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わたしのA to Z #4 「D」

夢(Dream)

「夢」というと
寝ている時に見る「夢」や
将来なりたいやりたいこととしての「夢」
どちらも自分の意志では見られないものだと思っています

私は夢を毎日見るのですが
最近夢を見ない人もいると聞いて驚きました
私にとって夢というのは意外と欠かせない存在です
よく見た夢について考えてしまうのですが
自分が思ってもいなかったことも教えてくれたり
時々いろんなアイデアをくれたりしますし
忘れていたことを思い出させてくれます

一番私の人生あるいは考え方に影響を与えているのが「予知夢」です
リアルではあまり人に言ってこなかったのですが
私は小さいときからよく予知夢を見ます
予知夢見るんだとか言っていたらどこかやばいやつみたいじゃないですか…()
予知夢といってもほとんどが後から気づくタイプで
見たときはそれがただの夢なのか予知夢なのかはわかりません
そもそも夢を見たとしても起きたらすぐに内容は忘れてしまっていて
覚えていたとしても誰が出てきたかや
ぼやーっとした感情・印象が残っている程度なので
よほどの強い衝撃がない限り覚えていません
でも生活している中で時々不思議な感覚になることがあります
完全なデジャヴとまではいきませんが
どこか見たことがある聞いたことがある場面に遭遇した時に
自分が見た夢のことを一気に思い出します
最近でいえば私は「東京ばな奈」という東京の有名なお菓子が好きで
東京に行った時の自分用のお土産でよく買ってくるのですが
好きといっても毎日そのことについて考えているわけもなく
日々生活しているのですが
その日は偶然なのか必然なのか夢で「東京ばな奈」が出てきて
(もちろん夢を見たということは忘れています)
いつもと変わらない日常を送っていました
ですが急に離れて暮らしている兄が帰ってくることになって
そのお土産として「東京ばな奈」を買ってきてくれたんです
不思議なことにどこか違和感を感じつつも
すぐにはその違和感が何なのかは気が付きません
少し経ってから一人でそれを食べているときに急に夢のことを思い出すんです

予知夢と似た感覚のデジャヴ(既視感)でいうと
初めて逢ったはずなのにどこかで見たことがある
この人のことを知っている
というような感覚に遭うことも実は少なくありません
もしかしたらこれも忘れているだけであって
前に夢で逢っている(見ている)のかもしれないです

この感覚に遭うたびに思うことがあります
「人生はあらかじめ決まっていて私はそれをなぞっているだけなのではないか」
ということです
あえて”私”と限定したのは
私以外の人たちは自分で選んで今を生きているように見えるからです

私はこの体質から得たものは生きる上ですごく助かっています
もし運命というものは決まっていて人生はそれをなぞるだけならば
「何をしても変わらないから絶望する」
のではなく
「何をしても変わらないのなら自由にやってみる」
と考えるようにしています
自分が頑張って自分の人生の何かを変えようとしても
いや
自分が頑張っても頑張らなくても何も変わらないのなら
楽しいことをやった方が絶対いいと思います
決して”楽しい”からといって”楽”とは限らないです
それでもその方が自分のやってきたことの結果を大事にできるような気がします
そうであってほしいという希望的観測です
そう考えると私もちゃんと自分で選んで今を生きているのかもしれないですね


後悔しないことが一番ですが
後悔しないことなんてありえないですから
それだったら後悔して後悔して
自分が本当にしたいことできることを知っていけばいいんじゃないかな
それが最終的な「夢」になるはずです
…と自分に言い聞かせています

最後まで読んでいただきありがとうございます
またどこかで逢いましょう

ReyByou.



1対1での会話を心がけています。 私の言葉があなたに届いたら非常にうれしく思います。