見出し画像

たぶんそれは生涯を賭してやってゆくことなんだろうな。

「からだの痛み」について今思うところを。

もともとは「アスレティックトレーナー」という立場で、アスリートやリハビリテーションが必要な方のサポートをしていた。

痛みのない方への運動指導もしていたが、痛みのない方でも「不定愁訴」といって、原因がはっきりしない不快感の訴え、はよくある話で、なにかしらの不調を感じていることが多かったです。肩こりや頭痛、不眠、そのほかにも。

怪我をしたあとのリハビリでも、怪我未満の不定愁訴でも、多くの痛みは「運動」で解決できると思います。運動だけで解決できないものも当然あると思いますが、その場合でも食事や生活習慣をひとつづつ見直してゆくこと「+運動」で多くは解決できるかと。

そう思うのは、
これまで経験したことやインプットしてきた知識が前提になっている。


けど、もうひとつ。

「自分が当然だと思い、
やっていたことが意外にそうでもないのか?」

と、思うような場面に出くわすことが最近多い。

とくに「からだの痛み」や、痛みまでいかなくとも過去に怪我したところを無意識に庇っていることで生まれる歪み、日常生活には問題を感じないけど何年に一回は、からだのどこかに異常が生じて大問題になる。

など、

これ以外にもそのひとのからだには何かしらの問題を抱えているケースが多く、そういったケースに「運動」でアプローチしてゆく方法は巷にもあるが「自分のそれはそういったものとは違うのか?」と思うようになってきた。


そういったことが重なると(おもにクライアントから言われる)、
以前考えていた(諦めていたというか内に閉まっておいたというか)ことがフツフツと熱を帯びはじめているのをよく感じる。

「たぶんそれは生涯を賭してやってゆくことなんだろうな」
と、大袈裟だけど大袈裟ではないことを薄らと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?