系というごった煮ジャンルで、ただし韓国というヴィジュアル系が根付いていない地でやるという意思と合意をもったメンバーたちとやることで、さらにそのごった煮が説得力をもつ、というのもあります。

さらには「私を通して私たちを見ているあなたを通して私を見る」という頭がこんがらがるタイトルからもわかるとおり、確実に「このごった煮の中からお前は何を見出すか?」を問うてきている面があります。つまりどのように切り取るかで、多数の語り口が生まれうる懐の深い作品なのだろうなと。

余談ですが、強烈な個人の嗜好が、強く結びついたメンバーによる多様性を巻き込みながら実現する、という点では、Madmans Espritはsukekiyoに近いものを感じます。

終わり

実は、後半三組はみなブラックメタルとヴィジュアル系という点でつながっています。そのふたつは音楽的にほとんど繋がって来なかったのですが、それだけに発展の余地があるおもしろい部分です。ここの歴史については、誰かがまとめてくれる気配がないなら、いずれまとめようかとおもいます。

内容としては、Moi dix MoisからMANIERISME、黒夢やLUNA SEAなどオールドスクール・ヴィジュアル系のブラックメタル的再認知、Madmans Espritの誕生、DazzlingBAD、その背後にある欧米のブラックメタルなどなどを紐づける形になるとおももいます。

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