笑うバロック展(298) コチシュはモーツァルトで通奏低音を弾く

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ハンガリーのピアニスト、コチシュが2016年11月に亡くなりました。
1980年代前半、CD初期に図書館に行くとラフマニノフやバルトークの協奏曲はコチシュのが聴けました。
ランキ、シフと並ぶ「三羽烏」などと呼ばれていました。シフのピアノは今も好きになれません。一番親しんだのがコチシュかも。アニバーサリ年だったか、NHKでモーツァルトの足跡を辿りつつ、ピアノ協奏曲が聴ける番組で23番を担当。ただひとり通奏低音を弾いていました。ビルトーゾなんですが、ぶっきらぼうな印象の演奏の人でした。ただわたしは相性が合う音楽家でした。ナイーブな人なのじゃないかしら。
当時、ビルソン、インマゼールなど古楽器の演奏が活発になりだした頃、どれも感心しませんでした。ブレンデルや内田なども同様。
ちなみに23番イ長調協奏曲は「シベリアの理髪師」以来とてもお気に入りの曲になりました。それで改めて聴いてみたいといろいろ探し、しばらくペライヤがよいかと感じましたが、やはりコチシュが気になりました。ネット時代になってさらに幅広く視聴が可能になり、ホロビッツの晩年の映像も魅力的に思いました。最近は最長記録のグリモーのかしら。どこか前述映画を意識しているようですが。ただふつう古楽以外で通奏低音を弾く人は、やはりいません。グレゴリー・ソコロフの2003年のライブは通奏低音を弾いています。現在はこれが愛聴音源です。
コチシュは、ネット上で1996年ライブの11番、亡くなる直前の17番を楽しみました。17番は来日でも弾いたらしく聴いた方が「第3楽章はまるで魔笛のパパゲーノが出てきて歌い出しそうな楽しい曲想ですが、コチシュはそんなモーツアルトを楽しんで演奏しているようでした」と。どちらも通奏低音を弾いています。
通奏低音は時代を画する、そんな要素を持っています。モーツァルトの協奏曲に要か不要か、おそらくモダン楽器ではほぼ不要なのだと思います。グルダやブフビンダーも採用していません。ハイドンには必要だと思いますが、ベートーベンでは不要でしょう。モーツァルトはバロック最後の作曲家といえなくもありません。が、わたしは個人的にモーツァルトの協奏曲で、ソリストが通奏低音を弾くのが好き、です。

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さすがにロバート・レビンはモダン楽器でもバリバリ。ベートーベンのハ長調でもバリバリ弾いてます。バッハの協奏曲をモダンピアノで弾くピアニストたちもほとんどモーツァルトではノーBC。グールドやヒューイット、フレイも弾いていません。バトゥラ・スコダも通奏低音は弾いていない様子。
グレゴリー・ソコロフはハ短調(24盤)、イ長調(23番)協奏曲で弾いています。イ長調の第2楽章はグリモーに近い遅さです。
いずれにしてもモーツァルトの古楽器演奏が活発化した1990年以降、「ソリストによっては」通奏低音に参加するようになったようです。通奏低音演奏の解釈の拡大、楽譜のリアライズの整備などの関係もあるかしら。
たしかホグウッドの交響曲録音で鍵盤楽器の通奏低音が取り入れられるようになり、そうだとしても協奏曲は元来通奏低音楽器であったものがソロ楽器になった場合の特殊な例かとは思います。ブリュッヘンは、モーツァルトに関してそのためだけのソリストは招かないと言っていたと記憶しています。楽団員がソロを受け持つこと、それでピアノは通奏低音奏者として参加するギボンズがソロ。ただしギボンズは協奏曲では通奏低音は弾いていないように聴こえますが----。


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