見出し画像

ルパン三世 PART5&「今も燃えているか」

五ェ門がルパンを斬りつけ
次元が無実の人間に銃をぶっ放す


仲間たちの錯乱、怒りは、ルパンが不二子に会いに行き
不二子の想いを受け取った時に訪れる

せっかくのラブシーンに現れた五ェ門の登場に
不二子がほとほと呆れたように
パートナーを持たない、探そうともしていない彼らは
ルパンに対してある種の依存関係にもあるわけで
仲間たちが抱える問題は、思えば40年以上前の「複製人間」ですでに暴露されていた


「何年も二人っきりになれない」と訴える不二子に
「いつもあいつらは俺にべったり」とボヤくルパン


だから二人の最後のラブシーン
結婚のメタファーでもあるキスシーンに
ルパンの相棒でもある男たちの姿がないのは
話の都合上だけではない(笑)


そしてそんな面倒くさい状況、人間関係を許している不二子も
ルパンに追随する男たちを時には母のように受け入れていて
相棒たちが二人の再会を引き留めたのは
何もルパンに対してだけでない


だから五ェ門とルパンの果たし合いを不二子は止めれない
ルパンを愛するということは、ルパンだけを愛することではないと知っているから

もし不二子がただの女だったら
こんな相撲部屋の女将みたいな立場は受け入れられない(笑)
二人っきりで暮らすことも出来ない
邪魔ばかり入るどころか、自分も邪魔者扱いされるのだから


「ルパンさえいれば我々は必要ないのではないか」

負傷し寒さに凍える体を不二子に抱かれながら
二人の熱い思い出をルパンが夢に見ている時
五ェ門は次元にルパンへの疑念を告白する

ルパンと不二子の心の距離が近づく時
仲間たちの心が離れて行く


パート5はルパンと不二子の関係を軸にしながら
そこにまつわる仲間たちの愛憎関係も描いて見せている
それは長年つもりに積もったものとも言えるし
いずれどこかでけじめを付けさせないといけないもの

根底に流れる仲間たちのジレンマをうまく利用しながら
ルパンと不二子の再会をドラマチックに描いて見せた
そこには仲間たちの見えない駆け引きが巧妙に仕組まれている


画像1


「殺し屋はブルースを歌う」
新しい愛の物語を始めたルパンと不二子


でも不二子は同じ過ち、リスクは犯さない
男に所有されることを拒み
恋人よりも仲間であることを選ぶ
それはお互いのためでもあることを不二子はよく知っているからだ

それが不二子の賢さ、やさしさ、愛
ルパンはきっとそのことに気づいている

だからパート5でルパンと同棲したことを
不二子は「魔が差した」と言った



本当は女として、恋人として所有し所有されたい
独占し独占されたい
プーンと愛し合った時代があったように
不二子にだって当たり前の女としての気持ちがある


だけどルパンの求めに応じ
不二子が普通の女としての欲求に素直になった時
二人の関係は終わりを告げた


こう考えて行くと、不二子の本当の恋人はプーンだったのではないかと思える。プーンとは公私共にパートナーとして充実した日々を送れていた。でもルパンとはやがて「退屈な日々」が訪れてしまう。

ルパンの気持ちに嘘はないのに、その仮面によって嘘を生きていたから。
不二子にとってそれは真実ではない。

それは不二子ではなくルパンの問題だった
仲間がいて、次元と暮らす
次元がいないとダメなのに不二子を愛している
仮面の下で不二子を愛している


「今も燃えているか」はそのパラドックスの中で最後に見せてくれた
先生のルパンから不二子への愛の証、答え



「殺し屋はブルースを歌う」「ルパンは今も燃えているか」

この二つの珠玉のラブストーリーがルパンと不二子の間で生まれるのは、逆説的にそんな物語が必要なほど、愛の証が必要なほど、二人の愛情関係が微妙で疑わしいからとも言える。

ほぼ夫婦のように一緒に暮らし、行動を共にしているルパンと次元の間なら、そんな物語は今更必要ない

そういう物語を生んで再確認しなければならないほど
騙し騙し合う二人の愛情関係は脆く、危うさがある


それはパート5にも言えることで、不二子はクライマックスのルパンの告白を聞くために一度別れなければならなかったし、ルパンは自分の愛を信じてもらうために、素顔を見せなければならなかった。
お互い相手の愛を確かめるために、犠牲を払う必要があった。

でも、そのどちらも次元との関係では必要なかったこと。


ルパンの不二子への愛の物語が美しければ美しい程、そのパラドックスとして、饒舌な口説き文句に虚しさが宿るように、ルパンの不二子への愛も、どこか矛盾が見え始める。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?