AI絵に囲まれてへたくそなイラストを描き続けることを昨日までの世界よりリスペクトすべきなのかもしれない。

AIを活用されているイラストレーターの方にフォローして頂いたので、AIによる画像生成についてもう少し考えてみる。↑の私の投稿で最後に、

もしかして盗品を組み合わせたブリコラージュなのかもしれないにしろ、そこに作品と呼べる何かがあって、その寄せ集めに私たちが意志を持って関与したら、創作者であると自称してもいいように思います、というのが少し画像生成AIを触っての感想でした。その寄せ集めは、イラスト系のお仕事をやっている方々への殺人装置であるようにも感じましたが、それはまた別のお話で。

と書いた。「イラスト系のお仕事をやっている方々」とは、画像生成AIで生成されるようなイラストで今までご飯を食べて来られた方のことだ。私のような素人からすると、美少女主体のライトノベルの表紙や作中のイラストがAIによる生成画像に置き換わっても、あまり違和感がない。

あまり違和感がない、というのだから、それでも違和感は残る。現時点では、という留保付きだが、AIによる画像に、私は「動き」をあまり感じない。躍動感と言ってもいい。そうしたダイナミックな絵を動的と呼ぶなら、動的なイラストはAI画像で置き換えられないし、美少女が立っているだけの静的なイラストは置き換えられる。

漫画はそうした意味で、動的なイラストの連続である。漫画の背景に実際の風景が取り込まれて使われたり、3DCGの建物モデルを処理して使ったり、最近流行の転生作品で魔法の描画をデジタルでエフェクトを掛けたり、PCの活用は進んでいる。だが、商業誌で連載されるレベルの長編漫画をAIが描けるかというと、まだまだ難しそうだ。

漫画界の現状を知らないが、1コマ~4コマぐらいの漫画はそのうちAIで生成できそうだ。長編漫画をAIを活用して描くなら、各ページの構図まで決めたラフ案を取り込ませた上でなら、きれいに作図されたデータが出力されるのかもしれない。

と考えたのだが、漫画の形式を学習したAIなら、漫画のような何かは出力できるのかもしれない。ここでいう漫画の形式とは、枠線の位置がここで人物がここでセリフがここらへんにあるという、漫画の作画の文法であって、当然、面白さではない。AIによる作画が崩れるのは、許容できる。しかし面白くない作品は、許容できない。

この辺り、イラストとの比較が面白い。私はAIが生成した画像を「この
絵は下手だ」とは思わない。目を背けようとはしない。美少女イラストには、美少女イラストの作画の文法があり、AIがその文法を学びそれに沿って画像を出力する限り、それを受け入れることができる。
漫画の場合はそうではない。きちんと漫画の文法に従った緻密な画風の漫画であろうと、面白くなければ1ページも読まれない。

では「面白い漫画」、または「売れた漫画」をAIが学べば、面白い漫画・売れる漫画が出力できるかというと、そうでもなさそうだ。

イラストを画像生成AIが作成できるとすれば、そのAIは画像の作成方法を学んでいる。面白い漫画を出力できるとするなら、そのAIは漫画の作画だけではなく、「面白さ」を学ぶ必要がある。面白さとは何かを知る必要はないが、面白い何かを知る必要はある。

ドラえもんのような何かのイラストを、AIは出力できる。ドラえもんの漫画の1話を元に、その1話を微妙に変更した何か、例えばドラえもんの秘密道具の「翻訳こんにゃく」を「翻訳コニャック」に変化させた漫画を作成できるようにはなるかもしれない。しかしそれはドラえもんの面白さであって、面白い漫画をAIが生成できることとは距離がある。

一枚絵のイラストでも同じことが言える。女の子がかわいい美少女イラストは、AIによって代替される。女の子がかわいいだけではない美少女イラストは、代替されない。その「かわいいだけではなさ」を何と呼ぶか分からないが、イラストに込められるなら、そのイラストレーターは生き残るだろう。というか、「かわいいだけではなさ」を自在に込められるなら、VTuberにでもなって投げ銭で大富豪になった方が手っ取り早い。

人力車が自動車やらで滅びたように、テクノロジーの進歩で成立しなくなる商売は無数にあった。歴史上、現代から近い所で数多くの商売が死滅したタイミングは産業革命だったのかもしれないが、それがAIの発展でプチ繰り返しするのだろう。


少し、話は変わる。私はおじさんで、AI画像生成を知らずに育ってきた。だから、絵を描ける人間にはリスペクトがある。AIが生成した画像よりもへたくそなイラストだとしても、商業レベルではない絵だとしても、すごいなぁと思う。そのリスペクトと、AI画像生成で美少女一枚絵しか描けないイラストレーターがイラストで生活できなくなるのは当然だという考えは、自然に同居する。他の分野でもそうだ。料理が上手い人がいる。すごいなぁと思う。しかし、その人が飲食店を開いたとして、必ずしも成功するとは思わない。

AI画像生成に対して、イラストレーターのうち、イラストで生活できなくなる(できにくくなる)人が文句を言うのはまぁ分かるし、プロならAIを越えたイラストを描けよ、という意見も分かる。

気になるのは、商業レベルではないアマチュアのイラストレーターのことだ。彼らの描いたイラストの多くは完成度として、AIによる生成画像に並びようもない。私は彼らのイラストは下手だなと思いつつ、それでも絵をある程度描けることに、リスペクトはやはり持つ。間違っても「AIの方が絵がうまいじゃんwww」と小馬鹿にはしない。AIに数秒で生成させたイラストを見せつけることもしない。

「工芸」という概念がある。工芸というと漆の食器などの伝統品をつくる技術ととらえられがちだが、イラストも十分に工芸である。しかし工芸として見れば、アマチュアのイラストは、あまり価値がない。制作過程に高度な技術もなく、完成品もたいしたことがない。工芸品としては、生成されたAI画像が優れている。

「芸術」という概念がある。アマチュアのイラストは芸術としても価値が低いだろうが、完成度の低い作品を作る人間を工芸家とは呼ばないにしろ、芸術家と呼ぶことはできる。

例えを出してみる。大学の漫画サークルで、少しイラストの上手い人がいて、サークルの同人誌の表紙はその人が描いていた。しかし生成されたAI絵の方が上手なので、彼はサークル内でのプチ尊敬を失い、サークルにも来なくなった。彼は気づく。自分はイラストを描くことが好きなのではなく、イラストを描ける人として褒められるのが楽しかったのだと。

AI絵の時代においても、イラストを描く人は残り続けるだろう。AI絵の方が、アマチュアレベルでは完成度が高いのは分かっている。そして、イラストを描ける人へのリスペクトは、次第に低下していく。AIに描かせればいいイラストをあえて描き続ける、変人だと。

そうした世界でイラストを描くことは、純化されざるを得ない。完成したイラストではなく、イラストを描き続けることで。私もイラストを描けない身として、AI絵に及ばない美少女イラストを描き続けるイラストレーターを、できるだけ長い間、かぼそくとも、リスペクトしていたいのだ。


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