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【プロフィール代わりに】noteを書こうと思ったきっかけ

フランスからの帰国子女として日本に戻ってきてから、35年以上経ちました。

母国語=日本語、母語=フランス語、学習して身につけた=英語、の3カ国語を日常的に場面ごとに使いわけて、仕事や生活を楽しんでいます。

見た目も日本人で、一応の行儀作法も日本式を身につけているので、日本語のみで話をしている限り、わたしを帰国子女と見抜く(?)ことはできないもしれません(笑)

トリリンガルはたいへん便利で、だいたいの国の人ともコミュニケーションが取れるという有り難さがあります。ただし、これは帰国子女にとってはほんとに些細なことです。

それよりも、ある話題を複数ソースから調べることができることのほうが、はるかにありがたくて重要に感じています。特に時事や歴史ネタなどがそうですが、言語によって書いてあることが違っている事があり、もっとも気をつけるべきなのは同じフランス語なのに国※によって真向から対立した書き方もあったりすることです。

※フランス、カナダ、アフリカ諸国、レバノン、イスラエル等

その言葉を話す国や文化圏のコンテキスト(時事ネタの場合は外交戦略のせい、歴史ネタは完全に主張や視点の違い。笑)がもろに反映されるので当たり前のことなんですが、複数言語で読んでみると、偏った世界に引きずり込まれたまま盲信する確率がぐっと減るので、世の中の真理を理解したり、井の中の蛙にならないためにも大切なことだと感じています。

そういう意味では、日本語はほぼ日本でしか話されていない使用範囲の狭い言語なので、話題の公平性や多様性を得たいときに、すごく不利ではあるなと思います。

帰国子女って、なってみるとわかるのですが、ただ外国語が流暢で便利とか、日本以外のことを知っていて世界が広そうとか、そういう単純なことだけでは片付かない面がたくさんあるのです。

なかなか厄介だなと思うのは、さっきも話した、言語にまつわるコンテキストの四方山話です。

つまり、言語ができるからと言って、その文化や慣習まで理解しているわけではない。自国の教室の中だけで日本語を勉強した外国人をイメージしてもらえばわかりやすいでしょう。日本語ができるから日本のことをよくわかっているとは、イコールにならない。あくまでも「日本語知識」があるだけなんです。昔、フランスから帰国したてだった私も、まさにそれに当てはまりました。

日本人で日本語もペラペラなのに、日本のことがわからない。だから、生活や教室の中での様々なコンテキストや意図が、わからない。

「え?なんで手を挙げて意見を言わないの?みんな意見ないの?」

「え?なんでこの服装が変なの?パリではみんな素敵って言ってくれてたよ?」

パリの家の中では、両親や日本人の友人らとはふつうに共有していた自分なりの日本の感覚が、本場の「日本の学校」や「東京の生活」に場を移したとたん、いろいろが通じなくなる。

「あれ?私が築き上げてきた世界はなんだったの?」と思わせる出来事は、子供の世界にとっては大事件です。まあ、大人にとってもそうですけど。しかも、これがいわゆるパラダイムシフトか!と、言語化できたのは、だいぶあとの大人なってからです。

そんな貴重な経験を子供時代にしたのちに、人生を積み上げてきて、今は人材育成を中心とした教育とアートの事業をやっています。仕事柄、ひとをつぶさに観察して、これでもか!と深く分析してアウトプットしていくので、その分野の感性やスキルはもの凄く磨かれてきました。

そして、それらの経験もある程度になった今、自分のことを客観的に分析するのに必要な“自分との距離感”もほどよく出来てきたように感じます。

だからなのでしょうか、「帰国子女の人生論」みたいなものがそろそろ書ける頃になってきたのかも、とふと思うようになったのがひと月半ほど前でした。

実を言うと、帰国子女仲間で日本社会に馴染めなくて、ふたたび海外に飛び出していったひとはたくさんいます。で、その飛び出していった先(たいがい元いた地域)に無事に馴染めるひともいれば、そっちでもダメでふたたび日本に戻ってきたり、あるいは第三国に渡ったりと、根無し草のようにふらふらしてしまうひともいます。

もっと辛そうなケースが、日本で壮絶なイジメにあったために自分が帰国子女であった過去を葬り去って、日本社会に誰よりも馴染んでやろうと、がむしゃらになる子もいました。

それくらい、帰国子女って日本社会において自分軸を作り上げるのが難しい側面もあるのです。

”帰国子女は自立した心と行動力を持つ子供たち”のイメージが強いし、実際、そういう面ももちろんありますが、問題もたくさん抱えているのです。

そんな様々なケースがある中で、本当に幸せなことに、私は自他ともに認める「わりと日本社会にも適度に馴染んで、でも程よい距離も持った帰国子女」だと思います。

そうなれたお陰はどこにあるのかな?と考えた時に、たくさんの興味深い要素が挙がってきたので、それも今後少しずつ書いていこうと思っています。

どうぞよろしくお願い致します。

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