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死後の世界

このコラムでは死後の世界
について語ってみました。

あの世を信じない人に共通
しているおかしな部分は、
消滅という考え方です。

消滅と言っても要素は沢山あって、
ヒトが死んだら煙のように消えるの
ですか?と問えば、科学的にはおか
しな考え方です。

死んだらどうなるか、逆にそっち
の説を聞いてみたいのですが、恐らく
答えられないと思います。

こういう「死んだら何も無い、全部終わる」
という思考の連中を唯物論者というそうです。

一元論者ともいいます、工学系に多いそうで、
特に最近の日本人にその傾向が強いという話。

ちなみに魂は魂で存在する考え方が
唯心論で、二元論側にあたります。

唯物論の原因は拝金主義やΩ事件ら
の影響かも知れませんが、こういう人
に限って妙に迷信深くありませんか?

何故そうなのか?という理論に欠陥
というか、無理やりこじつけてるから
迷信に陥るのでしょうか?

しかし死後が謎なのは唯心論者にも
言えるから、どっちもどっちだと思うのです。

つまり、結局は影と表になってる
だけで両者一緒の事を考えてる、
というのが私の理屈です。

学校教育に欠陥があったのでは
ないかとも思いますが、定かではありません。

その一環で死んだら土に戻ると信じている
友達が居たのですが、そもそも日本では
土葬が少ないですよね?

火葬場で焼却するから、燃やしたら
少なくとも二酸化炭素や炭素として
化学変化しますよね?

土ではなくて、空気という
か大気に戻ります。

しかし燃やす前に既に死んでるから、
土や空気ともに間違いですよね?

その場合の、細胞の活動のエネルギー
の化学変化や相転移した行き先は一体
どうなってるのでしょうか?

死後を否定してる人の生死観は
自然科学的に考えておかしいです。

それらの人らは学問的な死を
定義しているだけだと思います。

WIKIでは国や宗派によりて
死の定義が違うと書いています。

日本では脳死や医学的な
死を死と定義しています。

最近では完璧な脳死状態で近似死
を体験した報告があることから、脳
ではなく細胞の死を医学的な死と
定義する傾向にあるようです。

WIKIにも色々書いてますが、
ヒトの死にも段階や種類があります。

脳死などの生体的な死を始め、細胞の
死、遺伝的な死、戸籍や社会上の死、
情報の死、エネルギー的な死、化学
反応的な死、時間的な死、原子や
素粒子的な死など結構あります。

これら全てがクリアされて
完全無欠の死が成立します。

ここまで完璧に死ぬというのは
かなり難しくあると思うので、人は
結構曖昧に死んでいるのかもしれない。

だもんだから、幽霊や祟りとか
色々な考え方が現代においても
無くならないのだと思います。

光のレベルで考えたら、幽霊は
物理現象的に恐らく存在します。

幽霊の存在を認めたら困る人や
発狂する人が大勢居るので、無理
やり消滅させているのではないかと
思います。

肉眼や物理次元で見えないだけで、
私はマジで存在してると思います。

結局、UFOの存在は米軍が認め
ましたよね?恐らく死後の世界や
霊についても一緒です。

恐らく時間が止まってるかプランク
的な時空間に存在しているのでは
ないでしょうか?

余剰次元がそんな感じだと
思うのですが、霊については別枠で
根掘り葉掘り書こうと思います。

機械であれば、エネルギーが消えたら
そののままご臨終なわけですが、機械
自体にはエネルギーはありません。

機械のエネルギーはバッテリーの電気
やガソリンらの方だから、どっちか
というと機械自体が死後の世界だと
思ってるんです。

機械はガソリンが相転移した残り
カスで動いているようなもんですよね?

ホーキング博士の言葉を借りると、
ビックバン後の惰性で宇宙が広がっ
てるようなもんです?

生物がそうなのかは分かりませんが、
惑星や恒星の場合は、臨終した後の
方が物凄いエネルギーが出るんです。

星の臨終には超新星など様々あり、
最後はブラックホールなる超ど級の
質量に生まれ変わるんです。

星の場合、死後のほうがエネル
ギーや影響力が出るというわけです。

生物の場合、死後にエネルギーは
存在しませんから、生きてる時に
何かのエネルギーに変換されます。

生物の食い物などは、生物の運動力や、
その後に赤外線などにも変換されます。

しかし、水力発電などのエネルギー保存則
からすると、生物にも二次的三次的な変換が
あるのかもしれません。

その理屈からしたら、エネルギーの
二次的以上の残りカスが社会活動
といっていいかもしれません。

そうなんです、私は社会や文明は
ヒトのエネルギーの残りカスだと
思ってるので、生物的にはそう
重要視する世界で無いと思います。

社会は生命活動の副次的な世界
だから、メインではないと思うの
ですが、それだけで生死が決まって
るのも紛れもない事実です。

要するに、死というものは変換や
相転移などの化学変化状態なんで、
本当に活動が無くなる分けでは
無いと思います。

「死せる孔明、生ける仲達を走らす」
などの例えがある通り、情報的には
死後の活動があります。

呪いや祟りもその一つで、呪い
が死後に大きな活動エネルギーに
なる場合があるんです。

呪いではないですが、敵討ちや
復讐
なども死後の活動の一種です。

それで第二次世界大戦や
湾岸戦争が始まりましたよね?

情報では星の死と似たような
大きな活動が生じるケースも
あるってことです?

ヒトの本当の死とは、生命活動や
社会活動の停止だとは思うんですが、
エネルギー自体が死ぬわけではないん
ですよ。

そのエネルギーの死とは、分子や
陽子、粒子などの死ですよね?

宇宙論では、陽子の蒸発
とかいうそうです。

完璧に原子や粒子が消える現象も
あるということですが、そのスパンが
やたら長くて、少なくとも数億年単位
以上なんだそうです?

ブラックホールにも完璧な死があって、
最後はやはり蒸発してしまうそう
なんですが、やはり数百億年とか
そういう単位だと思います。

というわけで、生物の死は別の問題で、
ヒトの死とはどっちかというと社活動上
の停止
だと思います。

完璧な死が存在する
かというと甚だ疑問です。

完璧に死ぬということは、原子核
レベルで消滅しないと死んだとは
いえないと思います。

それと前記した記憶情報の
死が別の問題で存在します。

戸籍データ上の変更や、個人で
維持している記憶の消滅が死に
よって起きます。

ところが記録媒体無しに残って
る場合もあるので、完全な消滅は
無いと思います。

私は時空を越えた電波の一種
だと思ってるんです。

宇宙に死があるかというと、
あるんだかないんだか今のところ
分からないそうです。

宇宙に死があるとすれば無の空間です。

無が果たして空間なのか
どうかも分かりません。

完全な消滅や無は宇宙の外側か
違う次元だけだと思ういます。
 
宇宙の外側はどうなってる
かは分かりません。

このお話は、次の高次元の放談に続きます。

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