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聖火リレーの是非

緊急事態宣言が解除されるらしい。巷の噂では、聖火リレーが始まるのに合わせての解除だと言っている。緊急事態宣言下で聖火リレーをすることは明らかにおかしいからだ。では、聖火リレーの開催ありきの緊急事態宣言解除なのか?そこのところはいわゆる政治判断(前から言っているが、政治判断ってなんだろう)なのだろうが、あまり釈然としない。

そもそも聖火リレー自体、近代オリンピック開始当初からあったものではない。大河ドラマいだてんでも取り上げられたベルリンオリンピック(前畑ガンバレ!の時である)から始まったものだ。ゲルマン民族こそがヨーロッパ文明の源流たるギリシャの後継者であるというヒトラーの思想に沿ったものだというから、聖火リレーの始まり自体が政治利用されたものだったということだ。

そういえば先日、Amazonのロゴがこっそりと変えられたという話を聞いたが、旧ロゴがヒトラーを彷彿とさせるから、という理由らしい。

由来の出処は同じようなものなのに、Amazonのロゴはダメで、聖火リレーがOKというのは、よく考えると意味がわからない。聖火リレーは、何らかの大義名分が付けられて、大衆に認められたということなのだろうが。

これから行われる聖火リレーは、密集を避けてくださいとアナウンスされている。密集が避けられない場合は中止する場合もあると。見学しても行けない、声援も送られないのに、聖火リレーだけ行う意味は何なのか。実行側は聖火リレーありきの考え方になってしまっている。つぎ込んだ金額やリレーをするためにせっかく準備してきたんだから、そんなことが背景にありそうだ。

とはいえ、元からあるものを柔軟に変えることがこんなにも難しいのか……と考えてしまう。聖火リレーが行われれば、おそらく結構な人数が見学に行くのだろう。屋外で行うことなので、仮に密集しても感染のリスクは小さそうであるが、昨今の事情を踏まえると、どうも整合性が無いように感じる。新しい生活様式がそこそこ定着してきた2021年において、対策は取っているとはいえ、2020年以前の考え方で実行すること自体が時代に沿うものなのか。

何が正解なのか、書いているうちにわからなくなってくる。正直に言うと、そんな感じだ。

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