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地獄の門の前に立ち、少女たちは何を考えるのか。 | 乃木坂46 5期生『考えないようにする』
過去にはてなブログにて載せていた記事の再掲になります。
画像へのキャプションとして一部加筆をしていますが、構成・内容自体は変更ありません。
Lasciate ogne speranza, voi ch'intrate.
汝等こゝに入るもの一切の望みを棄てよ。
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乃木坂46『考えないようにする』
音源解禁後から詞もメロディも良すぎて聴きまくっていた5期生楽曲のMVが公開された。
音源解禁後
#考えないようにする は文学だよ https://t.co/V0Fd6KAeR2
— りざると (@result33) August 15, 2023
MV視聴後
#考えないようにする は藝術へと昇華した。
— りざると (@result33) August 18, 2023
乃木坂46『考えないようにする』https://t.co/x0iZzG4nUe https://t.co/lSnx8DkyuB
1ジャンルとして捉えていた楽曲は、そこに映像が合わさることにより、さらに大きな領域へと自分の中で伸展していた。
それほどまでにこのMVは衝撃的かつ藝術的作品だった。
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MV全体としてのモチーフとなっているものは、彫刻として登場するロダンの『地獄の門』や『考える人』、その着想元となるダンテの『神曲』、数多のフランス映画などなど。
そして、”乃木坂46”そのものであろう。
乃木坂46初期のコンセプトである“フレンチポップス”を踏襲したフランス要素であったり、
作曲が『君の名は希望』や『制服のマネキン』、『羽根の記憶』の杉山勝彦 氏であったり、
振付が『シンクロニシティ』や『インフルエンサー』、『Sing Out!』のSeishiro 氏であったりと、まさに乃木坂46が歩んできた道を知っている布陣を揃えている。
振付の一部が過去の楽曲を彷彿とさせるようなものになっていたりもする。
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その者たちが経験していない過去をなぞることは、ある意味強要のように見えるかもしれない。
しかし、実際は要素として取り入れるだけに過ぎず、
むしろその要素をも自らのものにするため、活かす程度に留めているように思える。
あくまでも自然に盛り込むことにより、雰囲気としての乃木坂らしさを維持しつつ、
5期生としての側面も強くみせている。
破壊と再構築が行われているような感覚がそこにはある。あるいは再解釈かもしれない。
一度砕けたものは再度同じカタチになることはなく、また新たなカタチへと変容していく。
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『地獄の門』とは地獄の入口であり、そこに立つ者たちはまだ地獄へと達していない。
その者たちは絶望の淵に居るのではなく、寧ろ希望に満ち溢れており、言わば一秒前にいるのだ。
『地獄の門』の前で踊る少女たちは天使のようである。
堕ちてしまわぬようにするために、我々は何ができるのか。
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『考える人』は単体作品でなく、本来は『地獄の門』の上に置かれているものであり、同じ一つの作品群である。
思考を巡らせているだけでなく、視線の先で地獄に堕ちた人々を見ているという意味もあるという。
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だが、その男の存在を意識し見上げられる場所にいる少女は果たして地獄にいるのだろうか。
少女は、見上げ返すことにより自らの存在と価値、これからに向き合ってでもいるのだろうか。
それとも、『考える男』と対峙することにより、“考えない”ということはどういうことかを享受しようとしているのか。
いずれにせよ、少女はその瞳に光を宿している。
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『地獄の門』はそもそも、ダンテの叙事詩『神曲』に登場するものである。
その『神曲』はローマ・カトリックの教義である【三位一体】の精神を宿しており、聖なる数である"3"が随所に盛り込まれている。
今作のMVでもその要素は受け継がれており、“3”に関連した要素がいくつか見られる。
ド直球なところでいくと、瑛紗の服。
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デカデカと描かれいる。あまりにも直球すぎる。
ほかにはドラマパートでも。
大きく4つのシークエンスに分かれているが、その組み分けは
Ⅰ.一ノ瀬・井上・川﨑 (以下、Ⅰ)
Ⅱ.菅原・中西・池田 (以下、Ⅱ)
Ⅲ.小川・五百城・奥田 (以下、Ⅲ)
Ⅳ.冨里
と、3人組が3つと1人。
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Ⅰ・Ⅱ・Ⅲの3人組はそれぞれの中でどこか三角関係を有しており、その様子はシークエンスの中でも変容しているように思える。
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思い、思われ、気づき、気づかれ
そのゆらぎや脆さこそが、美しさに繋がっているのだろう。
一方、冨里は常にひとりでいる。
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しかしそれは孤立や孤独を表しているのではなく、
むしろ、その存在こそがそれぞれとを繋ぎ止めるものであることを意味しているのだろう。
あらゆることに対して思考を巡らせ続けること自体が、人としての核だとも言える。
三位一体においては、3つの要素を繋ぐものは神であるが、冨里奈央にはどこか聖母のような雰囲気を感じてしまう。
冨里奈央はキリストを超えた
ちなみに、3×3+1ないしは3n+1という構成も『神曲』にも関連したものでもある。
ダンテが『神曲』で用いたテルツァ・リーマ(三韻句法)は、3行で1つの詩節を構成する詩型である。
詩節は何個連続しても問題はなく、ダンテはそこに併せて、各歌の最後の詩のみ4行とするよう構成した。
すなわち、『神曲』の1歌はそれぞれ3n+1行の構成になっている。
さらに言うと、『神曲』は地獄篇・煉獄篇・天国篇の三部構成であるが、その歌数は順に34歌・33歌・33歌となっている。
地獄篇の始めの1歌は『神曲』全体に関してのものであり、地獄をメインとして書かれているわけではないため序章と捉えられている。
つまり1+33+33+33の構成になっているのだ。
いろいろ組み替えると、ここでも3n+1が現れてくる。
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とめどなく溢れてくる"3"という数字を、加入から1年を経て、3期生をトップとして走り抜く5期生たちが背負うのはそれだけでどこか心にくるものがある。
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同調は美しく 同調は苦しい
周りに合わせるのは心地いいって 個性的なのはかっこいいって
かわいいって言われるのは嬉しい 目立つのは嫌
同調とバラバラシンクロだとか(シンクロだとか)
運命だとか 偶然だとか
あの子とか私とか
あ まただ
考えてしまう
こちらはMV冒頭のモノローグ。
対義語が並んでいるかというと、そうでも無いように個人的には思う。
ここにある言葉たちはどれも、相対する言葉は自らの価値観により思い起こし、自らの内へと秘めていくものだと考える。
他者と比べること自体の意味合いはほぼ無く、むしろ受け止め許容しあうことのが必要だと語っているようだ。
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同調やシンクロ、つまり他人と合わせることは重視されていない。
むしろ、全体として見たときにつりあいの取れた、調和ということが本質なのだ。
そこでは同調することもバラバラであることも許容され、ひとつの存在としてどうか、ということが見られている。
振付にもそれは反映されており、
イントロではシンクロした動きから突然バラバラになっていたり、
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2番のサビ後半ではバラバラな動きを経て自然にシンクロした動きへ収束していたりする。
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同調することやバラバラであることは、人間としてはごく自然なところであり、
そこに対して何かを呈することはどこか摂理から離れ、矯正をしているように思えてしまう。
だが、その状態に陥っていることに気づくのは中々に難しい。
それでもそれぞれの尺度で生き続けなければならない。
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"乃木坂46"という場所は回帰することのできる存在だ。
しかし、良い意味でも悪い意味でもそこで突出した者たちは去るしかない。
去って、新たに回帰出来るものをつくりあげて行く。
それは、別の組織かもしれないし、個人そのものかもしれない。
だが、回帰する場所があるということの方が重要であり、その存在によってこそ個人は成り立っていくのだ。
そして、"乃木坂46"はそのあとも消えず、精神も受け継がれていく。
他者があの時と違うと端的に言えるのは、成長として目に見える表面的なところに対してであり、その中身を紐解いてみると、案外変わっていないものである。
と同時に、ある者がいなくなっても存在としては成り立つという持続性や価値をも語っていると思うと恐ろしくもある。
木陰で本を読む冨里(以下、Ⅳ-木陰)は、シンクロについて説かれた(であろう)本に栞を挟み、世界を見つめ直し観察をする。
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海岸に立つ冨里(以下、Ⅳ-海辺)もまた、不規則に寄せては返す波を見つめることを止め、身体全体で世界を感じている。
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目前に向き合っていたものと自ら距離を置き、別の世界へと交わることを始めることで、さらに大きな別の世界へと波及していく。
同調とバラバラと、それぞれ心の中で囚われていたものと意識的にか無意識的にかを問わず離れることは、別のステージを見つける大きなきっかけとなるのだ。
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各シークエンスは始め、Ⅰはシアン、Ⅱは緑、Ⅲはマゼンタ、Ⅳ-木陰はイエロー、Ⅳ-海辺は赤とそれぞれの色に染まっていたが、
世界同士の邂逅を経たことにより、終わる頃には各特色を残しながらもノーマライズされた色味へと変化している。
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ひとつの系統にまとまらない、より色彩豊かな世界をみることが出来るようになったとも言えるだろう。
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それは没個性化ではなく、個性と個性が出会ったことによる多様化による結果なのだ。
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より出会いを深めていくと、さらに世界は広がっていく。
世界同士の出会いは、それぞれに補色関係の成立するⅠとⅣ-海辺、ⅡとⅢからはじまったのだろう。
一連で語られる、向こうの世界を見つめる視線でもその関係性は感じられる。
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補色は色相環上では真反対にあり遠いように思える関係性であるが、中央にある色になることができるのはこの組み合わせしかないのだ。
目指す場所へと向かうためには他者との協力が必要であり、その存在は思いがけないところにあるのかもしれない。
混ざり合い白になるか黒になるか、行く先は天国か地獄か、見えるのは光か闇か
それとも———
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それでも少女たちは歩みを止めない。
ところで、イエローに染まるⅣ-木陰は誰と出会い、世界を広げたのか。
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一見すると冨里以外の9人のように思われる。
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しかし、視線の先には誰もいない。
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はたして、なんなのだろうか。
青の要素を持つものであるのは言うまでもないが、
それは道を示した『地獄の門』か『考える人』か。
はたまた、別のところにいるⅤか。
そこにはどこか、紫の要素を感じなくもない。
少なくとも11人の少女たちが出会うためにはその存在は必要不可欠だ。
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1へと回帰し駆け上りはじめた少女たちは、
乃木坂46を再構築しながら新たな乃木坂46も創造し続けていく。
次なる星をめざして
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