海軍の結婚事情について【海軍現役軍人結婚条例を基に考察】
こんにちは。
近現代の歴史について解説している女学生VTuberの春日陽です。
今回は、海軍の結婚事情について解説していきます。
上下関係に厳しく、独自の細かいルールがあるイメージがある大日本帝国の軍人。
軍人には、歴史に名を残した偉人が多いことから「偉い人が多い職業」というイメージを持つ人も多いのではないでしょうか。
陸軍海軍ともにそれぞれ厳格な規則が存在していましたが、中でも海軍は結婚というとてもプライベートなことに関しても様々なルールがありました。
当時の海軍軍人が絶対に守らなければいけなかった、独自の結婚ルールとはどんなものだったのでしょうか?
結婚するのに許可が必要だった
現役の海軍軍人の結婚には、数多くの厳格なルールが存在していました。
それに代表されるのが「海軍現役軍人結婚条例」という条例です。
条例というのは、地方自治体によって法律の範囲内で制定された法のことですね。
なんと海軍の軍人は、結婚にまつわる様々な事柄が法で定められていたんです!
では「海軍現役軍人結婚条例」とは一体どんな条例なのでしょうか?
この条例は明治時代に制定された条例で、明治14年に制定された「海軍武官結婚条例」から始まるものです。
明治時代から大正時代にかけて何度か改定されていて、時期によって内容が異なるのが特徴です。
今回は、明治41年7月24日に発布された勅令を例にとって海軍の結婚事情を見ていきましょう。
この時期の条例は第3条まで存在します。
原本を紹介しますが、文章が難しいので現代風にアレンジして紹介しますね。
まずは第一条です。
現役の軍人が結婚するには、階級に応じて上の人から許可をもらう必要がありました。
ということで、まずは海軍の階級について少しお勉強しましょう。
まず、海軍で一番偉い人は大元帥や元帥と呼ばれる人たちです。
大元帥となるのは明治天皇・大正天皇・昭和天皇です。
つまり、軍のトップはいつの時代も天皇ということなんですね。
そして元帥の下には上級大将・大将・中将・少将・准将がいます。
これらの人たちは「将官」と呼ばれる存在です。
その下の階級は代将・上級大佐・大佐・中佐・少佐からなる「佐官」です。
さらにその下に上級大尉・大尉・中尉・少尉といった「尉官」と呼ばれる人たちがいます。
軍人というと戦地で戦うイメージがありますが、実際に戦場に出て戦うのは尉官以下の階級の人たちです。
また、尉官の下には准士官という階級も存在します。
そして准士官の下には上級曹長・曹長・軍曹・伍長といった「下士官」という階級があり、一番下に兵がいます。
時代によって准士官がいないなどの違いはありますが、海軍の階級はだいたいこんな感じです。
ということで、改めて第一条の文言について紹介します。
まず海軍将官の結婚は、海軍大臣によって軍のトップである天皇に「結婚してもいいですか」と許しを請う必要がありました。
海軍大臣とは海軍省の長のことで、天皇によって海軍大将や海軍中将の中から任命された人です。
つまり、海軍の中でも天皇を除いてひときわ偉い人ということです。
将官の結婚には天皇の許可が必要だったなんて、海軍の世界はすごいですね。
そして長官・士官・准士官といった海軍士官は海軍大臣による許可が必要で、下士官と兵は在籍する地方の役所の許可が必要でした。
海軍の軍人は、もし結婚したくて許可をもらいに行っても許可が下りなければ基本的に結婚することはできなかったのです。
結婚できない海軍軍人
実は、海軍の中で一番下っ端の兵たちはそもそも結婚が許されない場合がありました。
そんな結婚の可否について言及されているのが第二条です。
候補生とは、士官などの候補者として教育を受けている人ですね。
つまりまだ勉強中の身である人は結婚を許可されないということです。
そして二等卒とは海軍における二等水兵のことです。
下士官より下の兵にも階級が存在し、大日本帝国海軍では当時、四等水兵・三等水兵・二等水兵・一等水兵という兵の階級がありました。
海兵団に入団したばかりの兵は四等兵となり、早ければ数ヶ月〜遅くても1年ほどで三等兵に上がることができるといいます。
そして1年後には、大抵の人が三等兵から二等兵に進級できます。
さらに二等兵として1年間優秀な成績を納めた人は一等兵に進級できるのです。
つまり、海軍の軍人になって少なくとも数年ほどは結婚することを許されていなかったということです。
彼らはまだ一人前の軍人ではないから結婚できなかったんですね。
では、海軍の軍人は実際にいつ結婚することが多かったのでしょうか?
軍人が結婚する時期は、主に士官の階級に上がってからが多かったそうです。
士官になると、分隊のトップに立って指揮をする少し偉い立場になります。
ただし、少尉はまだ士官の中でも下っ端扱いであり、中尉や大尉になってからの結婚が一般的だったそうです。
歴史上に名が残る軍人たちを見てみると、少尉から少佐くらいの階級の時に結婚していることが多いです。
実際の海軍軍人の結婚事情については、また後ほどご紹介しますね。
階級によって結婚できないことがある海軍軍人ですが、明治25年の「海軍軍人結婚条例」にはもっと細かい規則が存在していました。
当時の現役下士は年齢が満25歳になるまで結婚できず、現役卒は満25歳かつ一等卒に進級していなければ結婚できないとされていたのです。
つまり、当時は一等兵以上でないと結婚できないだけでなく、満25歳以上でないと結婚が許可されなかったのです。
25歳にならないと結婚できないというのは、当時の感覚ではどういう感じなのでしょうか?
一般人と比べてどう違いがあるのか、気になりますよね。
ここで、当時の結婚の平均年齢を見ていきましょう。
明治19年における男性の結婚の平均年齢は25.3歳というデータがあります。
明治時代の人って何となく結婚が早いイメージがありましたが、意外に普通だったんですね。
そのため、当時の感覚では25歳で結婚というのはさほど珍しいことではなかったと思われます。
ただし、当時はまだ「結婚できる年齢」というものが決まっていない時代でもありました。
明治31年に初めて結婚できる年齢が決められ、男性が17歳・女性が15歳以上で結婚可能となったのです。
「周りの人は17歳から結婚できるのに、自分は25歳からしか許されない」と考えると、25歳にならないと結婚できないというのは少し厳しく感じられるかもしれません。
ところで、なぜ結婚を許可される年齢が「25歳」なのでしょうか?
当時の選挙法でも、選挙権を与えられるのが国税を15円以上納めた「25歳以上の男子」となっています。
明治9年から成人年齢は20歳とされていたので、少し不思議ですよね。
当時の感覚では、25歳という年齢が大人の男性として一人前というような考え方があったのかもしれません。
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