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67. わたしとピアノの音色。

自転車で通るたび 通るたびに
その家からは拙いピアノの音が聞こえた。

閉ざされたレースカーテンの向こうで
まだペダルに足が届かないような
幼い女の子が
一生懸命にピアノを練習しているに違いない

その純粋な音色に
いつも心が洗われて
初心に戻してもらえるような
背筋がのびるような

ぎゅっと心の臓をつかまれるような

思いがしていたんだ。

でもある日、カーテンの向こうが見えてしまった。

中高生くらいの、大きな子だった。

なぜだか少しショックを受けて

あぁ、ここはもしかしたら
ピアノ教室だったのかもしれないと

だから、通るたび 通るたび
ピアノの音がしていたのではなかろうかと

それなら、毎回弾いていたのは
違う人だったのではなかろうかと

なんだか
今まで小さな支えにしていたものが
ガラガラと崩れてしまったような
そんな心持ちだった。

その中高生には
とんだ失礼な話である。

またあくる日、
いつものようにその家の横を通りかかると

自転車をとめ、ピアノの音に耳を傾ける
女性の姿があった。

あぁ、彼女もわたしと同じように
その家から聴こえる音に
洗われているのかもしれないと、思った。

そしたら不思議と
やっぱり、誰が弾いているかなんて関係ない、
わたしがその音に胸をつかまれるのは事実だ
レースの向こうの一生懸命な音色に
励まされてるのは、わたしだけじゃないんだって

思えた。

感動する価値基準とは、
なんて曖昧で、信用ならないんだろう。

わたしは
誰にも評価されないようなところでも、
ちゃんとひたむきに、努力してますか?

本気で夢を見てますか?

なりたい自分がありますか?

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