東野圭吾のような社会学者「商店街はなぜ滅びるのか」(2012年9月10日)


新雅史というわたしより、8歳年下の学者センセの書いた「商店街はなぜ滅びるのか  社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)」を読みました。同新書のヒットらしい。
先日久しぶりに書店を訪れ、偶然購入しました。といっても、駅前の丸井に入っている紀伊国屋ですが。

どうも書かれている「商店街」は例であって、再生の道を探っているのは、むしろ零細小売商や都市型自営業についてでしょう。
本当は「商店街の理念  社会・政治・経済史から探る再生の道」であるべきでしょうが、カッパ的改題といった感じです。 岩波ならただ「商店街」かしら。中公なら「商店街の社会史」かな。
赤ペンが離せませんでした。ラインだらけ。つまり同じこと考えてるな、というところ満載だったわけです。
また、20世紀の「歴史化」の1冊。ダイエーVS松下の「価値」論争など、リアルタイムで知りえたはずなのにねえ。
ほとんどが、政治、行政の意図で行われたことを説いています。離農と集団就職のコントロール。個人ではなく近代家族に対するコントロール。商店街の構築と破壊のコントロール。それらによって、貿易黒字問題や、バブル崩壊後の問題を解決しようとしていたらしい。
現在、社会に起きていることを、快刀乱麻に説明しています。ずっと以前上野センセは自らを揶揄して、社会学者は占い師と言っていたいましたが、新しい占い師が誕生した印象です。多少はガンダルフに近いかな。説明は名探偵の謎解きのようです。
日本の「地域」が意図的に腐海化されていく----「ナウシカ」に出てきた浄化システムを読むようです。あの時代に、宮崎のように「読めていた」人たちだけが、生き残った、といえそうです。
佐藤俊樹センセの「不平等社会日本」と、引きこもった小倉センセのあとを引き継ぐ者かしら。小倉センセが天岩戸から出てくる本になっているかしら----そこまでは無理そうですが。
ここは勇気をもって、シンプルな答えを期待してはいけない、と思うことにします。複雑で暗く悲しい結末でも、人間にはそれを乗り越える知恵と勇気があると信じたいものです。東野圭吾の後味のあまりよくないミステリを読むような----本でした。どんな結末が待っていても、最後まで目が離せませんでした。

気になったところメモ。
----「地域」に根ざしつつ「商店街の理念(≒生存競争の平和的解決)」を見直し、それぞれの店が専門店をめざす、地域社会の自律をめざす----。
----「地域」に対する規制は、地域で暮らす人々の生活をささえ、かつ地域社会のつながりを保証するために存在する。----
----不況下の経済を再生させるためには、完全雇用の実現と有効需要の創出が必要。----
----わたしたちは、自分が暮らし、そして子孫が暮らしていく「地域」全体をみなでケアせねばならない。----
メモしてみるとみな当たり前のことに、読めるのですが----震災でボランティアに赴くのは「商店街」なんだそうです、当然ショッピングセンターではない----震災によって「地域」と「地域に暮らす人」が再発見されたということなのでしょう。それにしても、かなり手遅れの様相があって----厳しい結末に感じます。

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