自分の中に生じる感情に意識的になる
年初から今年の指針として「他力本願」を掲げ、日々の出来事に対して自分の意思を極力意識せずに、大きな流れに身をまかせるように過ごしている。
すると、なぜか自分の中で湧き上がってくる感情にとっても意識的になっていることに気が付いて驚いている。
自分の意識を無視しようとすればするほど、とても意識的になっていることが、なんだか逆説的で面白い。
知り合いの人を街で偶然見かけたとき
つい最近もこんなことがあった。
街を歩いていると、ご近所の知り合いの人を偶然見かけた。
いつもなら、反射的にその人の顔を見て挨拶を交わすところだけど、その時はちょっとした会話を交わすことが面倒だなって思う自分がいることに気が付いた。
そこで、気づかれないように進路を変えて、気がつかないふりをして見過ごした。
今までの自分なら、そんなん自分に少し罪悪感を感じていたに違いない。しかし、実際にその時に最初に起こった感情は「めんどくさいな」だったのだ。だったら、それに従ってするっと見過ごす自分がいてもいいのかなって思える自分がいた。
今回は自分に起こっている感情を大切にするように試されていたのかもしれないし。なんだかわからないけど、そうするようになっていたのだっと思うようにして、この出来事にもポジティブな意味づけをした。
どんな感情も許容する
大きな流れに身を任せて、出来事は必要に生じて起きている。それを素直な感情に従うように流されて生きていく。
そのように徹底していくと、どんな感情も許容できるようになってきているように感じる。良いとか悪いとかの判断を自分で下すのではない。大きな流れは良いようにしてくれるはずだっとお任せする。
そういった態度でいると、自分に起きてくるどんなん感情も許容できるようになってきた。
いちいち自分を裁く必要はないのだ。全ては流れの身のままに。
流れを信じて、自分を信じる。
それが「他力本願」な生き方なんじゃないかと思うようになってきた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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