信用できる人と過ごす

久しぶりです。あけましておめでとうございます。

過去によって人を信じられなくなった私が今少しずつ人を信じれるようになったので、そのエピソードについて書いていきたい。

家族

 まずは、家族である。私の父は、女性蔑視を全くしない人間で、周りからも信用されている。というのも、私は姉が2人いる3姉妹で家族は父以外女性である。父は娘の意見をよく聞いてくれるし、「女の子はこうしなさい」ということは全く言わない。言うとしても、世の中物騒だから早めに帰ってきなさいとか、もし娘に変なことがあったら、許さないマンなのである。以前書いた被害を、もし父に伝えていたら事は大きくなっていたことは間違いない。そんな父とコミュニケーションを取り続けることで、徐々にミサンドリーのような男性に対する憎しみは薄れていった。

父についてメインで書いたが、バリバリに働く母や姉の強い姿に、とても勇気づけられている。

大親友のA君

 これは、私の恋愛の話にもなる。私からすると大親友だと思うA君がいる。実は私は、その人のことがずっと好きで、もう出会ってから10年が経ちそうだ。A君は、性加害や女性性、男性性について私より考えていると思う。今まで関わってきた男性は「性加害」や「男女平等」などの話になると「フェミニズム」の漠然とした偏見と気まずさを出してきて、会話のすれ違い、根本の理解の浅はかなこと。しかしA君はそうではない。ホモソーシャルについても、ホモソーシャルを否定するだけではなく、何故ホモソーシャルが出来上がってしまうのか、その構造についた問いかけていた。信用できる。悪いことを悪いと認めるのは確かに簡単であるが、それが無くならないこと、本質をついていた。私はA君のことを中高片思いして、しばらく会わなくなったが、去年数年ぶりに会い、また改めて好きになってしまった。A君と話していると、世の中まだまだ変えられるのではないかと思える。私がA君に好きな気持ちを伝えられるか否かより、彼が幸せに生きてくれたら、私はそれが1番の幸せだと思う。

まとめ

 私にとって大事な人が、私を人として扱ってくれて向き合ってくれる、この時間を大切にすることが、人間不信を少しずつ克服できている要素だと思う。

素敵な人間に出会えてよかった。



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