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中学受験を即決したのは、感性

先週の「帰国子女の学校選び」記事で、わたしが"帰国子女的理由で“地元の公立中学に行きたくなくて、受験を決意したという話をしました。

きょうは、その話を少ししてみます。いやあ、ほんとに即決でした(笑)

フランスの現地校から、日本の公立小学校に3年生で編入してきたわたしは、子供特有のすばらしい適応能力を発揮して、ローカルな学校生活に馴染もうと、日々を過ごしていました。

そんなある日のことです。

たしか、5年生に上がってすぐだったと思います。その日は、母が運転する車でどこかに移動中、気になる光景を目にしました。地元の公立の中学生が体操着のジャージで下校する姿でした。(週のうち何日かは、制服ではなくジャージで登下校させていた。)

数人の生徒が連れ立って下校しているところで、何の変哲もない光景だったのですが、わたしはその子達のジャージのデザインのダサさにまず目が行き(笑)、思わず母に聞いたのを覚えています。

わたし「あれって◯◯中のひと?」

母「そうよ」

わたし「制服じゃなくて、ジャージで登下校するの?しかも、ジャージ、だっさ・・・(T_T)」

母「そうね。ちょっとあれはセンスないわね。」(みたいなことを言った記憶。)

わたし「それに、なんで公衆の面前で名前と年・組をさらして歩かないと行けないの?(←ゼッケンがやたらデカイ)わたしも◯◯中行ったら、ああいう格好しないとダメなの?囚人みたい(泣)」

母「そうね。嫌なら、中学受験するしかないわよ。どうする?」

わたし「受験する!」←即答(笑)

ダサいジャージで登下校、しかも、「◯年◯組◯◯」というでっかいゼッケン姿で街を歩きたくないという子供の繊細な心で、かくして小5で中学受験を決意したのでした(笑)

子供心に「ジャージのデザインがダサい、ありえない」(←これはもうパリっ子の感性)、「囚人みたい」(←日本の公立教育で感じた違和感の一環)と感じてしまったものは、もう引っ込みが効きません。

地元で長く過ごしている人たちにとっては、もう見慣れ過ぎていて当たり前に思う光景だったかもしれません。けれど、あの時のわたしには「!?」とひっかかりがたくさん出てしまったのは事実なので、それを無視するわけにもいかず。

大人になった今、振り返って改めて思うのは、そういった違和感を持った目線は、たとえ子供のものでも、些細なことでも、見逃さないほうが良いということです。

実際、後日談ですが、安全上の問題で、ゼッケンをさらしながら街中を中学生を歩かせるあの慣習はなくなったそうです。当時、子供の誘拐や殺人事件も多く報道されるようになり、社会的な風潮で「それはいかがなものか」と言う議論が、PTAあるいは教育委員からも出ていたのでしょう。(あくまでも推測ですが。)いずれにしても、それはとても良い変化だと思います。

本来、ゼッケンは学校内という閉じられた、一応安全な空間で、スポーツを目的とした場でつけているもので、それをまったく関係のない場に持ち込むことに違和感を持たなかった大人には、責任があると感じています。感性が鈍いことへの責任。

わたしの話に戻ります。

だけど、なぜ、小5になってはじめてジャージ姿の中学生達に気がついたのか、それよりも前からいたはずなのにと考えた時に、浮かんできたことは、恐らく「まもなく中学生になる」という事がいきなりわたしにとってリアリティを持ちはじめたのがその頃だったから、のような気がしています。

自分にとってリアリティのない世界は、見えなかったも同然。

それは子供でも大人でも、意識のバイアスがかかってしまった途端生まれてしまう、とても不便な「目線」だなと思います。

大人にとって、思春期の中学生をジャージ姿で街を歩かせることにはたいしたリアリティがなかったのかもしれません。誘拐や殺人事件が起こるまでは。

子供にとっても、自分もああいう格好をしなくてはいけないということがリアリティになるまでは、目に入らない光景だった。

だいたいそういうことですよね。

高学年になると、仲の良い子同士で「地元の◯◯中に行く?」と、お互いに聞き合います。そして、別れ別れになりたくないばかりに、仲の良い子には肯定的な返事をとりあえずしておきますよね。たぶん、わたしもそんな返事をしていたんだと思います。

わたしの場合、せっかく、日本で仲良くなれた友達たちと別れ別れになるのは嫌。そういう風に感じていたと思います。帰国したての頃、千葉の小学校でさっそくイジメに遭った経験もあり、なおさらのこと、転校してきたこの都内の小学校での仲良しとの絆は、とても貴重なものに見えていました。

仲良しと違う中学に行ったら、また一から自分が帰国子女って説明して、「え?じゃあ英語しゃべって?」とお約束のように言われて、「いや、わたしはフランスの帰国子女だから、フランス語しゃべるの」と訂正しなくちゃいけなくて、そうしたら「えええええええええええ!かっこいいいいいいい!!ねえねえ、フランス語しゃべって!」とせがまれ、いきなりそんなこと頼まれても何言えばいいのか子供の知恵では気転も効かず、とまどいながらも「Bonjour」と馬鹿みたいにあいさつをしてみたり、以下、エンドレスループ(笑)

もう、どこのSNSでもプログでも履いて捨てるほど書かれている、帰国子女あるあるの超代表的なやり取りです(笑)

そういう面倒くさいやり取りをくり返したくなくて、気心が知れている子達と同じところに進学しよう、と考えていたのにも関わらず、地元の公立中のジャージのダサさとゼッケンで街なかを歩くことの耐えがたさが勝って、わたしはさっさとどこかの私立中学に行くことを決意しました。

そして、無事に受験に合格。都内の私立女子中学校に進学しました。

そこでは、わたしと同じような帰国子女の数がもう少し増えていたので、なんとなくほっとしたのを覚えています。あいかわらず、フランス語圏の子はわたしの他にもう一人くらい?みたいな超マイノリティーでしたけど(笑)

そういえば、本文で少し言及した"日本の公立教育への違和感”の話は、小学校に転入して早々に感じたので、その話はまたいずれ。

つづく







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