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日本人は楚人(紀元前の強国)だった事実を証明 北九州と出雲を制圧 反証出来る人?

日本人は、湖北・湖南省で滅亡した楚人を証明
モン族(苗族)日本到達説の本流
北タイ探検記40


楚(Chu)王国がテン王国へ民族大移動した理由
 •楚滅亡年BC278年が史実と合致
 •テン王国初代王の戴冠と同一年 荘蹻(紀元前278年 - 紀元前256年)
 •2000年後 湖南の衣装•出土品が花腰タイ族の頭飾り花が直列し証拠が固まる。


※私は仮説ではなく証明を書いています。エキスパートは反証をお願いします。それが出て来ないので、このnoteを見限っています。

#日本人 #日本史 #日本人はどこから #考古学 #数学 #難問 #証明 #数学問題


楚は紀元前278年に秦に滅ぼされた。南方向へ大移動した史実が見つかった❗️秦氏はユダヤ!そう言わざるを得ない深過ぎたワケ


 高校の日本史先生も考古学大学教授も反証出来ない?
わたしが本気で世界に問うているのに、いい加減な事を教えているから2000年もわからなかったわけです!

こんな状態です


こは雲南のテン池





今は地盤崩落で出来たフーシェンフーの湖底に眠る古代日本の王国
その湖底に王とともに死んだ諸葛孔明に比肩する屈 原の言葉が見つかった。

この人は日本人の魂を具現する偉人だった。そして、今も日本人の習慣に色濃く受け継がれていた。


 撫仙湖は、澂江県江川県と雲南省玉渓市華寧県の間にある。水質は良く透き通っており、景観も美しく、「数万ヘクタールの色ガラス」という評判。

湖は海抜1,700メートル以上で、水域は210平方キロメートル以上あります。これは、中国で最大の高原深海湖であり、最大の貯水容量を持つ湖です。湖はとても大きいので、継続的に形成された。この長い進化の過程で、古代の滇王国の首都全体がかつて水没したため、水中の古代都市が発見された。

湖底に古代日本

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楚は秦に同盟を求めた王が幽閉され滅された
そして国そのものがテン池に移住していた


楚の詩人 投身自殺


政治家の屈原 

愛国詩人としても知られる屈原は、秦を信用することは危険であると主張したが、楚の懐王は秦の張儀の策略にはまり、秦との同盟に踏み切る。

しかし、前299年に同盟を結ぶために秦に赴いた懐王は幽閉され、間もなくその地で死んだのだ。


さらに紀元前278年、将軍白起に率いられた秦軍によって楚の都・郢(エイ)が攻撃され、都を南方に移さざるを得なくなった。

これがテン池への民族大移動だった!

このとき、楚の政治家で詩人屈原は、祖国が秦のはかりごとで衰微したことを嘆き、汨羅の淵に投身自殺(翌年とも言う)したと伝えられている。屈原は策略を王に進言していたが、聞き入れられなかった。楚の国力は秦に負けないほど立派な中国の帝国になれるほどだったのだ。


最終的には、楚は前223年、秦に滅ぼされた。

この南方に繰り出していた将軍が、テン王国の初代王だ。

テン王国
1. 荘蹻(紀元前278年 - 紀元前256年)
2. M33墓主(紀元前256年 - 紀元前224年)
3. M12墓主(紀元前224年 - 紀元前178年)
4. M3墓主(紀元前178年 - ?)
5. M13墓主
6. M71墓主(? - 紀元前123年)
7. 嘗羌(M6墓主)(紀元前123年 - 紀元前85年


紀元前278年がピタリ符合❗️

2000年経った2020年、楚があった土地でこの美女の舞が行われていた。右端の女性の頭飾り


テン王国の王墓から発掘した青銅器。この頭飾りは花だった🌼

春節(旧正月。今年は1月31日)期間、湖南省の洪江古商城では
「新年を祝う財神」
「竜獅で新春を迎える」
「嵩雲で福運を祈祷」
「青春のフラッシュモブ」
「星空耀庄園」
といった十大新春民俗文化イベントが行われる。中でも「財神」による新年の挨拶が中心的なイベントで、主催者側は一般から五財神に扮する5人の女性を募集している。
春節には財神たちが古商城内をパレードして新年のムードを盛り上げる。中国新聞網が伝えた。人民網日本語版

我々、日本人は湖南省湖北省の楚が源流で、国が攻め滅ぼされ、雲南へ逃れて来たのだった。

テン王国の身分制度


この李家山に埋葬された貴族というのが、楚人で花腰タイ族(泰族)である。そして石さい山が王室。平民の墓地が金蓮山、そして、奴隷(異民族の捕虜)。

平民というのは、テン王国に住んでいたタイ族の人々だった。タイ族・ラーオの民である。

・イ族という名称で呼ばれるが、伝統も衣装も言葉さえ通じないのが確認できた。タイ族の人もいれば、羊を追いかけるカン族もいた。(イ族説を退ける理由は下記)



クーカム、運命の人、


タイ人と日本人は紀元前から相性が抜群で仲が良かったです。タイの人々が愛したトムヤンティーの不朽の名作「クーカム運命の相手」がなぜ、タイで9度もドラマや映画になったか謎だった。


この話は輪廻だったのです。



インドネシアのスラウェシ島


インドネシアへ渡った楚人ーテン王国貴族の末裔の舞


テン王国の王族が被って舞っていた頭飾りが同一。彼らには代々、貴族の子孫という伝承があった。それを知っているのは私一人に過ぎない。

このストーリーは日本ー中国ー雲南ーラオスーイサーンーラーンナー王朝ータイーミャンマーーアンダマン諸島ーインドネシアートバ湖ースラウェシ島をつなぐ民族が存亡を賭けて生き残ろうとした痕跡を追いかけた話です。



アジア最大のドキュメンタリーというのは史実が裏打ちされたからです。さらにミャンマー、フィリピンへと波及します


 無仙湖の湖底からは台湾へ渡った人たち(痕跡)へとつながります。アジア最大というのは漢民族の膨張というのは凄まじいエネルギーで、それに抗い滅ぼされた国々の話だから。

住める土地から住めない辺境ー島嶼部へと渡った人々の民族の存亡を賭けた冒険。


この勢いだとフィリピンの幾つかの島にも渡っているはずです。
 疑っているのは同じ顔をしたチボリ族。


最後にチュウ=楚王国の今の姿でお別れです

右端の女性の頭飾りにヒント


楚は紀元前の最強国で中国文化の中心だった様。Chuの版図を目で追ってください


荘蹻
そうきょう
Zhuang Qiao; Chuang Ch`iao
中国,戦国時代の武将。荘豪ともいう。楚の頃襄王 20 (前 279) 年,四川,貴州,雲南方面を平定したが,まもなく秦が四川方面を攻略したため帰国できなくなり,雲南の 滇 (てん) 池 (昆明) で王となったという伝説がある。

王墓が発見された。

中国,戦国楚の伝説的英雄。荘王の子孫という。威王(在位,前339‐前329)のとき,兵を率いて長江(揚子江)をさかのぼり,巴・蜀・黔中(けんちゆう)(四川省)から滇池(てんち)(雲南省昆明市付近)に至る地を楚の勢力下にいれた。ところが,ほどなく秦が南下して巴・蜀・黔中を奪ったために帰路を断たれ,そのまま滇の地で王になったという。しかし威王の時代と秦の侵攻とでは50年近い時差があり、伝説とされていた。

荘蹻は数千人を率いてテン池に入った。

図B87は、東京大学の今村啓爾氏のヘガーⅠ式銅鼓分布図を改変したものであるが、図にみられるように、インドネシアのジャワ島やそれより西の小さな島々から銅鼓が出土している。雲南省の滇国時代の石寨山遺跡や李家山遺跡から多量の銅鼓と共に、青銅器の銅鼓によく似た貯貝器が多数出土している。この貯貝器は、当時貨幣として使われていた子安貝を入れておく容器であった。滇国はインドネシアの諸島まで、子安貝を求めて行っていたと考えられる。 


史記によると、戦国時代に楚の将軍荘蹻(そうきゃく)は長江の沿岸をさかのぼり、滇池まで攻め入り平定した。帰国しようとした時、秦が楚を破って、道が塞がれて帰国出来なかった。そこで、荘蹻は滇の王となったとある。黄河文明を育んだのが漢民族であるが、戦国時代の七雄のひとつの楚は、漢民族でなく長江文明の流れを汲む苗族の系統とされている。荘蹻はもとの楚王の末裔で苗族の系統であり、荘蹻を王と受け入れた滇国も、もとから苗族が作った国であったのか?

図88は石寨山遺跡から出土した銅鼓に描かれた舟である。現在、
雲南省や貴州省・湖南省・広西省などに住む少数民族である苗族


モン族(ミャオ族)は、龍舟競渡の祭りがある。図89は貴州省の清水江で龍舟競渡に漕がれた舟である。銅鼓に描かれた舟によく似ている。苗族(ミャオ族)は、今でも祭りには銅鼓を楽器として使用している。また、西双版納(シーサンパンナ)にも龍舟競渡の習慣があり、タイ族の水かけ祭りに行われている。子安貝を求めた苗族は、タイ族と共に舟でメコン川を上り下りしたのであろう。 


図90は、鳥越憲三郎氏の「古代中国と倭族」にある中国における銅鼓の分布図である。

石寨山遺跡や李家山遺跡から多量に出土した銅鼓が1つの点でしか表わされてなく、雲南省が少なく見えるが、貴州省や広西省と、苗族(ミャオ族)の多い地域に銅鼓が多数出土していることが分かる。

注目したいのは、四川省と雲南省の境界、金沙江(長江上流)の川沿いに銅鼓が多く出土していることだ。蜀から雲南の道は金沙江を上り下りしたのであろう。それほど苗族は舟を漕ぐのが得意であった。
子安貝を求めて、舟でジャワ海を漕行したのは苗族であったと考える。

モン族である。
インドネシアでも大量の銅鼓が見つかった。


北タイ探検記41に書く 証明はこれよりさらに破壊力があります。ですがある理由で、この記事を消します! 証拠の写真も図を省きます。


日本人は紀元前85年ごろ、全中国大陸を賭けて戦いに勝てる力と国力、頭脳と忠誠心を備えていたのに負けていたのです。



防衛体制を固めなければ     と同じ運命が迫っています。猶予は13年です。もうすぐそこです。日本人の軍事アナリストが育つのをずっと待っています。

なぜ、秦氏がユダヤ人の子孫を名乗っているか、わかりましたか?

証拠を書けない人は作家です。そんな本は読むだけ無駄です。ユダヤ人だったとか日本史を歪曲した作家です。



このシリーズは今2000語になりました。



バンコク駐在記者。ミャンマーのヤンゴンからチン州ミンダットに転戦。ウィルス戦争取材に呼び戻され、世界最前線で戦うためコロナウィルスの突然変異に迫る😂もし、頂上に立てなかったら、日本は中国から千年の隷属国家に貶められます、戦いのすべてはコロナ感染で苦しむ人々のために❗️