笑うバロック展(431) コチシュはモーツァルトで通奏低音を弾く(その2)

1981年ギーレン指揮でKv414、第12番変ロ長調協奏曲では、通奏低音は弾いていません。1995年シェンバント指揮の第27番Kv595変ロ長調も低音はなし。都度判断しているみたい、好感。ただところどころ独特な装飾を加えているように聴こえます。

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1975年収録の第20番ニ短調協奏曲Kv.466。指揮はコバヤシケンイチロウ。相変わらずはずかしがりのぶっきらぼうに聴こえるのですが、しっかり通奏低音を弾いていました。

コメント欄に通奏低音のピアノの音に疑問を持つという書き込み。「曲の冒頭でピアノが聞こえます。 聞こえるのは私だけですか?...私はピアノが最初に出てこないことを知っています。」別な質問も。「プログラムに時間的な制約があったため、テンポが速かったのでしょうか?」「オーケストラの導入冒頭から演奏しなければならないのはバロック時代では?さらに、これは非常に高速テンポです。dマイナーは厳粛な作品であり、このように無謀に急いではいけません」これらのコメントにていねいな回答が付されていました。

「Continuoの演奏はモーツァルトの時代以降も健在であり、「バロック」時代だけではありません。バイオリンを弾いて弓で指揮したコンサートマスター、またはフォルテピアノを弾いたカペルマイスターがいました。交響曲やオペラの場合も同様です。それらの両方がオーケストラの一部であった期間さえありました。より大きなアンサンブルが登場し、したがって、クラシック音楽の即興の芸術などの中でもとりわけ、Continuoの演奏が精査されるのはロマンチックな時代まででした。調査を行うと、あなたの意見は時代錯誤であることがわかります。さらに、テンポは18世紀後半の感性と完全に一致しています。参考のために、ツェルニー、モシェレス、フンメル(モーツァルトの生徒)のメトロノーム指示を確認してください(交響曲、室内楽、ソナタなど)。当時のオーケストラは小さく、楽器のアクションは軽いので、テンポははるかに高速でした。そして、ニ短調協奏曲の荘厳さ?本当に?緊張と強度に満ちたあのシンコペーション導入で?もし 「厳粛」なスクエアな手入れの行き届いた解釈が必要な場合は、内田またはペライアを聞いてください。

こうまとめています。「現代のピアノは古楽器よりも共鳴音がはるかに多いので、コンティヌオを弾くのは時代遅れで不要だと反論されるかもしれません。しかし、軽く適用するなら、今でも素晴らしいと思います。」賛成します。

モーツァルトの通奏低音について検索を進めると、やはりモーツァルトファンは多いもので、「痴々庵の部屋」の変ロ長調協奏曲K238の解説に。

自筆譜には通奏低音の数字付がなされている。プラート(新モーツァルト全集の編集者の1人)は、これはレオポルトによるものだといっているバドゥーラ=スコダは、ソロ・ピアノが、トゥッティの間通奏低音楽器として参加している構造的理解のため残しておくべきだという意見である。モーツァルトの頃のハンマーフリューゲルは、オーケストラの響でうまく消されるだろうといっている。

とはいうものの、コチシュは映像を見る限りコンティヌオも暗譜で弾いています。おそらくソコロフもそうではないだろうか、と。音楽家としての勘の鋭さだけでなく、努力されています。モーツァルトイヤーに聴いたインマゼールは譜面を置いていました。古楽の演奏で暗譜はあまり見かけません。COCOのモルテンセンくらいしか覚えがありません。

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