左近の話

感覚に名前がつけられる前、快と不快の感覚が全身をぐちゃぐちゃに支配している。周りにいる、自分と同じような年齢の人間の指先の動きからゲームは始まり、興奮と怯えのなかを短い手足で転がり続ける。そんなふうに、小学校低学年の男子は基本的に永遠に発狂している。
地区のソフトボール大会、最終試合で、セカンドを守っていた私はサヨナラエラーをした。ボテボテのゴロで、私がそれを拾ってファーストに投げればチームの勝ちだった。ゴロを見て、監督をしていたO野さんという近所の太ったオッさんが、勝った、って感じで笑顔で柏手を打った。そして私は手足が完全に硬直し、ゴロは私の股の間をホテホテと抜けて行った。私は申し訳なくなって、悔しそうな顔をした。あれ以来、期待した顔のオッさんを見るとたまにO野さんを思い出す。やけに身体接触をしながら打撃指導をしてくるオッさんだった。5年くらい前に死んだらしい。
それから、一度家に帰って集合して、スポーツ用品店で待ち合わせが行われ、バスに乗って、打ち上げが行われる焼肉屋左近へみんなで向かう。
激安の食べ放題焼肉だが、あまり外食をしない家で育っていたし、まして友人たちと一緒に「打ち上げ」をすることで興奮していた。サヨナラエラーのことはもう忘れていた。世の中に打ち上げより楽しいものはないことを、当時から予感していたのかもしれない。私は厚手の半袖のパーカーを着ていた。私はこの服を気に入っている、と感じたのはその服が最初だった。
焼肉屋左近は、国道沿いの畑の真ん中にある。たかだか20分くらいの距離でも、車のない家で育っていた小学校3年生の私にとっては、十分な遠出だった。周りの面子はみんなクラスメートだが、特に近所の連中で、引率しているのも近所の、まぁ土地柄ちょっと柄が悪目のオッさんたち。学校の行事とは微妙にテンションが変わってくる。
スポーツ用品店を出た頃はまだ夕方だったが、左近に着く頃にはもう陽が翳り、畑が群青色に染って怪しい雰囲気を出していた。バスの中から見えてくる左近は、ネオンがギラリ輝くとてつもない魅力が放たれていた。サコン、という響きにもかっこいいものを感じていた。それは私だけではなかったようで、サコンサコン、サコンーという発狂歌が車中で大声で歌われていた。
左近は、いわゆるビュッフェ形式となっており、肉や野菜やら、寿司やら揚げ物やらケーキやらアイスやらを自由に取ってくる。肉を焼いて食べる、というのは小学校3年生には困難極まりなく、やがて網の上には珍妙な焼き物が出来上がっていく。焦げたもの、溶かされたアイス、拾ってきた草などが一つの椀にまとめられ、フケなども振りかけられていく。そのうち、あるオッさんにかなり強い勢いで殴られた。
といってオッさんたちは教師ほど管理するつもりもなく、酒盛りを始める。もう座っていることすら困難になってきた私たちは、左近から飛び出し、畑の中でケイドロを始めた。左近のネオンだけに照らされて、もう一生踏むことはない土地を転がり続けた。

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