空想屋の裏庭 ─夏─
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まだわたしが学生だった頃、誰にも秘密の友達がいたの。
オフホワイトのペンキで塗られた、三角屋根の小さな家に住んでる女の子。小さな白い花の咲く茂みを駆け下りて、わたし、しょっちゅうその子の家に遊びに行ったわ。
そこではいつもいい匂いがしていた。ある時は、季節の花の匂いだったり、ある時は、焼き立てのお菓子の匂いだったり。そしてわたしが尋ねると、決まって ”とっておきのお茶“ を丁寧に入れて出してくれたの。
でもわたしの1番の楽しみは、その子の空想のおはなしを聞くことだった。優しくて、色鮮やかで、ちょっと不思議で。目を閉じると、瞼の裏でその世界がいきいきと動いて見えた。それがあまりに素敵だったから、わたしはひそかに彼女のことを「魔法使い」と呼んだわ。人の心に風を吹かせる魔法使い。
その日は、最初から少しだけ、いつもと違う気配がしていた。
いつもの坂を下りながら、わたしは、いつもとは違う匂いを感じた。
風が違っていた。空気の重さが違っていた。空の青が少しだけ灰色を帯びているような気がして胸騒ぎがした。
いつもよりなんだか手足が重くて、まるで水の中みたいに心なしか息も苦しかったけれど、なんでもないと繰り返し言い聞かせて、その子の家に急いで、いつものようにレースのカーテンが揺れる小窓から顔を出し、いつも以上に明るい声で挨拶した。
その子が「いらっしゃい!」と、笑顔で迎えてくれたからいくらか安心して。いつもどおりにお茶を入れてくれたからさらに安心して。あぁ良かった、やっぱりわたしの気のせいだったんだって思った。けれど、その子がいつもみたいに「ねぇ、新しいお話、聞いて」って頬杖をついて話し始めたその瞬間。
音が消えたの。
「え?なに……ちょっとまって、もう一度!」
「・・・・・・」
「待ってよ……全然聞こえないよ!」
彼女のきらきらした笑顔がゆっくりと消え、何かを悟ったかのように、寂しく微笑んだ。まるで、もうわたしは、あなたには必要なくなったのねとでも言うように。
***
明け放していた窓から風が吹き込んで、机に積まれた紙の資料が音をたて揺れた。物語が未完の理由を尋ねた姪っ子は、浅い呼吸でわたしの話を聞いていた。
「ねぇ、それって…」
「昔よく見た夢の話。わたしの中に住んでいた、もうひとりのわたしの話。その日以来、彼女に会えなくなったから、そのシリーズは未完なの。きらきらした空想の物語は、今のわたしにはとても、書けない」
カラン、と麦茶にいれた氷が音をたてた。
透明だったガラスの表面は水滴でうっすら白く曇っている。
「ねぇ、アキは、大人になるって何かを失うことだと思う?」
拳をにぎり、ぎゅっと口をつぐんでしまった彼女に問いかけた。彼女は顔をあげ、わたしの顔をじっと見つめた。強くて弱い瞳が縋るように次の言葉を待っている。
「わたしは…──」
風が吹く。海の匂いを引き連れて。
この先ずっと、同じように言えるかは分からない。そもそも大人なんて、何をもってそう呼ぶのか、その定義も曖昧で。けれど。
そっと麦茶を口に含んだ。
雫が指を伝って落ちた。けど、
喉をひんやり潤して、夏らしい味がかけぬけていく。
大人になるとは、つまり、そんなようなこと。
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「え?なに……ちょっとまって、もう一度!」
「・・・・・・」
「待ってよ……全然聞こえないよ!」
By.くさなぎ
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