「はじまりの句」賀茂真淵か本居宣長か

「はじまりの句」 賀茂真淵か本居宣長か

これは神話の捉え方の大きな違いを意味しています。宣長の持論は、神話は中身をいじらず、そのまま素直の受け入れて読んだ方が良いという考え方です。逆に真淵は、新母そのまま受け入れるのではなく、編者の意図、人間的な知恵や見識が混ざっている。その表現として捉えた良いという考え方です。一番良い例として、一般的によく取り上げられている古代歌謡について、次の有名な句があります。

八雲起つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣つくる その八重垣を

これはスサノオノミコトが出雲の地で歌っているとされている句です。記紀では、この句が最初に出てきます。宣長は、最初に出てくるから、この句はもっとも古い歌謡の「はじまりの句」だとしています。しかし、真淵は最初に登場しているから、この句が最も古いとはいえないという考えです。根拠としては、原初の歌はもっとも自然に発している歌のはずで、なにも飾らず短い歌であったはずとしています。つまり、スサノオのこの歌は、表現技巧として高いもので、とても「はじまりの句」とはいえないというものです。