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ルパン三世 ルパンと不二子の会話Ⅱ

おフランスの知的なイメージは巷のルパンのイメージとは違うかもしれない。でも、ルパンのスペック、不二子のスペックを総合して行くと、あの陽気なイタリア人みたいなノリだけではないと思える。

「探偵 ジム・バーネット三世の挨拶」で見せた洞察力と知性。実はルパンは眼鏡がとっても似合う。痩せた体と大きな後頭部は、眼鏡をかけるとまるで学者のように見える。怪盗アルセーヌ・ルパンの孫として、貴族の末裔でもあるルパン。貧乏くさいフィアットに乗ってアジトを転々とする安っぽいコソ泥のような庶民的なイメージもいいけれど、ちょっと子供っぽいかなと思うし、それが宮崎アニメで確立されたのもやっぱりね、という感じがする。

宮崎監督は大人の世界を描けない。この人の手にかかるとルパンはキッズアニメになってしまう。車はミニカーになりキャラデザはコナンになり、お姫様を救う冒険談になる。


普段からもルパンと不二子が絵画や宝石、お宝について深い議論や会話を交わしていたなら、二人が本番で騙し合い裏切ったとしても、大きな傷にならないのがよくわかる。すでに二人の間にはそのお宝について共通の認識や見解に達していて、それをどちらが手に入れるかはあまり大きな問題じゃない。どちらかが手に入れればいいわけで、お宝を手に入れる、とはある意味謎解きでもあって、ルパンの関心は謎解きに、不二子の関心はお宝にそれぞれ目的が別れていて、互いの目的のために共同戦線を張っている。

お宝を獲得するまでがゲームだけども、盗みがルパンの最大の関心、芸術でもある。盗みが成功したならば、手に入れたお宝が不二子に渡るか、自分の所に来るかは二人にとってあまり大きな問題ではなく、それは更なる謎解きや敵との戦いのための第二ステージになることが多い。

逆に言えば、この部分があるかないかどうかで、ふたりの関係の見え方がまったく違って来ると思う。なぜ不二子は裏切るのか、裏切らなくてもルパンがプレゼントしてくれるかもしれないのに、なぜ不二子は裏切り続けるのか。

でも表に描かれていない部分で、二人には大泥棒として共有しているものがある。その深い知識や見識、感性、審美眼に洞察力。互いにシェアしているものがある。だからこそ本番が遊びになる、ゲームになる。そしてこの絆は二人以外はわからない、仲間たちに彼らの愉しみが理解されなくても仕方ない。次元や五右衛門とは共有していないから。


ルパンと不二子の間にはそういう秘密の会話、ベットの中で、ベッドの後で、ベッドの前で、二人だけに交わされている会話と秘密の愉しみがある。それはパート4のマリーアントワネットの首飾りを盗む事件で、ルパンが不二子の部屋を訪れ、盗みの後で不二子の部屋でワインを片手に祝杯を挙げているシーンによく現れている。

「呆れた。そんな分の悪い賭け私ならしないわ

同業者としての不二子の言葉は相棒の次元や五右衛門からは出て来ない言葉。不二子だって出来た盗みをルパンにやらせている。ルパンを利用して使っているようでいて、誰よりその芸術を理解しているから、ルパンは不二子のために盗む。


「俺だけのマリーアントワネットに」

「私だけのカリオストロ伯爵に」

自分の最大の理解者への愛の表現として。
それは生活を共有している次元とは別の愛。


一緒に暮らしているのは次元。その次元と話す会話と不二子と話す会話はまったく違うはず。次元と出来ない会話、埋めれない部分を不二子で補っている。女として、愛しあう相手としてだけでなく、ルパンに匹敵する賢さを持つ相手として、不二子の知性に惚れている面も大きいのではと思う。ならば二人の会話が二人だけの特別なもの、他のキャラとは交わらないものであってもおかしくないと思っている。


ちなみに、フランス語だったか何語だったか忘れてしまったけど、カップルという意味には「共犯者」という意味があるという。世間に対して二人だけが特別に結びついた関係。世の中に対して二人だけが共有している価値観。それはまるで共犯者のように秘密めいていて、誰にも言えない罪を犯している。リアル共犯者のルパンと不二子には恋人同士の甘い誘惑と、密やかな罪が永遠に流れている。

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